シニアの戯れ15
孤独な老人にとってはテレビが家族か?
諸兄よどう思う?
老人の孤独死。
老人社会の我が国。
これも永遠のテーマだろう。
今驕る若い人も必ず歳を取り、死んで行く。盛者必滅のことわり通りに。
健康は、適度な運動をしないと蝕まれて行くものだ。
えっさか、えっさかとダンスやったり、ジョギングやったりしている老人老婆は元気そのものと言える。
しかしいくら金持ちでも、金が運動を促進するわけもなく、運動は己自身の意気込み、意欲に掛かるわけだ。
裏を返せば、金や土地をいくら持っていたって死ぬ時は死ぬわけで、死にたくなければ、えっさか、えっさかと身体動かすしかないわけだ。
しかし。
老人に忍び寄る孤独の影は、この運動意欲をも削いでしまう。
目的を持たない孤独な老人は、運動せずにおだぶつか?
それも大いに有り得るわけだ。
テレビは寂しい笑いを提供してはくれるが、おい老人共よ、運動しなさいの問い掛けはしない。(笑)
ラジオ体操なんか始まったら、孤独な老人は面倒臭いし、笑いたいから、チャンネル替えてしまうだけか?
孤独な老人の失語症的笑いのテレビ視聴は、テレビの音がうるさいのに反比例して、寂しさは募るか?
寂しさを直視したくないからのテレビ視聴は、本当は家族のいない寂しさを、募らせる効果しかないのに、テレビを観ている孤独な老人の背中は笑いに揺れているわけだ。
タリラリラン。
バカボンパパにはバカボンや他の家族がいた。
だが孤独な老人には家族はいない。
ならばテレビが家族か?
お笑い草か?
諸兄よ、どう思う?




