001 狂人たち
◇
世界の理を壊すことを決めた男は、禁忌とされる研究に手を出した。
だが、男はいくら研究を続けても、何も成し得ることができないでいた。
「何故だ……何故、何故成功しない! 何が足りないんだ! 何が、何が――ッ!」
理論は完璧なはずだった。対価に必要な物も手に入れた。
しかし、一向に成果が得られない。
何度繰り返しても同じ、別の見方を考えても、同じ結論に至る。
では、何故――
「それはですね……本当に必要な物が足りていないからなんですよ」
そこへ語りかける女の声。
この研究所には男しかいないのだ。まさか自分の研究が外部に漏れ、国の調査団がやってきたのだろうか。
いや、それは違う。調査団の者ならば、第一声はもっと別のものであるはずだ。
だから男は取り乱したりはしない。ゆっくりと声のした方向へと振り向く。
そこには確かに女がいた。十五かそこらにしか見えない、黒い髪を腰まで伸ばした少女と言った方が正しいか。
一瞬、女であること、そして黒髪であることからもレヴィリア家の者ではないかと疑うが、少女の瞳の色は黒だ。ならば、国の者である可能性は低い。
「……必要な物とは、なんだ?」
男は少女に問う。少女が何者かなど、研究の成功に繋がるならば、どうでもよかった。
「――魔法使いの心臓ですよ」
その少女は軽く微笑み、さも当たり前のように言葉を紡ぐ。
しかし、男は鼻で笑った。
すでに魔法使いの心臓は手に入れている。しかも、レア物とされる男賢者の心臓を複数だ。それなのに、男の研究は成功していない。だからこそ、必要な物が何かと聞いたのだ。
「それはもう――」
「あなたが手に入れた物では、研究は成功しないと言っているんですよ」
「――な、に?」
少女をどう始末しようかと考えるために会話を続けようとした矢先、男は不意を突かれて言葉に詰まる。
「あなたが手にした物は粗悪品であり、いくら数を用意したところで意味はない。そう申しているのです」
次に出た少女の言葉に、男は考える。
粗悪品であることは予想したことだ。まだ数が足りないのかと、更に多くの心臓を求めて、男賢者を捜し出しては殺害したことも事実。
だがそれも、数を集めたところで意味がないと言う少女が正しければ、これまでの行為は無駄となる。
「……その粗悪品ではない心臓に、心当たりがあるのか?」
しかし、男はここで終わりにするつもりはない。今まで犯した数多くの犯罪行為など、些細な問題だ。もはや悔やむ気持ちすら、持ち合わせてはいないのだから。
「十二月二十五日に、この場所へ」
男の問いに、少女は一枚の紙を、机の上に置いた。
「その日でなければいけないのか?」
十二月二十五日はまだ少し先だ。研究を急ぐ男にとって、時間は惜しい。
「はい。あなたも実際に見てみないことには、信じられないでしょう? 私の言葉が嘘でないことを証明するためにも、この日でなければいけません」
少女の言う通り、男はまだ信じきれてはいない。
それでも、一縷の望みに賭け、少女が寄こした紙を手に取る。
「王都か。……時間の指定もあるようだが?」
紙に記された場所は、王都シュトラスの一角。しかし不思議なことに、日付だけでなく、時間の指定までされていた。心臓を奪われる者が、時間通りにやってくるなど、おかしな話である。
「私は――未来視を持っているのです。その日、その時間に、彼は必ず現れます」
少女の言葉に、男はますます少女が怪しく見える。
『未来視』という言葉は聞いたことがある。だが、それは神にも等しい行為だ。信じられるはずがない。それに何より、未来視があるというのなら、今この場に現れたというのなら、どうしてあの時――。
「あなたの過去に起こった出来事は残念に思います。ですが、その時点ではまだ、私の目は不完全なものでした。私に視えた時には、助けることができないほどに手遅れだったのです」
男がどうしてあの時救ってくれなかったのかと憤怒しかけた瞬間、少女は男の心情を見抜いたかのように言葉を続けた。
「だからこうして、何かお手伝いができないかと、ここに来たのです」
男はまだ信じられない。それでも、少女がこの場所へ現れたということは、この先の未来で起こる何かを視たからこそ、ここへ来ることができたのかもしれない。
「……この日のこの時間、この場所へ行けば、私の研究は成功するんだな?」
まるで悪魔のような少女だ。誘導されている。そう思ってはいても、男は逆らえない。未来視を持つという少女の機嫌を損ねてしまっては、これから先、すべてにおいて邪魔されることは間違いない。そうなると、自分の研究が成功する未来は、絶対に訪れないのだから。
「はい」
少女はにっこりと、肯定した。
「その日は私も同行します。それまでは大人しく息をひそめておいてください。今はあなたのことを捜し出そうとしている者もいます。私がなんとかしたいところなのですが……今の私では勝ち目がありません」
賢者を幾人も殺したのだ。男を捜している者がいるのは、当然だろう。しかし、未来視を持つと称する少女をもってしても勝てないとは、厄介極まりない。
「……わかった。何か用意しておく物はあるか?」
「人目につかない服装だけで結構です。……では、またお会いしましょう」
少女はもう一度微笑み、自身の影の中へと消えていく。
それを目にしても、男に驚きはない。未来視を持っていると言うのだ。本当に悪魔ならば、それくらいの芸当はやってのけてもおかしくはない。
それに、転移水晶も用いずに転移したというのなら、未来視を持っているというのも、あながち嘘ではないのかもしれない。
「王都、か。目ぼしい人物には粗方目を通したはずだが……」
少女の寄こした紙に目を落とし、男は考える。
始祖五家の威光が強いためだろう。王都に賢者は存在していない。
しかし、少女が『彼』と言ったことからも、男で間違いはないはずだ。
では、他に男の魔法使いが王都にいただろうかと、思いを巡らせる。
「……麒麟児シオンのことか? 手を出すには危険すぎる相手だが……それならば納得もいく」
麒麟児と呼ばれる少年が誕生したという噂は、男の耳にも入っていた。
しかも、男でありながら魔法を使うという不確かな噂まで。
だが、今までのように不意を突いて倒せる相手ではない。男も不確かな情報であること、更には男ではなく、実は女であるなどという突拍子もない噂も出ていることから、シオンには手を出すまいとしていたのだ。
とはいえ、他に心当たりはない。男は来る十二月二十五日を、心待ちにするのだった。
◇
そして、男は見た。
――とある少年が、魔剣を聖剣へと転生させるその瞬間を。
「信じていただけましたか?」
少女が光悦とした表情で男に問いかける。
男も、この時ばかりは信じないわけにはいかなかった。誰も近寄れないとされるほどの結界の中へ平然と踏み入れる少女。見たこともない魔石を渡され、それが周囲に探知されない魔法が込められていると知った時には、夢の中にいるのではないかと思わせたほどだ。
そして、トドメとばかりに目の前の光景を見せられては、信じない方がおかしいというものである。
確かにあの少年の心臓が手に入れば、自分の研究も成功するに違いないという確証さえ、持ちそうになるのだから。
「何が……何が望みだ?」
「――何も」
馬鹿な。信じられるわけがない。
男は等価交換の世界で生きてきたのだ。対価を得ずに話を持ちかけるなど、到底信じられるものではない。
「すぐに手に入れてくれ」
だが、男の返事は決まっていた。
男はすでに狂っているのだ。
必要なものが目の前にあるならば、何を犠牲にしてでも、この誘いに乗らないはずはなかった。
「わかりました。……ですが、この場で今すぐに、というわけにはいきません。直に数多くの者が集まってきます」
「ならば、どうするというのだ?」
少女の危惧するところも理解できる。人払いの魔法が消えた今、先程の眩いばかりの光を見て、人が集まってくることは間違いないだろう。近くでは武踏祭も開催されていたはずだ。実力者に集われては、手が出せないというのも、頷ける。
「それも数日です。近々、彼を送り出すために葬式が開かれることでしょう。それまでの間に隙を見て、私の方で盗み出しておきます」
「そんなことが……いや、そうだな、君に任せよう」
転移できるという少女ならば、それは簡単なことなのかもしれない。男は介入をやめ、素直に従うことにした。
「では、私は研究所に戻る。あとは任せたぞ」
「はい」
少女の返事を待って、男はその場から姿を消した。
「……ク、クハハ、もう少し、もう少しだよ! これが終わればやっと会いに行ける。……もう少しだけ我慢してね――お兄ちゃん」
ある意味、少女も狂っていた。そうでなければ、この時、この場所に現れるはずはないのだから。