009 平行世界
◇
歪んだ空間から現れた三人のベル。
その姿は、ジェフリーに対峙していたベルと、何一つ変わらない。
「よく集まってくれた。敵は……あやつじゃ」
「相手は知らぬ顔じゃな。何者じゃ?」
「ふむ。ワシも初めて見る顔じゃな」
「ワシも……む? しばし待て、何故四人おる?」
お互いに驚く素振りこそ見せなかったというのに、その場にいるのが四人だと知ると、呼び出したベルを除いた三人は各々が目を丸くする。
「ほう。その驚きを見るに、お主たちはまだ二人しか呼び出せぬか。どうやら並行世界の中でも、三人目を呼び出せる時点の者は来ておらぬようじゃな」
並行世界。
ベルはこともなげに口にしたが、それは確かに存在する。
かつて、まだ魔王に挑もうと試行錯誤を重ねたベルは、時を操る自身の魔法を発展させ、多大な魔力を消費することからも自身のみという限定ではあるが、並行時空より、自分と同じ存在を二人まで呼び出すことに成功していた。
「クハハ、昔は三重奏などと呼ばれもしたが、今は四重奏といったところかの?」
そして今や、弟子に先を越されまいとしたベルは、自身の奥の手ともされる魔法に磨きをかけ、三人目の召喚ができるようになっている。
「――三重奏? そうか! お前が賢者、メヌエット・アーリー・オズワルドか!」
三重奏。その単語から、同時に三つの魔法を操ることで名を馳せた賢者がいたことを思い出したジェフリーが叫ぶ。
「……そのような名で呼ばれたこともあったかの」
すると、四人のベルたちはその時に名乗っていた名を呼び覚まされ、懐かしくも恥ずかしい思い出までもが頭によぎり、気まずそうに目を逸らして見せた。
それというのも、並行世界であるとはいえ、世間で考えられているように、存在する世界によってそれぞれの進む道が違う、というわけではない。
同じ存在である限り、同じ両親から生まれ、同じ街で育つ。
それは、世界は違えど、同じ考え方を持つことからも同じ文明へと進み、まるで同じ人生を歩むかのごとく、同じ結果に収束するかのごとく、同じ道を選んで行くことになるというのが、この魔法を編み出して知り得たベルの認識だ。
AとBの箱があり、Aを選んだ世界とBを選んだ世界は同時に起こりえない。同じ存在同士、同じ考えのもと、同じ選択をする。なんとも浪漫がない話ではあるが、ベルが過去幾度かに渡り自分を呼び寄せ、照らし合わせた結果でもあった。
探すことを諦めなければ違う道を選んだ世界があるのかもしれないが、呼び出す者すべてが自分と同じ道を辿ったのだと話すものだから、いつしか面倒臭くなって探すのをやめた結果でもある。
唯一、この法則に縛られないのが魔法を開発し、並行世界へ関与できるベルではあるが、手を加えなければやはり同じ存在だ。
同じ考えを持つ者同士、過去に名乗った名前などはどれも同じ。呼び出しはしても、過去の経験などをお互いに話し合った程度であり、影響を与えるような会話はしなかった。ならば当然、ここにいる四人のベルは同じ体験をしたに違いない。
並行世界の自分というよりも、自分の同一存在を呼び出していると考えた方が近いか。
違いが起こるとすれば、並行世界に唯一関与できるベルによって、現時点に達していない者たちへと情報を伝えることにより、これから起こりえる未来に手を加えるというものである。
しかし、並行世界の未来を変えるほどの関与を行ったところで、この世界の何かが変わるわけではない。
やはり存在している世界は別であり、ベルの行いによって並行世界へ先の未来を知らせ、起こりえる未来を修正したのだとしても、この世界の今現在は何も変わらない。
関与を行わなかった並行世界へも世界の修正力によって変化がもたらされるが、すでに失われたものだけはどうしようもないのだ。
現時点へ達していない別世界の未来を修正できる利点はあるが、この世界は何も変わらないという欠点もある。
「とにもかくにも話はあとじゃ。今はあやつを止めることが先決じゃ」
ベルが四人になったことで呆然としていたジェフリーは、この世界のベルが一歩前へ出たことで我に返る。
「やはり私の研究が狙いか!? それとも賢者どもを殺した報復か!?」
ベルの容姿が子どもであることを不審に思うような素振りも見せず、ベルの目的を知らないジェフリーは激昂する。今更数が増えたところで、相手が魔法使いならば気にもしない。
「まあ、いい。どの道、生きて返すつもりはない!」
研究を奪われまいとしたジェフリーは懐から六つの珠を取り出すと、自身の周囲を守らせていたゴーレムたちへと放り投げ、そこへフラスコの液体を撒いて回る。
「ふはははは! 数が集まったところで何ができる! 貴様が魔法使いである限り、私のゴーレムに勝てると思うなよ!?」
白、黒、赤、青、茶、緑。
六つの珠はゴーレムたちに溶け込むようにして混じり合い、それぞれの色に対応したゴーレムへと変貌を開始する。
「ほう。ゴーレムに属性を纏わせておるのか……。相手の魔法に合わせ、それぞれ対応したゴーレムが動くことにより、相手の魔法を相反、無効化するんじゃな。魔法使い対策とは、なかなかに考えておる」
「上位魔法を込めた魔法珠を持ち合わせておるとは、真理の文字なしに操っているところからも只者ではないな」
「確かにあやつの言うように、ただの現代魔法の使い手には天敵とも呼べるものかもしれんの。これほどの錬金術師が現存しとったとは……何者じゃ?」
ジェフリーが作り出したゴーレムを感心するように検証していた並行世界のベルたちは、この世界のベルへと視線を向ける。
「ジェフリー・ブラッドフォード。お主らも名前くらいは聞いたことがあるじゃろう?」
同じ存在である自分が知っているのだ。わざわざ詳しく説明する必要もないだろうとベルが簡単に説明すると、並行世界のベルたちはさも当たり前のように頷き返す。
「こやつがそうか。……しかし、噂を耳にした程度じゃが、悪事を働くような者ではなかったはずじゃ」
「詮索はあとにせい。あやつの準備が終わったようじゃ」
魔法珠を完全に取り込んだゴーレムたちは変貌を遂げ、その間にもフラスコを振り撒き、新たに通常のゴーレムを作り出していたジェフリーは、中身が空になったところで、ベルたちへと振り向く。
「さあ、お前たち、私の研究を盗もうとする愚か者どもに裁きをくだせ!」
ジェフリーの掛け声によって、再びゴーレムたちが動き出す。
「何か知らぬがやたらと敵視されとるの。この世界のワシは、いったい何をしたんじゃ?」
「ふん、腸が煮えくり返っとるのはワシの方じゃ。遠慮はいらぬ、存分に暴れるがよい」
「あの程度の者にワシらを呼び出すほどじゃ。言われんでもわかっておる」
「クハハ、それでは好きに暴れさせてもらうとするかの」
ベルたちを襲わんとするゴーレムたちは、その見かけによらず動きが速い。
しかも、ジェフリーを守護するように取り巻く六体のゴーレム。それぞれの属性を纏ったゴーレムには、魔法が通じない。
それというのも、ベルのように魔法を極めた者たちにとって、相手が魔法を使う際に発生する魔素の揺らぎから属性色を見抜いていたならば、己の身に同じ属性を纏うことで、相手の魔法をすり抜け、無効化させることができるからだ。
一つの属性しか操れない魔法使いにはできない芸当ではあるが、すべての属性を手足のように操るベルにとっては造作もない。
それは、武踏祭にてレインの雷魔法を無効化して見せたルシードと同じ魔法対策だ。
ただ一つ、土魔法のように物体は体をすり抜けるようなことはできないのだが、ゴーレムは土を元にして作られている。通常はすり抜けるはずの実体がない魔法も糧とするように取り込み、物体でさえも土と混ざり合うようにして、取り込むことは想像に難くない。
いかに賢者といえど魔法を完全に封殺されては、体術を鍛えていない者たちにとって、天敵と言える存在には違いないだろう。各地の賢者たちが敗れたとしても、なんら不思議はない。
「クハハ、やはりこの程度か!」
とはいえ、それは並の、それも現代の使い手が相手ならばの話だ。
千年近くをも生きたベルの体に溜め込まれた気の量は絶大であり、わざわざ魔法を使って相手をしてやる必要もない。
ゴーレム以上の速度で接近し、外気術により相手の体内へと力を送り込み、体内のどこかにある魔石ともども爆散させる。ただそれだけで、ゴーレムたちは再生することなく、ただの土へと還る。
これを繰り返すだけで、今もジェフリーの側を動かない属性ゴーレムが相手でも、何も問題はない。
いかに魔石によって真理の文字を必要としなくとも、しょせんは気の力を操ることができないゴーレムだ。流し込まれた気の力を押し返すことも、抗うこともできず、全身を粉々に吹き飛ばされるしかない。中核をなしている魔石ごと破壊されては、再生することは叶わないだろう。
「な、なんだそれは……。お前は魔法使いではないのか!?」
一体、また一体と破壊されていくゴーレムたちに、ジェフリーは悲痛な叫びを上げた。
「ま、魔法を使うまでもないと言うことじゃ!」
そんなジェフリーの叫びに、四人のベルたちの、どこか焦った声が重なった。
と言うのも、かつて二人の自分を呼び出せるようになった際、『三重唱』という渾名を広めさせた時のことだ。
その名から『同時に三つの魔法を唱える』などという噂が一人歩きし、実際にはそういうわけではないと思いながらも、自身の奥の手である魔法を説明するわけにもいかず、そうしている間にも、基本四属性を同時に使うならともかく三つとは中途半端だ、などという陰口までもが同時に広まった過去を思い出したからだ。
「……いや待て。今のワシは四人じゃ。今ならできなくもない、か」
四人のベルたちは同時に思い、ニヤリと笑うと、散開していた状態から集合すべく、一箇所に集まる。
「ワシが火属性を担当するとしよう」
そして四人同時に、同じ言葉を口にした。
「む、四人とも火属性では格好がつかぬではないか!」
「そう思うなら譲らんか! 火属性はワシが使う! お主らは違う属性にせい!」
「嫌じゃ! なんかこう、赤はリーダーっぽいじゃろ! ワシは火属性じゃなきゃ嫌じゃ!」
「リーダーなら呼び出したワシに決まっとるわ! 火属性はワシのものじゃ!」
それもそのはず、同じ考えを持つが故に、同じ答えに行き着くからだ。
「ふざっ、ふざけるな! お前たち、早くあいつらを殺せ!」
ベルが取っている姿もあり、子どもが喧嘩をしているようにしか見えない状況に、小馬鹿にされているように感じたジェフリーが再び叫ぶ。
その声に呼応するようにして、ジェフリーの周囲を守っていた属性ゴーレムたちが動き出す。
「ぐぬぬ、邪魔をしよって! ……致し方ない、一時休戦じゃ」
迫り来るゴーレムたちに、ベルたちは顔を見合わせ頷くと、それぞれが拳に魔力を集める。
そこに発生する魔素の揺らぎは――赤。それぞれが見据えたゴーレムも――赤だ。
ベルたちは競うように赤いゴーレムへと接近し、炎を纏った拳を、赤いゴーレムへと叩きつける。
「今のはワシが一歩速かった。ワシがリーダーじゃな」
そして同時に、数千度の熱を持った拳により蒸発せしめたゴーレムを一瞥し、同じセリフを持って再び睨み合うと、迫り来る残りの五体の属性ゴーレムたちへと向き直り、魔法を展開する。
それはまるで、無効化など意味がないと言っているかのように、わざと見せつけているような光景だ。
白のゴーレムは瞬く光に溶かされるようにその場から掻き消え、黒のゴーレムは闇に飲まれるように取り込まれ、青のゴーレムが凍結して砕け散り、茶のゴーレムは流砂のように沈み込む床に触れた箇所から土へと還され、緑のゴーレムは一陣の風に空間ごと削り取られて消滅した。
「ば、馬鹿な……。魔法を無効化するゴーレムだぞ!? お前はいったいなんなんだ!?」
それぞれの属性を無効化するはずのゴーレムたちが、無効化するどころかいともたやすく葬られてた光景を前に、ジェフリーの驚愕は今日一番を迎えた。
「現代魔法程度で古代魔法を無効化できるはずもなかろう。現代魔法とは一線を画すからこそ、古代魔法という別称で呼ばれるのじゃ」
ベルは残りの通常ゴーレムを呼び出した者たちへと任せ、ジェフリーの前へと歩み出る。
錬金術で作り出したゴーレムに魔法珠を取り込むことで耐性を得ていたようだが、しょせんは現代魔法が込められた魔法珠だ。
ベルにしてみれば現代魔法など子どもの遊びにもならないものであり、歯牙にかけるものでもない。同じ属性であろうと、古代魔法の足元にも及ばない現代魔法であれば、強引に破壊せしめることなどたやすいのだから。
「古代魔法? ……そうか! 古代魔法だ! 古代魔法ならば人を生き返らせることくらいできるのだろう!? 頼む! 私にできることならばなんでもする! だから……私の妻と娘を生き返らせてくれ!」
そんなベルから出てきた言葉に、そして初めて目にした古代魔法を前に、格の違いを知ったジェフリーは戦っていたことなど忘れたように懇願する。
これまでベルが使った魔法を見れば、人を生き返らせることなど造作もないはずだと信じて。
「……諦めよ」
だが、懇願するジェフリーを、ベルは一言で切って捨てた。
「いかに古代魔法とて、できぬものはできぬ。死んだ者が生き返ることはないのじゃ。……故に、お主の所業は許しがたい」
いくら古代魔法でもできないことはある。所有者の魔力に限界がある限り、想いを成す魔法を実現せしめるだけの魔力に足りなければ、魔法は不発に終わるしかない。
だからこそ、これまで殺人を続けてきたジェフリーを許すつもりはない。
死んだ者は――ルシードは生き返らないのだから……。
「嘘だッ! できるはずだ! どうして魔法使いは己の研究を秘匿しようとする!? どうして私を助けてくれない! どうして……」
魔力が足りなければ魔法が発動しないのは現代魔法も同じだ。
これまで数多に渡る研究の助けになればと、魔法学にも手を出したジェフリーも理解している。
しかし、理解はしていても、諦めきれるものではない。ジェフリーは他に方法はないかと考え、考え、一つの答えを出す。
「……そうだ。あの少年の心臓を使おう! 私が使うより、君が――」
「黙れッ!」
魔剣を聖剣へと転化させたルシードの心臓を自身の研究に用いるよりも、古代魔法を使えるベルならばもっと有効に使えるのではないか、死人を生き返らせることもできるのではないか、そう結論を出したジェフリーの言葉を聞きたくないとばかりに、ベルは声を張り上げた。
残りのゴーレムをすべて倒し終えた並行世界のベルたちは何事かと、この世界のベルへと視線を投げかけるも、それ以上は何も言わない様子のベルに、問いかけることもできずに終わる。
「嫌だ……私はまだ終われない! こんな……こんな終わりがあってたまるものか!」
ジェフリーは興奮により激しくなった息を整えることも考えず、無防備にも背中を見せ、ルシードがいる部屋へと向かって走る。
ベルはそれをさせまいと一歩を踏み出そうとして――
「ひ、ぅ――!?」
突如、足をもつれさせたように転び、心臓を掴むようにして苦しむジェフリーに、どうしたことかと足を止めた。
「い、やだ……私は、まだ……」
かひゅー、かひゅー、と、ジェフリーは抜けるような呼吸とともに呟くだけで起き上がる様子はない。
いや、起き上がれるはずもない。心臓が――止まっているのだ。
「……心臓を病んでおったか」
妻と娘を生き返らせると決めてからを研究に費やし、休みは当然のことながら、碌に食事すらも取っていなかったのだ。体を病むのは当然かもしれない。すでに体のあちこちは病巣に犯され、元よりそう長くはない命だった。
「頼む……あと少しなんだ……。あと少しだけでいいんだ……止まらないでくれ」
ジェフリーはまだ終われないとばかりに止まった心臓を鞭打つように叩くが、それで動き出すはずもない。
そして、ベルも助けるつもりはない。
心臓を奪い続けた者が、心臓の病で逝く。まさに因果応報と呼べるべきものだろうか。ベルは自らの手で敵を討ちたい気持ちはあるが、これほど相応しい死もないかもしれないと、手を下さないことにした。
「リタ……プリシラ……」
再度心臓が動き出すことはないと悟ったのか、ジェフリーはかすれきった声で妻子の名を呟き、涙ながらにベルへと振り返る。
「私の妻と娘を……助けてくれ。お願いだ……」
ジェフリーは『生き返らせてくれ』ではなく、『助けてくれ』と言った。もしかすると、今のジェフリーの目には、事故に合い、死に逝く妻子の姿が見えているのかもしれない。
だが、死んでいった者たちのことを思えば、ベルに返せる言葉があるはずもない。
それでも、ベルは苦悶の表情の中、頷いたかもわからないほど小さく、首を縦に動かした。
どんな者であれ、死に逝く者の最後には救いがあって欲しいものだと、これまで数え切れない者を看取ってきた中で、いつしかそう思うようになっていたからだ。
ジェフリーの嘆きを考えれば、絶望の中で死なせるのはあまりにも忍びなかった。
「ありがとう……ありがとう……」
ベルの想いが通じたのか、ジェフリーはまた一つ大きな涙を流し――その人生に幕を下ろした。
よもやこんな終わりが訪れようとは、ベルは考えもしなかった。
数多くの命が奪われた事件の終わりとしては、あまりにもあっけない。
だが、物事の終わりというのは、こんなものだとも同時に思う。
「今日は疲れた。ルシードを連れ、帰るとするかの……」
もはや敵を討つことも叶わない。
ベルは事切れたジェフリーの横をすり抜け、ルシードが眠る部屋へと足を向けた。