007 急転直下
◇
「ここまでは問題なく来られましたが……順調すぎるほどですね」
「そうだな。魔王の拠点ともなれば、なんらかの妨害があってもおかしくはねぇと思ったんだがな……」
レナードたちはジュレ領の南西に位置する小さな森へと足を踏み入れていたが、この場には重圧がなければ邪魔が入ることもなく、更には森に迷わされることもなく歩みを進めていた。
本当にここに魔王がいるのか、疑問に思うほどだ。
「あのお方は魔王とは呼ばれていても、どこかに領土を持っているわけでもなければ、配下の一人もいない。邪魔をされることを嫌ってか、身を置く周辺には魔獣の姿を見た者はいないとされているほどだ。どこにいるかさえわかっていれば、会いに行くことはさほど難しいわけではないよ。……相手にしてもらえるかはともかくね」
テオとカークの会話に補足を入れるようにして、レナードが会話に混ざる。
「父さんは一度会ったことがあるんでしたね。どのような方なのですか?」
「会ったのは戦争が終わってすぐのころだったか。……脅すわけではないが、一目見た感想としては、『死んだ』だったよ。立ち去ったあとも、生きた心地はしなかった。あの方が戦争の相手でなくて、どれほど安堵したかもわからない。アルマリーゼ君がいなければ、何をしてでもお前たちを止めていたよ」
「現役の親父さんでそれかよ。まったく、修行はサボるもんじゃねぇな。あの世で爺様の嘆いてる声が聞こえそうだぜ」
「引き返すなら今のうちよ?」
レナードの言葉を聞いて天を仰いたカークに、アルマリーゼが忠告の意味も込めて言った。ここから先は生きて帰れる保証はない。暗にそう言っているのだ。
「馬鹿言え、ここまで来て帰れるかよ。それこそ爺様に会わす顔がねぇってもんだ」
「ふふっ、君は本当にカーティスに似ているな。昔を思い出させてくれるよ」
尊敬する祖父に似ていると言われては、嬉しいながらも照れるものがある。カーク少しばかり顔を赤らめ、レナードから視線を逸らした。
「それよりも、大事な話を二つしておくわ」
しかしそれも、今のアルマリーゼにとってはどうでもいいような話だ。断ち切るようにして、本題に入った。
「今回の相手から考えても、必ず必要になるわ。その時は、迷うことなく使いなさい」
アルマリーゼが視線を向けた先には、聖剣を持つテオの姿がある。正式な契約をしていないがために鞘に収められたそれは、正しき心を持っていなければ、その真の力を発揮することは叶わないものだ。
「わかっています。ルシードに返すためにも、失敗で終わるつもりはありません」
剣を預かる理由として、ルシードが生まれ変わるまでと口にしたが、まさか本当にその時がやってくるとは思わなかったテオは、聖剣を持っているという自惚れはない。
「それでいいわ。その剣で斬りつけないことには殺傷能力はないけれど、魔法……特に魔に属する者を相手に使うには効果覿面よ。その力はひとたび振るうだけで魔法の効果を打ち消し、魔に属する者を近づけさせない。あなたには矢面に立ってもらうことになるけれど、私もうしろから援護するわ」
アルマリーゼの言葉に、テオは頷く。それが自分の役目だと、言われずともわかっていた。
「それで、二つ目だけれど……」
アルマリーゼが視線を動かし、先頭に立って案内をするレアを見据えた。
その鋭い視線から、レアに聞かれたくはない話をするのだと察したレナードたちは、ゆっくりと歩むスピードを抑え、徐々に列をうしろに移動する。
「君はあの子と会ったことがあるように言っていたが、何か思い出したのかね?」
最後尾に移動したレナードは、ここならレアには聞こえないだろうと、アルマリーゼに続きを促す。
「そうじゃないわ。あの子が言ったように、会うのは初めて……だと思う」
「歯切れが悪いね」
最後尾、うしろを警戒しながら移動をしていたニーナが話に加わった。
「正確には、誰かに似ている気がしたの。……でも、それが誰だか思い出せない。言葉を交わしたことがなければ、遠目で見た程度の誰か、とでも言えばいいのかしら」
アルマリーゼの出会いと別れを知る由もないレナードたちは、困った顔でアルマリーゼが思い出してくれることを願うことしかできない。
「君はあの子を敵と判断している。そう解釈してもいいのかな?」
それでも、レナードは自分の判断と合わせ、アルマリーゼも敵と認識してるのかと尋ねた。
「敵と認識していたら、何百年経とうと忘れるはずはないわ。あの子は……敵ではない。私の認識としてはそう思っている」
だが、レナードの思惑ははずれ、アルマリーゼは迷いながらも口にした。
「……話が逸れたわね。私が言いたかったのは、ルーファに気を配っておいて欲しいってこと」
では、どうしてアルマリーゼはレアを気にしているのか。最後までアルマリーゼの意図が読めず、レナードたちは自然とルーファに視線を送る。このままレアの話を続けるのかと思われたが、ルーファの話だとは予想外だ。
しかし、ルシードが死んだと聞かされた時は、今にも倒れるんじゃないかと心配したほどであるが、今のルーファからは力強さしか感じない。
「彼女が先走った真似をするかもしれないということかな?」
ルシードを思うが故に、やる気が空回りになるとでも言いたいのだろうか、と当たりをつけたレナードは、アルマリーゼに問い返す。
「そうではなくて……レアがルーファに向ける視線に棘があるってこと。憎しみ……嫉妬、羨望。ごめんなさい、うまく表現できないけれど、私はレアがルーファに対して、特別な想いがあるんじゃないかと思ってる」
「それはあれか? あの女の胸がでけ――いてッ!」
うしろを歩くニーナに拳をもらい、カークは最後まで言えずに終わる。
「カークの意見はともかくとして、彼女の視線には僕も気になっていました。他の子たちに向ける視線にはない何かがある気がしてなりません」
真に愛する人を見つけたばかりのテオだからこそ、その視線が意味するところをすぐに察していたのかもしれない。
レナードはテオの成長に、大人になったな、と喜んだのも束の間、言われてみれば確かに、レアがルーファに向ける視線は、目の敵にしているようにも感じる。
「敵ではないと、君は先程言ったばかりだ。何か根拠はあるかね?」
とはいえ、レアは敵ではない、とアルマリーゼの口から出たばかりだ。レアの狙いがルーファにあるのなら、敵ということではないのか。レナードはアルマリーゼの根拠を尋ねた。
「……女の勘よ」
レナードにとっては一番困るとも言える返答に、もはやどうすることもできない。ニーナが言う勘とは別に、精霊であるアルマリーゼのものは確かなものかもしれないのだ。あながち否定もできなかった。
「わかった。私の方でも気にかけておこう。ニーナも頼めるか?」
「了解したよ。あの子の狙いがなんにせよ、一人を生き返らせるために犠牲を出したんじゃ意味はないからね。レインにもあとでそれとなく伝えておくよ」
レナードの呼びかけに、ニーナも頷く。
「しかし、さっきから少しばかり歩く速度が速すぎやしないかい?」
ニーナは移動する速度が歩くというより、早足になっていることが気になり、先頭を行くレアに声をかけようとして、口を噤んだ。
その様子に、レナードたちも一斉にレアを見て、気づく。
「何かに焦っているようだな」
角を曲がる際に見えたレアの横顔は、初めて見せるものだった。
それはまるで、予定していたものとは違っているかの状況に、焦りを覚えているかのようだ。
「――レア、待ちなさい。焦る気持ちはわかるけれど、いたずらに急ぐものではないわ」
アルマリーゼからかかった声に、レアはハッとして振り向く。その顔は、やはり何かに焦っている。
「ごめんなさい。でも――」
レアは言葉を紡ごうとして、口を閉ざした。自身が焦る理由を話せば、すでに一度、魔王のもとを訪れていたことまで話さねばならないからだ。
「でも、急いで確認しなければいけないことができました。もしかして、ここにはもう……おられないのかもしれません」
それでも、先を急がねばならないことも事実。レアは言葉を濁すようにして、先を急ぐ理由を取って付けた。
「……なんですって? いないって、あなたの目には未来が視えているのではなかったの?」
魔王がいない。
そう伝えるレアに、アルマリーゼが食いつく。ここへは、アルマリーゼが魔王を退け、ルシードを取り戻す未来をレアが視たと言うからこそ、来ているのだ。ルシードの魂と体を奪った魔王がここにいないのでは、意味がない。
「わ、私が視た未来は確定しているわけではないのです。何かが関与すれば、それもまた、大きく動いてしまう。相手が魔王ともなれば、その存在だけで運命を変えてしまうのかも……」
アルマリーゼをなだめようとするレアに、動揺の色は濃い。
何故ならば、昨日ここへ来た時とは違い、明らかにこの場に漂う空気が違うのだ。それは、ここに魔王がいないと言っているようなものである。一人では不可能だと思ったからこそ、これだけの人数を集めたというのに、これでは、どさくさに紛れて魔王のもとから目的の物を盗み出すという作戦が台無しだ。
やはり、計画を前倒しにすべく、自身が関与したせいで未来が変わってしまったのだろうかと、レアは焦っていた。
「今は先を急ぎ、確認をしなければなりません」
だが、まだ魔王がここにいないと決まったわけではないのだ。あの魔王に限って、聖剣を持った人間たちが押し入ってくるからといって、逃げ出すはずもない。
それに、魔王にはここへ人間たちが来る理由について、本当のことは告げていない。たとえ魔王がいなくとも、いや、いないからこそ、目的の物を手に入れることができるのではないかと、レアはなんとか平静を保って言葉にした。
「それはそうかもしれないけれど……」
先を急ぎたい気持ちはアルマリーゼも同じだ。しかしそれでも、自分の気持ちだけで判断するわけにはいかない。過去の失敗からも、レナードの意見を仰ごうと振り返る。
「……ここで引き返したとしても、何も変わらない。すでに私たちの来訪が相手に知られているのだとすれば、どの道破滅しかないのだ。引き返すよりも、進むべきだと私は思う」
「そうだぜ! ここで引き返したって何も進展しねぇよ!」
「そうですよ! まだいないって決まったわけじゃないですし、父さんが言う通り、帰ったところで破滅が来るのを待つだけになります!」
レナードの判断を押すように、ルーファとセフィーリアが続く。
「そうだな。何より、あの方がいたという場所へ行けば、なんらかの手がかりがあるやもしれん。ここで引き返すよりは有益なはずだ」
「ええ、僕もレインさんと同じ意見です。本人が不在なだけで、ルシードの体がないとも言い切れません」
「だな。ここまで来て帰るわけにゃいかねぇよ」
レイン、テオ、カークも賛同。アルマリーゼは他の者たちへも視線を送るが、反対する者はいないようだ。
「……いいわ、行きましょう。レア、場所はわかっているのね?」
「は、はい、拠点ごと移動されていなければ……ですが」
魔王ともなれば、冒険者カバンなど必要とはしないだろう。レアには魔王が拠点ごと移動していないことを、祈るしかない。
「ここにいないとなると、逆に好都合だ。先を急ごう」
皆は頷き、レアを先頭に、移動速度を上げた。
◇
「ふぅむ。指定の場所はここで間違いないはずじゃが……」
ベルはレアに渡された手紙に書かれた場所へとやって来たが、そこには何もない平原が続くだけだ。
「結界で隠されておるわけではないようじゃが……まさか、ワシともあろう者が道に迷ったわけではあるまいな」
自分が指定の場所を間違ったのではないか。焦ったベルはそんな馬鹿なとあたりを見渡し――
「む?」
ある一点で目を留めた。
「これは……地下への入り口か?」
そこには、草木で隠すようにして、だが、わざと発見できるように、少しだけ見えるように、扉のようなものがあった。
「……クハハ、どうやら迷子になったわけではなかったようじゃな」
ベルは安堵の吐息を吐き、扉の周囲を念入りに調べる。
「誘っておるのかとも思うたが、そういうわけでもないか。……となれば、あの娘の手引きか?」
ベルの持ち得る知識を持って調べた扉は、罠があるどころか、鍵がかかっているわけでもない。
なれば、誰が扉を発見できるようにしていたかなど考えるまでもない。どうしてレアがここまでするのかは疑問だが、どうしてもベルにここへ来てもらわねば困るのだろう。
ベルは意を決し、地下への扉を開く。
「当たり前と言えば当たり前じゃが、階段じゃな」
扉の先には階段だけがあった。地下へと続くその階段は、かなり深いようだ。こんな僻地によくぞここまで、いや、歴代に名を連ねるとされる錬金術師ならばできなくもないと思い直したベルは、地下への階段を下りる。
「さて、鬼が出るか蛇が出るか。雪も降りそうなことじゃし、さっさと終わらせて、久々に熱い酒でも飲みたいもんじゃな」
階下から一度入り口を見上げたベルは、建物内の構造を調べるために、土魔法と風魔法、更には雷魔法をも融合させた、屋内のマッピングと同時に生物の反応を見つける探索用の魔法を展開した。
「生体反応は……一、か。この反応がジェフリーとなれば、あの娘はおらんようじゃな」
今いる場所よりも更に深くにある部屋に生物の反応を見つけたベルは、おそらくレアは不在と見て、頭を捻る。
レアはどうしてこの場所を知っていたのか、何故ベルに解決して欲しいような素振りを持って情報を渡してきたのか……ベルに答えは出ない。
ともあれ、反応は一つだ。他の部屋を調べる必要はないと、直接ジェフリーのもとへと向かうことにした。
「ふむ。隠れ家の割に、守り手のようなものも置いておらぬようじゃな。そこまでの余裕がないのか、はたから誰も来ぬと高をくくっておるのか……いや、仮にも賢者を名乗る者を殺害できるほどじゃ。ここだけは死守せんとする場所に、力を集結しとると見るべきかな」
女の賢者に劣るとはいえ、賢者と認められるほどだ。研究者寄りの錬金術師が正面から挑んだところで勝てるはずもない。ベルはジェフリーが魔法対策になんらかの手段を持っているものと推測し、目的の場所へとたどり着いたことで、思考を切り替える。
「む?」
扉の向こうからぼそぼそと聞こえる声に、ベルは耳を澄ます。
「あの子も来月で十歳か……時が経つのは早いものだな。君もそう思うだろう?」
ベルの耳に届く男の声。誰かに話しかけているように感じるが、ベルが感じ取った生命反応は一人分だ。
自身の魔法に引っかからなかった何者かがいるのかと、ベルは扉に手をかけ、ゆっくりと開く。
「ははは、あの時はおかしかったな。目を瞑れば昨日のように思い出せるよ」
そこには、ホープから受け取った似顔絵によく似た男がいた。
痩せ細り、髪と髭がかなり伸びてはいるが、ジェフリーに間違いはない。
しかし、ジェフリーが話しかける方向には――誰もいない。何もない空間に向かい、一人で延々と独り言を呟いているだけだ。
いったい何をしているんだと、ベルは疑問に思いながら部屋内を見渡し――
「馬鹿な――」
目に留めたのは、ジェフリーが話しかける何者かではなかった。
そのすぐ側に置かれた台座のような寝台。そこに寝かされている少年――ルシードの存在に、ジェフリーやその他どころではない。
「何故……何故ここにルシードが……」
答えは出ている。
ベルが感じ取った生体反応は一つだ。すなわちそれは、目の前に寝かされているルシードが――生きてはいないということ。
そして何より、ルシードの心臓部分が真っ赤に染まっている事実に、否定できる材料は見当たらない。
ベルは呆然と、立ち尽くすしかなかった……。