第一項 彼の人間的道徳の欠如、それに起因する事象
気が付いて初めて目にしたもの。
――殺戮。
それは人物でも景色でもなく、光景。
人が人を殺し、声が上がり、命が潰える状況。
フードを被った一人の人物が修道士たちを、剣一本でなぎ倒している。
修道士の一人が僕を庇い、彼から噴き出した鮮血が降りかかる。
さっきまで生きていたことを裏付ける不快な温かさだ。
それが自分を巡って起きているものだと理解するのに、そう時間はかからなかった。
手首には鉄の冷たく刺さるような感覚。枷からは鎖が伸びていたのだろうが、途中で切断されている。
この状況に至るまでの記憶が全くない。何が起きている?
自分の表情には恐怖よりも困惑が浮かんでいることだろう。
殺戮が繰り返される部屋の片隅には、恐怖とも困惑とも違った表情を浮かべる少女が一人。
白い前髪が左目にかかっているため正確な表情は読み取れないが、赤く染まった右目は冷静そのものといった感じだ。
「イクスとリズを逃がせ!」
「ヴァイスならもう一度捕えられる!」
「クソッ! どこから情報が漏れた」
そんな言葉が飛び交い、フードの人物を取り押さえる。
その隙に少女が僕の手を引き裏口の扉へ誘導される。裏口から出て、扉を閉める寸前。
フードの隙間から覗いた口元が「逃がさない」と動いたのを見逃さなかった。
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最も昔の記憶。それは個人を形成する上で重要なファクターの一つであると言えるはずだ。
その記憶から今に至るまでは、自分という存在の証明でもある。
では、自分はどうか。
俺の最も昔の記憶はわずか三か月前。
目の前で行われていた殺戮の光景が自分のルーツ。
しかし、あれから今に至るまでの三か月の間は自分が自分であったと確信できる。確かに記憶が存在する。
この街の名はサンジェルマンといい、あの殺戮があった場所は聖輪教会の聖堂であったのを知ったのは三か月前。
自分の身体にはティンクトラ、別名<賢者の石>が流れており、傷を負っても即座に回復すると知ったのは二か月前。
あの日、聖堂で名前を聞いたヴァイスという男に自分たちのことを聞くため、探し始めたのが一か月前。
そして――自分の右腕が切り落とされても、地に落ちた腕を引き寄せ、傷口が消え、再生するほどのバケモノだったと知ったのが今だ。
「三か月でこんなにビックリすることが多いのって、俺が記憶喪失だからなのかな」
まさか三か月世話になった宿の店主にティンクトラ欲しさに右腕を切り落とされるとは思わなかった。
「ティンクトラというのはそこまでの影響を及ぼすのか、ますます欲しくなった」
「もう一度確認するが、貴方は聖輪教会とも関係がなく、たまたま俺がティンクトラを所有するのを知り、狙っただけなんだな?」
「ああ、そうさ。俺はそのティンクトラを売って大金持ちになる、あんたはその犠牲さ」
訂正、まさか三か月世話になった宿の店主に金欲しさに右腕を切り落とされるとは思わなかった。
「じゃあ、心置きなく――」
左腕の橈骨を隆起させ変形させる。
皮膚を突き破り現れた鋭い骨で店主の心臓を一突きする。
「――ッあ」
声にならない音を上げると、先ほどまで店主だった肉塊は崩れ落ちた。
「また宿探しからか、ふりだしに戻ったな」
骨についた血を拭い、また左腕に収納する。突き破った皮膚は骨が引くとともに、その傷口を収束させる。
――殺したのばれたらリズが怒るかな、でもティンクトラのことばれちゃったし仕方ないかな……
そんなことを考えながら、アルカエストの前に宿を探すためサンジェルマンの街を歩きだした。