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お雪  作者: 小町 沙都子
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其の二

 お雪にとって、巳之吉との暮らしは毎日が驚きの連続でした。

 手足を動かして一日中働くこと、力いっぱい何かをすると体から汗がにじみ出ること。

 冷たい水でのどを潤し、温かい物を口に入れてかみしめ、空腹を満たす幸福感。

 やわらかい春の日差し、肌をすべる風、じりじり焼かれるような夏の日差し、

燃え立つような山々の紅葉、そしてどこか懐かしい刺すような冬の寒さ。

 いつしかお雪はここへ来る前のことをすっかり忘れました。

 巳之吉の腕に抱かれ、熱い鼓動に身をゆだね、身を割かれるような痛みとともに新しい命を生み落としました。

 巳之吉とお雪の小さい分身は、一人では何もできず、お雪は赤子の世話に追われました。

 やがて少しずつ手がかからなくなると、また次の分身が生まれてきます。

 巳之吉は妻と子らのため、以前にも増して木こり仕事に精を出しました。

 朝早くから夜遅くまで、家にいることはほとんどありません。

 お雪も気付けば一日中休む時などほとんどなく、子らの世話の合間に食事を作り家を整え、

わずかな畑を耕し、村の人々とともに雑多な仕事をこなし、

せわしなく手足を動かして働きづめの毎日でした。

 それでも、お雪はそんな暮らしにすっかり馴染んでいました。

というよりも、巳之吉と出会う前の自分がどんなだったか、お雪には少しも思い出せないのでした。

 子だくさんのお雪の家族は、己之吉一人がどんなにがんばって働いても、楽になることはありませんでした。

 幸い子供たちはみな丈夫で病気知らずでしたから、医者の心配はありませんでした。

けれども、食べるものも着るものも住まいも、貧しい村の人々の中でさえみすぼらしい方でした。

 それでもお雪はそんな暮らしが当たり前だと思い、少しも不足は感じていませんでした。


 ある冬の日の夕方、お雪は井戸の水を汲んで少し遅い夕餉の支度をしていました。

村長の娘が周囲の村々を束ねる庄屋さんに嫁入りするため、村の人々は朝からずっとその手伝いに駆り出されていたのでした。

 村長のお座敷には遠くの町の腕利きの職人に仕立てさせた、花鳥風月の見事な刺繍が施されたまぶしいほど色鮮やかな打掛や、漆塗りの器やら真っ白な焼き物などのいくつもの祝いの品々が所狭しと飾られ、支度に駆り出された人々も垣間見ることができました。

 どれもみな、お雪には初めて見るものばかりでした。

 こんなに美しいものがこの世にあったなんて、それらがすべて人の手によって作り出されたものだなんて、お雪は目がくらむような気がしました。

 そして、なぜ自分たちの手元にそういったものがないのか、不思議に思いました。

「お初さんが玉の輿に乗って、村長もさぞかし鼻高々だろうねえ」

「やっぱり、顔のつくりって大事なもんかねえ」

「いやいや、それだけじゃねえさ、生まれた家も運のうちさね」

 そんな風に口々に話しているのをお雪は黙って聞いていましたが、ふと近所のおかみさんがお雪に向かってこう言ったのです。

「あんたも、器量だけならお初さんに負けやしないのにね」

「そうよそうよ、何人子供産んでも、あんたはちっとも老けないねえ」

「お初さんなんて今に見ててごらん、あっという間に老け込んで庄屋さんの息子が若い娘っこに目がいかないか気をもむようになるのさ」

 そう言ってくっくと笑う女たちに、お雪は黙って微笑んでいました。

 けれども、お雪の胸に不意に何か乾いたものが浮かび上がりました。

 それは、古い傷口を覆っていたかさぶたが盛り上がって、痛痒いような、何とも気になって仕方がない感覚に似ていました。

 そのかさぶたは村の女たちと別れて家に戻ってからも、ずっとかさかさとしつこく胸の奥で増殖しているようでした。

(何なのかしら、このいやな感じ)

 お雪はいつものように軒の干し大根を刻んで庭先の菜と一緒に炊いておかゆをこしらえながら、ふと空を見上げました。

 そしてそこに、青白く輝く星の光がまっすぐに自分を見下ろしているのに気が付きました。

(なんだろう、ずいぶんと懐かしいような気がするわ)

 お雪の脳裏をふとある情景が浮かんで、すぐに消えていきました。

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