其の一
吹雪が絶え間なく川面に吹きつけるその上を、お雪は軽やかな足取りで滑るように歩いていました。
真っ白な素足はみずみずしく、凍てつく冬の夜の寒さにも凍えることなく柔らかでした。
その瞳に映る川岸の枯れた葦の茎や低木が吹雪になぶられてきしむのや、
大きな岩があっという間に雪に覆われて白いなだらかな斜面に化けるのや、
そんなものをうっとりと眺めているお雪は、夢見心地にうっすらと微笑んでいました。
お雪が地上を見たのは、これが初めてのことでした。
お雪の生まれ育ったのは、北の空に輝く氷の星でした。
そこには四季というものはまるでなく、永遠の氷に閉ざされて、空を舞って降りてくる雪というものさえありませんでした。
そればかりか、山も谷も川も、草木やけものも、まるでありませんでした。
そういうものはすべて、お雪が生まれるはるか大昔に消えてしまっていました。
吹き荒れる氷の嵐によって、世界のすべては平らにならされ、見渡す限りの氷の原だったのです。
お雪はその星の氷の粒が結晶化して生まれた意識体でした。
永遠の命を持っていると言えば言えるし、命ではないとも言えました。
お雪は体というものを知りませんでした。
そして、時間というものも、お雪にとっては意味をなさないものでした。
ですから、いつからお雪がそこにいるのか、そしていつからその世界に倦んできたのかわかりませんが、
いつしかお雪は自分を取り巻くすべてを持て余すようになりました。
そんなある時、お雪は夢を見たのです。
見たこともない茶色い大地、緑色の盛り上がったいくつも連なる見上げるほど大きなこぶの連なり。
ころころした灰色のものが一面にころがっているところに透き通った何かが絶えず流れている風景、
青く輝くものに覆われた天空。
何かが高い音を立てて空を飛び、逆に無言で地を這う小さな生き物たちをいくらでも見つけられる不思議な世界の夢を。
どうしてそんな夢を見たのか、お雪にはわかりませんでした。
けれども、お雪はその夢を見てからというもの、夢の世界へ行ってみたくてたまらなくなりました。
そうして気がつくと、お雪は真っ暗な冬の夜の川辺に立っていたのです。
そこは、お雪が夢で見たような色とりどりの世界ではありませんでしたが、今まで住んでいた世界とも違っていました。
そして、何より、お雪自身が全く変化していたのです。
すらりと伸びた二本の足、自由に動く二本の腕。息を吸うための鼻や口、時々瞬く二つの瞳。音が聞こえるのは、二つの耳のおかげです。
お雪は何が起こったのか信じられないまま、首を巡らせて辺りを見ました。
そして、吹雪で今にも飛ばされそうになりながらも、何とか形をとどめている一つの粗末な小屋を見つけたのです。
巳之吉が目を覚ました時、茂吉の上に覆いかぶさっていた何かが巳之吉を振り返りました。
肌も髪も、着ている着物さえ真っ白な若い女です。
女は茂吉にふうっと白い息を吹きかけていました。
(何しとるんじゃろう、このおなごは)
巳之吉が半分夢心地でぼんやりと考えていると、女は振り返り、巳之吉のほうへにじり寄ってきました。
瞳の色は薄青く、この世の人間とは思えない色でした。
そして、その瞳には生気が全くありませんでした。
何かを望んだり、楽しいと思ったり、笑ったことなど一度もないに違いないような顔つきのその女は、
ぞっとするほど暗く冷たい表情でしたが、それでも見とれるほど美しかったのです。
「お前、命、助けてやる。私に会ったこと、誰かに言ったら、そのとき殺す」
そういう意味のことを女がつぶやいたのだけは、ぼんやりした巳之吉の脳裏にしっかりと焼き付きました。
そして翌朝村の者たちに救い出された時には、巳之吉はすっかり意識を失って何日も生死の境をさまよい、その時のことはほとんど忘れてしまいました。
お雪は胸の高鳴りを鎮めることができませんでした。
もう、それまでお雪の住んでいた氷の世界は、お雪には味気ない、何の意味もない牢獄のようでした。
あの、夢の世界へもう一度行きたい。そして、あの若者にもう一度会いたい。
いや、もう一度なんていやだ。
私はもう、この世界に住むのは嫌だ。
あの世界へ行って、人間の姿で暮らしたい。
お雪の望みは募る一方でした。
そしてとうとう、お雪の一念が再び奇跡を起こしたのです。
お雪ははるかな星へ再び旅立ち、人の姿になって巳之吉に再び出会い、彼の嫁になったのでした。




