003 偽りの少女
◇
侯爵家の面々がレナードを訪ねる少し前まで時間は遡る。
「……想像していたよりもお早いご到着でしたね。今のうちに始末しておきたいところですが、ちょっぴりまずい展開にもなりかねないか。……となると、少しばかり時間稼ぎが必要でしょうか」
黒髪の少女は城内へと入って行く侯爵家の背中を見送り、今あの場所に集まるメンバーに動かれては困ると、策を弄することに決めた。
「その前に、連絡を入れておきますか。特にこちらは勝手に動かれては困りますしね」
黒髪の少女は一度王城をあとにすると、目についた公衆魔電通信ボックスに入り、硬貨を投入して調べておいた番号を押す。
『……誰だ?』
数回のコールのあと、男が出た。
「私です。例のもの……手に入りましたよ」
『何!? もう手に入ったのか!? いつだ!? いつこっちへ戻ってくる!?』
例のものが何かなど、確認するまでもない。男は嬉々として、黒髪の少女の帰りはいつかと尋ねる。
「そう焦らないでください。今すぐそちらへ向かうことは造作もないことですが、まだその時ではありません。現状で進めても、また失敗するのがオチですよ?」
『……どういうことだ?』
男には必要なものが足りないと黒髪の少女は言った。では、必要なものが手に入ったと言うのに、何故失敗すると言うのか、男にはわからない。
「そのままの意味ですよ。時が満ちるまで、少しばかりの時間が必要なのです。あなたは知らないかもしれませんが、魔法には周期のようなものがあるのです。最高の条件を整えるためにも、私はもう少し動き回らなくてはいけません」
『……そうか。いや、君が言うのだ。信じよう。しかし、私はいつまで待てばいい? 先に例のものを送ってもらうわけにはいかないのか?』
男にも用意というものがある。手に入ったものの調査をするにも、早く手元へ欲しいと申し出た。
「それがそうもいかないのです。今こうして話しているのも惜しいほどに時間が押しています」
『……私にできることはないのか?』
「何も。むしろ動かれると困るくらいです。私の目には、あなたが動こうとすると裏目に出てしまうように出ています。今は私を信じて、帰りを待っていてください。未来に狂いがなければ、今夜にでもそちらに戻れます」
黒髪の少女の目には、未来が映っているのだ。男に疑う余地はない。
『そうか、そうだな。君の目にはすべてが映っているんだったな。ああ、こうしている時間も惜しいのだったか……すまない、私は大人しく待たせてもらうとしよう。できることがあれば、また連絡をくれ』
「はい。では、のちほど」
黒髪の少女は魔電通信の受話器を置き、小さく笑う。
「さて、と。ちょっぴり忙しくなりそう」
黒髪の少女は、再び王城の中へと移動を開始した。
◇
「ルシードさんは……ルシードさんは――どこですか?」
時は戻り、ルシードの体がないことに、セラフは戸惑いながらも問いかけていた。
「どういうこと? どうして……ルシードがいないの?」
それはセラフだけではない。すぐ隣の部屋にいたにもかかわらず、ルシードの体が消えたことが信じられないとばかりに、アルマリーゼが椅子から立ち上がる。
急いで隣の部屋へと駆け込み、部屋の隅々まで調べるが、おかしなところはない。
当然、窓はあれど、鍵は閉められたままだ。誰かが侵入した形跡がなければ、出て行った形跡もない。
それに何より、一つしかない扉の向こうでは、皆が集まっていたのだ。この部屋で何かあれば、すぐに気づいたはずである。
「状況が飲み込めないのですが、その者が生きていたということはないのですか? そして気づかれることなく、出て行った」
「それはありえません。私も彼が亡くなっていることを確認しています。心臓を貫かれ、大量の血を失っては、治癒魔法とて意味はないでしょう」
レナード自身がルシードの死を確認したのだ。まだ説明を受けたわけではないミリアによって、ルシードが生きていたのではないかと問われ、即座に否定した。
「どうなってやがる? ……テオ、そっちは何か見つけたか?」
「……いえ、おかしな点はありません。窓の鍵はすべて内側から閉められており、無理矢理開錠した様子も、馬鹿げた話ですが、隠し通路のようなものもありません」
アルマリーゼと同じく部屋を調べていたテオとカークはお互いに確認し合い、やはりなんの形跡を見つけられずに終わる。
では、これだけのメンバーが集まる中で、どうやってルシードの体を盗み出したと言うのか。
不可能、ではない。アルマリーゼがルシードの教えた魔法、たとえば自分で選んだポイントに瞬時に移動する、精霊が『抜け道』と呼ぶ魔法ならばできなくはない。
だが、人の身でそれがなせるとは思えない。それには精霊のように膨大な魔力を保持していなければいけないことに加え、あらかじめこの場所にポイントを作っておかねばならないのだ。
ルシードが亡くなったのは昨夜、まだ十二時間ほどしか経っていない。この場所へ運ばれることを予期、いや、もはや予知でもしておかねば、不可能と言っていいだろう。
「レナード様、お呼びでしょうか?」
先程呼び出すために鳴らした鈴の音を聞きつけたメイドがやってくるが――
「お取り込み中のところを申し訳ありません。少しお時間よろしいですか?」
そこへ響く少女の声に、皆の注目が集まる。
いったいどこから現れたのだろうか……。メイドが開いた扉の内側。そこには、壁にもたれるようにして立つ、黒髪に黒い瞳の少女がいた。
「呼び出しておいてすまないが、一度下がってくれ。そちらの君も、君の言うように取り込んでいる。急ぎでなければ出直してもらえないだろうか?」
突如現れた少女に面食らうも、レナードはそれどころではないと、メイドと合わせ、この場から追い払おうとする。
しかし、メイドは一礼して部屋を去って行くが、黒髪の少女は動こうとはしない。
レナードはもう一度声をかけようとして、
「待ちなさい」
少女を注視していたアルマリーゼによって制された。
「あなた……どこかで会ったことがなかったかしら?」
アルマリーゼは少女の顔に見覚えがあった。今はそんなことを気にしている場合ではないとわかっていながらも、どうしても頭から離れず、少女に問いかける。
「いえ、あなたとは初対面ですよ?」
だが、少女は否定した。
「……そう。そうよね、ごめんなさい」
少女の返事に、アルマリーゼは素直に引き下がった。
それというのも、アルマリーゼは少女の顔に見覚えがあると言ったが、厳密には誰かに似ていると言った方が正しいからだ。
しかし、それが誰かを思い出せない。まだ最近、それも重要な人物であったはずなのに……。
「いえいえ、気にしないでください。それに、レナード様が仰られたように、急ぎの用なのです。実は――」
更に思い出そうとするアルマリーゼの耳に、少女の声が届く。その声の感じから、何か大事な話をするのだと察し、思考が止まる。
そして少女は小さく笑い、
「――ルシードさんが今どこにいるか、お教えしようと思いまして」
消えてしまったルシードの所在を知っていると言った。
「な、にを……あなた、何を言っているのか、わかっているんでしょうね?」
アルマリーゼが怒気をはらんだ言葉で少女に詰め寄る。
今この瞬間、ルシードが消えたことを知っているのは、持ち出した犯人しかいないからだ。
「待ってください。今あなたが思っていることは誤解です。私はただ、ルシードさんがどこにいるか、そして取り戻す方法があることを知っているだけです」
少女の奇妙な物言いに、アルマリーゼは少女に向けていた怒りを少し下げた。
この場には、この国を代表する錚々たる顔ぶれが集まっている。ルシードの居場所がわかりさえすれば、取り戻すなど造作もない。
それを、少女は取り戻す方法があると言うのだ。何か方法を用いなければたどり着けない場所があるのなら、続きを聞かないわけにはいかない。
「……どういうこと? あなたの知っているやり方でなければ、ルシードの体は返ってこないとでも言いたいの?」
「いえいえ、違いますよ。そういった意味ではありません」
少女は相も変わらず笑顔を崩さない。
「私が言いたいのはですね……ルシードさんが――生きて帰って来る方法があると言っているんです」
少女の口から出た言葉に、その場にいる者は何も返せない。
死人が生き返る。そんな真似、いったいどこの誰にできると言うのか。
「あれ? 信じてもらえませんか?」
あっけらかんとして小首を傾げる少女に、やっとアルマリーゼは思考の海から復帰する。
「信じられるわけがないでしょう! ふざけているなら――」
「別にふざけてなどいませんよ。私が言っていることは、本当のことです」
少女の言葉を信じたい。信じたくはあるが、信じきれるものではない。
「……まだ名前を聞いていなかったわね。あなたが何者で、どこから来たのか、教えてもらってもいいかしら?」
だからアルマリーゼは問う。少女の口から、なんらかの手がかりが出てはこないかと期待して。
「うーん……困りましたね。それはちょっとお答えできません」
「何故?」
「私がどこから来て、何をしようとしているかなんて、語ったところであなたたちは信じないでしょうし、同じ問答を繰り返すだけです」
「そんなことは――」
「ありますよ。それに、あなたたちは私の素性なんて、本当はどうでもいいことでしょう? あなたたちが求めているのは、ルシードさんなのですから」
少女の言葉に、誰の口からも否定する声は出なかった。
確かにその通りなのだ。少女が何者であれ、ルシードが五体満足で、しかも、生きて戻って来ると言うのなら、文句の付け所はない。
「そうは言っても、名前がないと呼んでいただく時に不便ですね」
皆がどうしたものかと考えていたその時、少女がまた小さく笑う。
「私の名前はレア。気軽にレアと呼んでいただいて構いません」
少女は――レアと名乗り、軽くお辞儀をした。
その名に、聞き覚えがある者はいない。
「……そう。レア、ね。それで、私たちはどうすればいいのかしら?」
レアの存在は怪しいなんてものではない。
だが、ルシードを取り戻すためにも、続きを聞かなければならないのも事実。アルマリーゼはレアに続きを促す。
その一方で、『この少女は嘘をついている』と、そう直感していたのは五人。四人娘の母親たちに、レナードだ。彼らは長い経験から、即座にレアが偽りを述べていることがわかった。
しかし、レアの嘘がどれかまではわからない。普通に考えれば死人が蘇るというところだが、レナードにとっては命の恩人であり、母親たちにとっては娘たちの重要人物らしいのだ。心のどこかで期待しているのかもしれないことから、安易に嘘と決めつけることができなかった。
それに何より、今この場でそれを告げるわけにはいかない。
レアがルシードの体の在り処を知っていることは確実だ。そうでなければ、こんな話が出て来るはずもない。そして、少女が嘘をついていると告げた瞬間、この場から消えてなくなる可能性がある。それは、捕らえようとしても同じ結果になるだろうことも直感していた。
「それがですね……私もどうしたものかと悩んでいたのですが、ある物を手に入れないことには、ルシードさんは生き返らないんですよね」
ここに来て初めて、レアは困ったふうに言う。
「ある物?」
わざと言葉を濁しているのだろうか。アルマリーゼにしてみれば、早く会話を進めたいところだ。
「――魂」
だが、レアから出たきた言葉に、その場の空気が固まる。
確かに人が生き返ると言うのなら、それは欠かせないものかもしれない。
しかし、俗に魂と呼ばれるものは、肉体が朽ちると同時に、いずこかに消えるとされている。それを探すとなると、レアが困っているのも納得できるというものだ。
「いえ、魂のある場所は知っているんですよ? でも、どうやって手に入れてよいものか……これが一番の謎なんですよ」
そんな場の空気に気づかないレアは、一番の問題になりそうな魂の在り処を知っていると言う。
「ちょ、ちょっと待ちなさい、あなた……それがどこにあるか知っているの? それはどこよ!?」
魂の在り処がわかっているなら話は早いではないか。アルマリーゼは肉薄せんばかりにレアに詰め寄が――
「――魔王様。今は魔王様の手元にあるんですよね」
レアの口から発せられた言葉は、その存在を知る者からすれば――絶望しかなかった。