匂い
これは――この話に関しては――嘘も脚色も無い、ノンフィクションだ。
平成二十六年七月八日。午前九時。私は本を読んでいた。中山市朗氏と木原浩勝氏による共著、『新耳袋』である。三巻目の、『第三夜』だ。
私はその頃、“怪談”に凝っていた。読むのも、書くのもである。この『新耳袋』という本を知らない読者の方もいるだろうと思うので簡単に説明すると、この本には一冊につき、“九十九”の怪談が載っている。しかも、どの話も著者達が見聞きした、“実話”であるというところが、この本の最大の“売り”である。
私は怪談を書く上でのインスピレーションをより働かせるため――また、怪談話の蒐集のために、毎日のようにそれを少しずつ、少しずつ読み進めていた。その日も前の日と同じように、朝の読書を楽しんでいた。
――そんな時、ある違和感を感じた。何か、妙な“匂い”が鼻をついたのである。
……余談だが、私はいわゆる“匂いフェチ”というやつで、匂いには敏感なのだ。
掃除をこまめにし、清潔を(自分なりに)保っている自室で、普段嗅がない匂いが鼻をつく。これは放ってはおけない事態だと、私は匂いの元を調べた。鼻をクンクンいわせて、その原因を探る。
――原因は、手にしていた本にあった。
ページに鼻を近づけ、匂いを嗅ぐ。
(――“線香”の匂い――‼︎)
――とても信じられなかった。そもそも、私の家には線香はおろか、“仏壇”すら無いのだ。
週の初めに二巻目を読み終え、その日はようやく三巻目を読み始めた日だった。机に向かい、二巻目を手に取ると適当にページを開いて、匂いを嗅いだ。――新しい本の、紙の匂いがした。
一巻目を手に取り、嗅ぐ。四巻目も、五巻目も。どれも、“線香の匂い”などしなかった。その机の本棚には、『新耳袋』の文庫本、一巻から十巻目まで、全て並んでいた。どれも最近、全て新品で買ったものだ。
なぜ“線香の匂い”などするのか――。全く予想がつかない。毎日怪談を書き、「総毛立った」だの「粟立った」だの書いている私の首元に、「鳥肌が立った」。
あァ、ついに不思議な現象が起こった――! 身の回りで――!
0霊感の私は恐怖するとともに、興奮していた。ようやく憧れていた、“別の世界”を垣間見た気がした。
――今でもその『新耳袋 第三夜』は、私の机の上の本棚に並んでいる。
たまに手に取り、適当にページを広げて顔を埋めると、やはり今でも残っているのだ。
――“線香の匂い”が。