シニアの戯れ14
孤独な老人の友達はテレビかい?(^0^)/
又しても話が脱線するが、私は孤独な老人の気持ちは分からない。
それは何故かと言うと、私は孤独な老人ではないからだ。
孤独な老人の友達はテレビとなる?
それはあると思う。
テレビにはある種問い掛けの効果があり、一方通行であるが問い掛けられた老人が愉快そうに笑い、ぼけの防止にも繋がっているからだ。
しかし、この構図にはそこはかとない寂寥感が漂っているのは間違いない。
老人は子供とは違い、介護しても、どんどん衰えて行く方向性なので、寂しさはいつも付き纏うわけだ。
タリラリラン。
月夜の砂漠を、ラクダのこぶになって水になりながら揺られるのが、うば車の揺らぎならば、月の遮光は母の優しい微笑みか?
孤独な老人の微笑みは月夜のピエロ踊りの囁きか?
タリラリラン。
涙も出ないわ。
しかし福島の老人も言っていたな。
「朝起きて、テレビ観て、ナンバーズの情報確かめて、散歩に行くんじゃよ」
私は問い掛けた。
「じいさん、ナンバーズなんか当たるのかよ?」
「当たるさ。当たるから、わしはやっているんだ」
「本当かよ?」
福島の老人が不敵に微笑み答えた。
「当たるも八卦、当たらぬも八卦じゃい」




