006 死んだ者は生き返らない
◇
「遅かったじゃない、待ちかねたわ」
再び王城に足を踏み入れたレアは、昨日の部屋に行くまでもなく、城門を抜けた広場で魔王のもとへ赴くために集まったメンバーに遭遇した。
「……これはこれは皆さんお揃いで。いえ、申し訳ありません、何かと準備が必要だったものですから」
英雄レナードに、その三人の子どもたちのテオ、セフィーリア、シャルニア。レナードのかつての仲間、カーティスの孫であるカーク。同じく仲間のニーナに、そのひ孫たちのレインとレニー。国を支える始祖五家、王家を除いたミラ、セラフ、ルーファ、サーシャ。更には精霊であり、聖剣でもあるアルマリーゼ。
よくぞここまで、いや、レアの知る限り、当たり前と言えば当たり前なのだが、魔王の拠点に押し入ろうとしているにもかかわらず、よくぞ集まったものだと感心する。
「このメンバーならば、やり遂げることができそうですね」
本当ならば、ここにこれだけの人数が集まることはなかった。
レアの知る未来では、ルシードの体が盗まれることはなく、賢者殺害の事件も、ここに集まる彼らはかかわることなく、ベルたちの手によって解決される。レアが自身の目的のためだけに行動し、未来が大きく変わっているからこそ、集まったに違いない。
それで言えば、未来はすでにレアの手から離れていることになる。いや、レアの知る未来とは辻褄が合わないがために手を加えたからこそ、未来が変わったと見るべきか。
しかしそれは、レアとしては本望である。レアの視た未来では、彼女の望むべきものは手に入らないのだから。
「あんたがレアかい。まったく、この歳で魔王退治に付き合わされるとは思ってもみなかったよ」
昨日、レアが去ったあとに戻ったニーナは、レナードに話を聞き、ついて行くことを決めた。
口では愚痴るものの、テーオバルトの忘れ形見でもあるルシードが生き返ると聞いて、黙っていられるものではない。少しでも力になれればと、衰えた体に鞭を打つ。
「いえいえ、拳帝ニーナに力を貸していただけるだけでも心強いですよ」
「ええ、本当に来ていただいて心強いです。レインさんも、レニー君も、よく来てくれました」
レアの言葉に乗る形で、テオが礼を述べる。
「……今の私に過度な期待はしないでくれ。昨日の敗戦は思っていたよりもこたえた。今は戦うことが少し怖いほどにな」
シャドウ――ルシードとの戦いは、レインに軽いトラウマを植えつけていた。今も仮面の奥にある、見えない瞳に射すくめられたことを思い出すだけで、震えるほどに。
「シオンのやつにも声かけてみようか? 昨日の別れ際、勝手に武踏祭に参加したせいで数日は謹慎食らうだろうって話だったから、来られねーだろうと思って、まだ連絡取ってねーんだ」
「やめとけ。あいつはルシードとは無関係だ。これから死地に向かおうってのに、簡単には呼べねぇよ」
「んー、それもそっか」
シャドウとシオンの関係を知らないカークは、レニーの提案に待ったをかける。
戦力としては申し分ないだろうが、ただでさえ未来ある若者を死地に追いやるのだ。これ以上、特に、後輩とも呼べる者を呼べるものではなかった。
シャドウからここにいるメンバーの友人として振る舞い、守るように言われているシオンならば、どんな障害があろうと必ず来るとも知らずに。
「第一、お前らだってほとんど無関係だろ? 考え直すなら今だぞ?」
「いやいや、じーちゃんの関係者なら俺の関係者も同然だよ。若いころの話はばーちゃんから聞いたけど、そのあとのことも知りたいしな」
「そうだな。私もそれが楽しみだ」
当然、レインとレニーはニーナによって止められていたが、黙って聞く二人でもない。ルシードが生き返ることによってテーオバルトの話が聞けるならばと、同行を申し出た。
「が、頑張りましょうね!」
その一方で、シャルニアは武踏祭の予選で戦ったサーシャに声をかけていた。
昨日の一件を知らないシャルニアはどうして始祖五家にまつわる彼女たちが協力してくれるのかは謎だが、予選で戦ったことに加え、歳が近そうなことからも、友だちになれないだろうかと声をかけたのだ。
「私に任せておけば問題ない。大船に乗ったつもりでいるといい」
胸を張って言うサーシャは本当に心強く思える。シャルニアはよりいっそう、年下であろう少女に尊敬の念を抱いた。
「あのっ、今日はよろしくお願いします」
その隣では、同じく予選の相手であったミラに、セフィーリアが挨拶をしていた。
「予選の時は体調悪そうだったけど、もう大丈夫みたいね」
「は、はい、あの時はその、ちょっとありまして……」
ルシードとの馴れ初めを話したところで、彼女たちには興味がないだろうと、セフィーリアも語るようなことはしない。
「あの子たち……」
「どうかしたのか?」
そんな四人を遠巻きに見ていたセラフは、隣に立つルーファからかかった声に、頭によぎった考えを振り払うようにして頭を振った。今優先すべきはルシードだ。セフィーリアたちがどうしてやる気になっているのか、今は考えるべきではない。
「いえ、なんでもありません。今はルシードさん奪還に集中しましょう」
「おう、今回ばかりは失敗するわけにはいかねぇからな」
ルーファは腰の冒険者カバンへと手を伸ばして、軽く触れた。そこには、『常夜の雫』と呼ばれる宝石が入れられている。
それはこの世界に一つしかないとされる宝石。ルーファはそのことを知らず、いまだ名前すら知らない。彼女にとってはそれ自体の名前や価値に意味はなく、ルシードからもらったということだけが重要だ。
昨夜、闇魔法に絶大な効果があると言われていたことを思い出し、今日は必要になるかもしれないと忍ばせている。
「……ニーナ、あの少女をどう見る?」
皆の様子に士気を高める必要もないと、レナードは余計な口を挟まない。
ただ、ニーナにレアと会った感想を聞く。
「話に聞いてた限りじゃなんとも言えなかったけど、実際に会ってみるとどうにも胡散臭いね。シャドウと同じ感じがするよ。まさかとは思うが、兄妹だなんて言い出さないことを祈るしかない」
アルマリーゼが語った話に、武踏祭での出来事はなかった。シャドウがルシードだったとは知らないニーナは、同じ黒髪のレアを怪しむのは仕方のないことなのかもしれない。
「シャドウ?」
それは当然、武踏祭を観戦していないレナードも知らない。シャドウが何者か、ニーナに問う。
「テオのことを知っているようだったよ。昔の仲間の一人かと思ったけど、どうにも違う。大会が終われば会いに来るのかと思っていたのに、どこで何をやっているのかね……」
「……テオの? 仲間でなければ、敵と考えるのが妥当か」
ニーナの口ぶりから息子のテオではないとすぐに察したレナードは、同じくシャドウを警戒する。
「それがどうにもよくわかんないんだよね。私も最初は敵かと思ったんだけど、なんとも言いきれない。うちの子たちだけでなく、あんたの息子の成長を促すような真似をしたりね」
「それは確かに気になるな」
それでは、そのシャドウという者とレアが似ているとはなんなのか、レナードは考え、昔からニーナの、いわゆる『女の勘』と呼ばれるものが一度として的中したためしがなかったことを、長年会っていなかったがために今になって思い出し、レアについての感想を求めたことを、今更ながらに後悔する。
「それでは皆さん、準備もよろしいようなので出発しましょうか」
そこへ、レアが号令を出すようにして切り出した。
「そうね。それで、どこへ向かうのかしら? 五十年前はこの国の東に位置するユーベル領におられたけれど、今も同じ場所に?」
「いいえ、今は南です。魔国領に近いジュレ領、その西に位置する小さな森に住まわれています」
「すまない、ジュレ領は知っているのだが、魔国領とは何かね?」
聞きなれない領土の名前に、レナードが反応した。
「……失礼、魔大陸でした。ともあれ、今はジュレ領にある小さな森におられます。さっそく向かおうと思いますが、よろしいですね?」
レアは言い間違えたように訂正したが、レナードはやはり引っかかる。
とはいえ、掘り返す問題でもないと、レナードは頷いた。
「そうだな、何かと耳の良いお方だ。のんびり準備をしているだけで、こちらの状況を知られるやもしれん。急いだ方がいいだろう。ジュレの西にある森だったな……確かエルムの街が近いか。そこまではギルドから転移で行こう。問題はないな?」
レナードの提案を否定する者はいない。十四名という大所帯が移動するだけで知られる可能性はあるが、相手が相手だ。分かれて攻め入るわけにもいかない。一同はレナードを先頭に、ギルドに向かって移動を開始した。
◇
一方そのころ、ジェフリー・ブラッドフォードの情報を手に入れたホープは、ベルと合流していた。
「お待たせした。出来うる限りの情報は入手したつもりだ」
「早かったの。迷探偵などと呼ばれておったのが不思議なほどじゃ」
ホープの正体を知らないベルは、想像していたよりも早い戻りに、目を丸くする。
「それは……まあ、忘れてくれ、ボクも伊達にAランクではないと言うことさ」
誤解を解きたいところではあるが、今はそんな話をしている場合ではない。ホープはベルの向かいの席へと腰を下ろし、情報を記したメモ帳を取り出した。
「率直に言うと……黒だ」
「ほう、世間の評判は隠れ蓑じゃったか?」
この国でのジェフリーの評判は良い。
だが、それは世間の目をくらませるための芝居だったのかと、ベルはホープに尋ねる。
「いや、評判通りの男だった」
「……過去形じゃな」
ホープの声音に察したのか、ベルは少しだけ目を伏せた。
「彼は二年前、事故で妻子を失っている。……それからは人が変わったように荒れたようだ。酒とギャンブルに溺れ、暴力沙汰も増えた。それが一年ほど続いたそうだが、ある日を境に、それもピタリとやんだ」
「ふむ? 何かあったんじゃな?」
ホープはメモに落としていた視線を上げ、ベルの目を見据える。
「――妻子の墓を掘り起こしたそうだ」
ホープの言葉に、ベルは息を呑む。
「現場に居合わせた友人の話では、正気を失っていたと証言しているが……ここがどうにも引っかかる」
「嘘の証言をしたと?」
妻子の墓を掘り起こすなど正気の沙汰とは思えないが、友人がジェフリーに不利になるような証言をしたのだろうか。ベルはホープが引っかかっている点とやらを聞いた。
「そうではない。ジェフリーは止める友人に対し、『妻子を生き返らせてみせる』と言ったそうだ」
「なるほど、の。確か錬金術師じゃったな……となると、禁忌に手を出したか」
その言葉が意味するところを理解している様子のベルに、ホープは頷いて返す。
「賢者殿の意見を聞きたいのだが……それは可能か?」
ホープの問いに、
「不可能だ」
ベルは考えるまでもなく答えを出した。
「古今東西、一度として死人が蘇ったなどという話は聞いたことがない。ワシはおろか、この世界の頂点に立つ魔王ですら、『死んだ者を生き返らせることはできない』と、そう言っておった。魔王でも成し遂げることができない行いを、誰ができよう。いたずらに死者を弄ぶだけじゃ。故に、禁忌とされている」
「……魔王か。ボクもその名称だけは聞いたことがあるが、なんでも神に等しい力を持つと聞く。その者に不可能ならば誰にもできないだろうな。友人が正気を失っていたと証言するのも、頷けるというところか」
ホープ自身は会ったことはないが、ギルド諜報部に所属するホープは、上司でもある母から一度だけ話を聞いたことがある。曰く、絶対に手を出してはいけない相手、だと。
「話を戻すと、妻子の遺骨を取り出したジェフリーは、しばらくしてどこかへと姿を消した。通常ならすぐに捜索されるところだが、掘り起こしたのが妻子の墓ということに加え、曲がりなりにも歴代の錬金術師に名を連ねる者だ。墓を掘り起こした一件から以前のように大人しくなったことからも、腫れ物のように扱われ、そっとしておこうということになったそうだ。ボクはまだ新人だったことからも、ボクのところまで情報が降りていなかった。見落としていたことを謝るよ」
「ふむ。お主の事情はよくわからんが、今の話だけでは賢者殺害と結び付かんの。何か決め手になるようなものでも見つかったか?」
死人を生き返らせようとしているだけでは、賢者殺害に関与しているとは思えない。
では、ホープは何をもってジェフリーを黒と判断しているのかを、ベルは問う。
「……賢者の石。それが何を意味するか、賢者殿なら知っているだろう?」
当然、ベルは知っている。どうして忘れていたのかと思うほどに。
「それで賢者の心臓か。愚か者が考えそうなことじゃ」
賢者の石。
錬金術に携わる者ならば、夢見る秘宝とも呼べる存在。
その材料は――賢者の心臓とされている。
「確かに、賢者の石があれば死者を蘇らせることができる、などという話は聞いたことがある。……だが、お伽噺にも劣る法螺話じゃ。まさか実践する者がいようとはな……。馬鹿馬鹿しくて思い出せんかったわけじゃ」
たとえ賢者の石があろうと、不可能であるとベルは判断する。
魔法に置き換えるとすぐにわかるものだ。賢者の石と呼ばれる物が存在していたとしても、しょせんは属性を強化する魔石の上位互換にすぎない。ただ、全属性を強化できるという代物だ。治癒魔法を強化したところで、死人を生き返らせるだけの力はない、と。
「しかしこうなると、あのレアと名乗った少女が持ってきた情報は確かなものということだ。あの少女が何者で、何故ボクたちに知らせたのか。……ジェフリーの情報を集める傍ら、あの少女についても調べてみたが、まったく情報は見つからなかった。ギルド間の転移リストにもだ。偽名という感じはしなかったのだがな……」
「……指定の日時は今夜か。あの娘の正体を確かめるためにも、出向くしかなさそうじゃな」
ホープの言葉に、再びレアから受け取ったメモを開いたベルは、記された場所と日時を確認する。
それを見て、ホープも頷いた。
「そうだな。ボクも――」
「お主はここへ残れ。昨日は一睡もしとらんじゃろう? そんな状態では満足に動けん。足手まといもいいとこじゃ」
ジェフリーの情報を集めるためによほど無理をしたのだろう。ホープが今にも倒れそうに見えることからも、ベルは一人で行くと決めた。
「しかしそれでは――」
「むしろ、ワシ一人の方が動きやすい。……それに、二人一緒に何かあってはいかん。ワシが戻らなかった場合のことも考え、お主は応援を呼ぶ手筈を整えてもらいたい。メモには場所と日時だけ……二人一緒にとは書いておらんし、大人数で動いて刺激を与えたくもない。なぁに、お主が寝とる間にも、ワシがちょこっと行って解決してやるわい」
ベルの言葉にも一理ある。なるべくこちらの情報を与えまいと、ホープとベルは二人だけで行動してきた。ここで二人とも倒れるようなことがあれば、真実を知る者はいなくなってしまう。
「……承知した。だが、くれぐれも注意してくれ。賢者殿に死なれては、ルシードに顔向けできなくなる」
「クハハ、そこでルシードの名を出すとは卑怯なやつじゃ。……しかし、これでワシも死ねなくなったというものじゃな」
もう一度ルシードに会うためにも、二人はここで倒れるわけにはいかない。決意を新たに、椅子から立ち上がる。
「これが一年前の情報を元に描き出したジェフリーの似顔絵だ」
ホープはメモ帳に描き出したジェフリーの似顔絵部分のページを破り、ベルに手渡す。
その出来ばえに、ベルは感心するように頷いた。
「ふむ、よく描けておる。では、行ってくるとするかの」
「ああ、ボクも応援を要請するために動こう。それまで持ちこたえてくれ」
ベルとホープは、それぞれの役割を胸に、動き出した。