シニアの戯れ40
クソゲーでも、美しい絆は心を浄める証左か。
諸兄よどう思う(^0^)/
私は欺瞞的冷酷資本主義システムの中では極めてろくでなしだと思う(^0^)/
どうも私はそれを楽しんでいる節があるわけだ。(^0^)/
ろくでなし、呼ばれて笑う秋の森。
これ私がエプリスタに書いた俳句なのだが、私という頑固くそ(笑)じいさんは正に、この句に象徴されていると思うわけだ(笑)
膠着し切った水平思考(笑)は到底世に蔓延している差別偏見の構造意識と相塗れないわけだ。(笑)
私はぜげんとして、世間に常にろくでなし老人として蔑まれ、馬鹿にされているが、私はそれを逆冗談差別?していなし、生き抜いているわけだ。
だから私はそんな馬鹿世間のろくでなしであることを、逸脱した孤立としての?優越感、誇りを以って楽しんでいるわけだ。
だがその感覚さえも、最近アルコール、いや間違えた、(^0^)/水に流し、流れるビール、いや違う、河のごとく見詰めているわけだが。
この感じは、私の彼岸、ろくでなしの死後を見詰める眼差しなのかも知れぬと思い、楽しんでいる。
しかし私は酒が好きで、それを飲めなくなり、久しいが、あの世が酒で出来ていれば、これ幸いか(^0^)/なんちゃってか、馬鹿老人(*_*)
しかし私にとっては、クソゲーのゲーマーよろしく、腐って馬鹿な世の中の流れから逸脱して喜びを感じている次第なのだが、これって異常か?
諸兄よどう思う(^0^)/
私は老人だが結構ゲーマーで、シナリオ分岐等を考察分析楽しむのが好きなのだが、ゲームの世界にも素晴らしい友情、絆を作った経験がありゲームもまんざらではないと思っている。
しかしその匿名友人も匿名故に、出会えなくなってしまったので、ちと寂しい限りだが。
そこはかとなく。
美しい絆は心を浄める証左か?
諸兄よどう思う(^0^)/
 




