シニアの戯れ32
ギックリ腰が人生の華か?
タリラリラン(^0^)/
痛い華だが僥倖だ。(^0^)/
私は祖母を九年に渡り介護したが、祖母はヘルパーやデイケアの人達と反りが合わなかった。
デイケアも所詮他人なのだ。そこに情けの通い合う事は稀だと思う。
そして昔かたぎの老人気位高く頑固と来ているので、尚接するのが難しいと思う。
それは福島の老人とて同じだ。
職人気質の彼は頑固で、誇り高いのだ。
福祉が奨める老人ホームでの集団生活には向きやしないだろう。
だから彼は疎外されようが、孤独な一人暮らしを選んでいるのだ。
だから、私が男の遊びを通じて、福島のじいさんと仲良くなれたのは正に僥倖と呼べると思うが、どうだ?
つまり底辺でうごめくように生きている者同士だからこそ、培われた絆なのだ。
これは物書きとしては至高なる題材に巡り会えた僥倖と言えよう。
情けで結ばれる人の絆こそが、人生の華なのだ。
それがどんなに地味でつましく貧乏でも、欺瞞と虚飾に塗れていない分、大輪の華と言い切れる。
私はそう思う。(^0^)/
しかし私の祖母は風呂入れのデイケアさえ機械が怖いと拒み、畢竟私は祖母を一人で風呂に入れて、滝のように汗流し足元おぼつかない怖い思いをした上に、ギックリ腰になり、ひっくり返った経験数回。(笑)
老人の人を寄せ付けない頑固さは、ギックリ腰製造装置か?(笑)
ならば、ギックリ腰が人生の勲章、華か?
しかし痛い華だ。(*_*)
諸兄よどう思う?




