002 消失
◇
ルシードが亡くなった翌日、そろそろ昼に差しかかろうかという時間に、王城に八人の親子が足を踏み入れていた。
それはフォルギス、トリスティア、ヘルベルク、レヴィリアの名を持つ、王家を含めて始祖五家と呼ばれる者たちだった。
レナードの身近な人物が亡くなったとの報せを受け、弔問に現れた家の代表と聞けばどうということはないが、今回ばかりはそうもいかない。
「それで、誰が亡くなったのよ?」
「いえ、そこまでは聞かされていません。ただ、身近な方が亡くなったとしか……」
「ふーん。英雄の身近ってことは、昔の仲間とかか?」
「正直めんどい」
それはもちろん、ルシードと顔見知りであるミラ、セラフ、ルーファ、サーシャであり、王家やその他の貴族たちからも恐れられる、その母親たちだからだ。
「聖クルス祭の当日に死ぬなんて、ついてないやつがいたもんね」
「ミラ、声が大きいですよ」
「おっと、ごめんごめん」
とはいえ、少女たちにとっては誇れる存在であり、恐れる対象ではない。いつものように軽口をたたいたところを母――ミリアに窘められ、ミラも流石にまずかったかと舌を出した。
「昨日は寝ていないのでしょう? 気持ちに余裕を持つことは大事ですが、居眠りは困りますよ?」
「……大丈夫ですよ。私たちも、自分たちの立場はわきまえていますから」
母――ライラの声に、セラフが四人を代表して対応した。
武踏祭を最後まで見ていたから、ではない。昨夜、日付も変わろうかとしている時に見た光。あの光がどうしても気になった四人は、現場に駆けつけた。
しかし、時すでに遅く、現場にはなんの手がかりも残されてはいなかったのだ。周囲に集まった野次馬に尋ねても、誰一人として何があったか知らず、残されていたという血溜まりも、いつの間にやら消えていたと言う。
それが何故か頭から離れなかった四人は明け方まで周囲を探ったものの、なんの成果も得られずに終わった。
「……ん?」
そこへ、前方から近づく人影。その容姿に、八人は自然と足を止めた。
「……サテラ? あなた、隠し子でもいましたか?」
「女神ルナミリスに誓ってありませんよ」
ルーファの母――レジーナの声に、サーシャの母――サテラが応じた。
それもそのはず。前方から歩いて来る少女の髪が黒髪だったからだ。この地方では珍しい黒髪。女に限るが、見かけるとすれば、レヴィリアの名を持つ者くらいだ。
しかし、これまで王城には幾度となく足を運んだが、前方の少女は見たことがないことも事実。王城に出入りしているとなれば、レジーナだけでなく、他の者までもがレヴィリア家に隠し子がいたのではないかと疑うのは自然か。
とはいえ、サテラに思い当たるところはない。それに何より、
「それに、あの子の瞳は黒じゃありませんか」
少女の瞳は紫ではない。黒髪に紫の瞳を持つ者なればこそ、レヴィリアに名を連ねると言えるのだから。
「それもそうですね」
レジーナが納得するまでの間にも、少女は近づいて来る。
こちらの正体を知っているからか、少女は軽く頭を下げると、ルーファに対して鋭い視線を投げかけ、無言でその場を離れて行く。
「知り合い……じゃないよね?」
少女がルーファに向けた視線はどうということはない。ルーファは意味がわからないとばかりに眉根を寄せているが、どうせいつものように、ルーファの胸に対する嫉妬が表に出てしまっただけだろうと、他のメンバーは気にも留めなかった。
それよりも、黒髪の少女がこちらに向ける視線が、友人に対するそれに感じたために、四人娘は確認し合う。
「いえ、私は見覚えがありませんね」
「私もない。それに……」
「黒髪なら忘れるわけねーしな」
魔法都市レーヴェやその周辺の村でさえ、黒髪というのは皆無と言っていいかもしれない。彼女たちにとって、ルシードとアルマリーゼが黒髪であったことは奇跡のような出会いであり、他に出会っていれば、まず忘れることはないだろう。
これは母親たちも同じだ。自然と視線を交し合うが、誰一人として心当たりはない。
「深く詮索したところで意味はなさそうですね。先を急ぎますよ」
誰に引きとめられるわけではなく王城から出て来たのだ。王城に住む者の関係者だろうと、八人は気にしないことにした。
◇
王城の一室に、四人の男女が集まっている。
一人は英雄たちの代表とされるレナード、その子どもであるテオ。七年前に生まれた麒麟児であるカーク。
そして――『聖剣』アルマリーゼだ。
「……そろそろ送り出す用意をしないとな。テオ、寝ていないところを悪いが、手伝ってくれるか? 夜には始祖五家、更にはガーディアン家や リースフェルト家などの有力貴族も来るはずだ。それまでにできる限りのことはやっておきたい」
「もちろんです」
「俺にもできることがあったら言ってくれよ」
ニーナたちはアルマリーゼの話を聞いて部屋を出たきり戻らず、セフィーリアとシャルニアもアルマリーゼと同様に動こうとはしなかったが、泣き腫らした顔で送り出すべきではないと諭され、現在は別室で休んでいる。
「レナード様、侯爵家の方々が弔問に来られました。フォルギス様、トリスティア様、ヘルベルク様、レヴィリア様。皆様、お嬢様を伴っての挨拶をしたいと申されております」
そこへ、世話役として宛がわれたメイドが報せに現れた。
「このタイミングでか。できれば夜にして欲しいと言ったのだが、相も変わらず動くのが速い」
王城に遺体を持って帰るのだ。身元のはっきりしない者の遺体では、拒否されてしまうのではないかと考えて身近な者としたが、少々早まった真似をしてしまったと、レナードは後悔。
始祖五家が相手となると、詳しい話を求められた場合、拒否することなどできるはずがない。
正直に話すべきか、いや、それではここにいるアルマリーゼのことまで話さなくてはならなくなる。アルマリーゼが聖剣と知られれば、強制的に徴収しようと動く可能性もなくはない。
かつての仲間――アルテナ。聖剣であった少女の名をルナとしたのも、これを危惧してのことだった。
一度だけ聖剣としての力を借りることとなってしまったが、当時は今ほど技術も発達しておらず、遠征の地からほど遠い王都シュトラスまでは、連絡が届くまでに時間がかかった。
その間にもアルテナがテーオバルトと消えたということもあり、その時は大事に至らなかったが、今回も同じとは言いきれない。
「レナード様? お通ししてもよろしいでしょうか?」
考え込むレナードに、メイドがどうしたものかと尋ねる。相手は始祖五家、待たせるわけにもいかないだろう。
「通しなさい。彼女たちにも知る権利があるわ」
「……知り合い、なのかね?」
レナードの代わりに応じたアルマリーゼに、レナードが問う。アルマリーゼの過去を聞く限り、始祖五家はかかわっていなかったからだ。
「私というより……ルシードの、ね。ここへ来たのが、彼女たちだとは限らないけれど……」
魔法都市レーヴェで出会った四人の少女の顔を思い浮かべ、彼女たちに黙っておくわけにもいかないと、アルマリーゼは会う覚悟を決める。
「……そうか。では、ここへ通してもらえるかな? 流石に狭いが、ここを離れるわけにもいかない」
「かしこまりました」
隣の部屋ではルシードが眠っている。側を離れようとしないアルマリーゼを、別の部屋に移動させるのは困難を極めるだろう。
◇
少しの間があって、再び現れたメイドによって扉が開かれる。
――刹那、サテラが戸惑うように息を呑んだ。
その様子に疑問符を浮かべながらも、ミリアが一歩前に出る。
「レナード卿、この度は――」
「あれ? あんた……アルマリーゼ?」
「――ミラ」
ミリアが代表して哀悼の意を表そうとしたところへ、部屋の中を見渡していたミラが呟いた。
すぐさまミリアが窘めるものの、他の三人も止まらない。
「えっ!? アルマリーゼさん、そのお姿はどうされたんですか!?」
「な、なんかすっげぇ白くなってんぞ!?」
「イメチェン?」
「……生まれ変わったと表現した方が正しいかしらね。どう? 綺麗になったでしょう?」
笑顔で返答するアルマリーゼに、四人娘は戸惑う。最初こそアルマリーゼの変貌に驚いたが、その白く染まった姿の上に羽織るコートが、赤く彩られていることに気づいたからだ。
アルマリーゼの本来の姿を知らない母親たちはすぐに気づいていたからこそ、様子を見守るようにして言葉を発しないでいる。
「……ルシードはどこだよ? お前がいるってことは、あいつもいるんだろ?」
だが、何があったのかを聞く前に、どうしても確かめておかなければならないことがある。アルマリーゼがここにいるなら、ルシードもいるはずなのだ。
どこか嫌な予感を覚えながらも尋ねるルーファの声に、重い空気が流れる。
「ルシードは……隣の部屋で、寝ています」
何も答えないアルマリーゼに代わり、テオが答えた。いまだに死んだとは思いたくないからか、言葉を濁す形となったことは、責められないだろう。
「何よ、もう昼だってのに、まだ寝てるの?」
「私が起こしに行く」
テオが、しまった、と思った時にはもう遅い、サーシャが隣の部屋に向けて歩き出した。
「テオ、すぐにバレる嘘はするものではないわ」
そこへ、サーシャを呼び止めるようにしてアルマリーゼが口を開いた。これにはサーシャも足を止め、振り返る。
「……嘘、とは?」
「ルシードは――死んだわ」
アルマリーゼが何を言ったのか、四人は瞬時に理解できなかった。
ミラはアルマリーゼの冗談だと信じようとはせず、セラフはただ静かに答えを待ち、サーシャは睨むように眉根を寄せた。ただ一人、ルーファだけがどこか否定しきれないものがあったのか、その場で呆然とたたずむ。
「――何かの、冗談?」
重い空気の中、ミラが問う。
「いいえ、本当のことよ。ルシードは、殺されたの」
アルマリーゼの言葉により、一瞬にして怒りの感情がその場に漂った。
「なん、ですって?」
問うたミラ自身、聞き間違いではないかと耳を疑いながらも、湧き上がる怒りを抑えることができない。
サーシャは固まりながらも怒りに震え、ルーファは拳を強く握りしめて動けずにいる。
「――殺してやる」
そこへ、底冷えしそうなほどに冷たい声が、小さくこだました。
いや、実際にセラフから発せられる魔力が冷気となり、部屋の気温を下げている。
過去、セラフからは発せられたこともない声音に、一瞬、誰が発した言葉かわからなかったのだろう。ミラとサーシャはギョッとしてセラフを見つめ、母であるライラも、娘の変貌に目を見張ったほどだ。
「アルマリーゼさん。誰が、ルシードさんを……?」
しかし、セラフがアルマリーゼに向けた顔は、笑顔だった。天使の微笑みを携え、アルマリーゼに問いかける。
「ごめんなさい、言い方がおかしかったわね」
セラフの様子に、アルマリーゼは取り乱したりはしない。少しだけ目を伏せ、
「――ルシードは、私が殺したの」
平然と答えた。
これにはセラフも微笑みを消して、驚愕の表情を浮かべるしかない。
「……あなたが、ルシードさんを?」
それでも、セラフはアルマリーゼに歩み寄る。
「ええ、そうよ。私がこの手で、ルシードを殺したの」
注意していなければ見逃しそうなほどに速い平手が、アルマリーゼの頬を叩いた。
一瞬にして、アルマリーゼの白い頬が赤く染まる。
「……どうしたの? 殺してくれるんでしょう?」
「死にたがっている人を殺してあげるほど、私は優しくありません」
セラフの目には、アルマリーゼが罰を求めているように映っていた。自分で死ぬわけにはいかない。だから、殺してくれと言わんばかりに……。
「……レナード卿、説明していただけますか?」
ここで初めて、傍観していた母親たちが鋭い瞳をレナードに投げかけた。
説明とは、ルシードが死んだ経緯を、ではない。要は、愛娘たちとどこぞの男の関係を聞かれているのだ。殺されたと聞かされた愛娘たちが激怒するほどに傾倒している男とは誰なのかと。
だが、レナードにとっては針のむしろだ。四人娘とルシードの間に何があったかなど知りもしない。説明を求められたとて、答えられるものではないのだから。
「長くなります。まずは皆さんの椅子を用意してもらいましょう。それとも、どこか広い場所へ移動しましょうか?」
そんな父を援護するべく、テオが切り出した。
「いえ、ここで結構。娘たちも移動する気はないでしょう」
当初、侯爵家の母親たちは長居する予定ではなかった。
だが、娘たちの様子は尋常ではないのだ。ここで無理矢理連れ帰ろうものなら、何をしでかすかも想像できない。今は目の届く場所に置いておくしかなかった。
「わかりました。では、すぐに椅子を用意させましょう」
テオの提案を引き継ぐ形で、レナードがメイドを呼び出すための鈴を鳴らす。
「隣の部屋で……寝ておられるんですね」
それを待つ間にも、セラフが隣の部屋への扉へと重い足取りを進めた。話を聞く前に、一度ルシードの顔を見ておきたかったのだ。
「はい。本当に眠るようにして……」
答えるテオは、最後まで口にできない。
そんなテオに、ミラとサーシャは無言で頷き、セラフに続こうとして、一人足りないことに、一度振り返る。
「……ルーファ?」
ただ一人、ルーファだけはその場から動けなかった。名前を呼ばれても、それは変わらない。
見たくなどない。見てしまえば、二度と立ち上がることはできなくなってしまうという思いが、ルーファにはあったのだ。
「……いえ、落ち着いたら来てください」
その様子に、セラフも強くは言えない。
想いの強さで譲る気はないが、恋愛という感情だけで言えば、自分たちの中で一番はルーファだろうと自覚しているからだ。
ルーファのことは落ち着くまで待とうと、先にルシードが眠る部屋への扉を開き――息を呑む。
「……えっ?」
その声は誰のものか。
アルマリーゼはあまりの驚愕に、声も出せず固まっている。テオとカークも、セラフが開く扉をじっと見守っていたが、完全に開かれたところで目を疑った。
ゆっくりと振り返るセラフの表情も、戸惑いを隠せてはいない。
「ルシードさんは……ルシードさんは――どこですか?」
何故なら、そこに寝かされていたはずのルシードの体が――消えていたからだ。