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偶像

「彼」がいる岩窟のどこかに存在する場所。そこは同じ岩窟とは思えないほどに整えられ、荘厳(そうごん)と評するのが相応しい洗練された装飾が施されていた。

 アーチ状の高い天井には美しい絵画が描かれている。それは当代きっての名匠がこの世界の創世を描いたものであり、この天井画だけで村ひとつが軽く数年は喰っていけるほどの価値があった。

 洗練かつ荘厳ではあるが、過度な装飾はされていない。ここを支配する者たちは自分たちの莫大な儲けをひけらかし反感を買うような成金馬鹿ではないからだ。古今東西、世界を支配するのは一握りの権力者であるものの、世界を支えあまつさえ変えるほどの力を持つのは、普段は弱者に過ぎない国民や奴隷であることを連中は熟知していた。

 だがその実、支配するのはさして難しいことではない。弱者どもの苦悩や不満の全てを受け止める慈悲深い偶像(ぐうぞう)があればそれだけでいい。考えること捨て去った間抜けな弱者どもは、天気の変化一つで神の怒りだ慈悲だと一喜一憂し、勝手に平伏していく。

 その弱者の偶像こそが、この荘厳な空間の最奥に安置された死した預言者を抱く聖母の石像だった。伝承によれば、その像は誰かが彫り作り上げたものではなく、その預言者とその母が石と化したものだとされていた。

 いや、真実は違う。それを支配する者たちは知っている。だが彼らは、真剣な面持ちで愚かな弱者どもにそれを説き続けてきた。

 どうやら救いを求め偶像に縋る弱者どもにとって、その石像の真偽はどうでもいいことらしい。

 そのため、この地を信仰の中心と定める信者たちにとってこの場所は、最も神聖にして唯一の聖地に他ならなかった。

 だがその預言者を祭る聖なる場所から、巨大な一枚岩の壁で隔てた向こう側にある秘密の部屋について知る者は、支配者階級の中でも特別な、ほんの一握りの者たちのみだった。

 そこは聖母の石像が祭られていた荘厳で清廉な空間とは全く異質な空間だった。蝋燭(ろうそく)に照らされた狭く薄暗い空間は、無数の髑髏(どくろ)と巨大な魔方陣によって飾り立てられ、その部屋の奥には神話の存在であるはずの赤い竜の石造が鎮座している。

 その薄暗くおぞましい空間を今、無数の嬌声(きょうせい)が満たしていた。狭い部屋にひしめく無数の男女が重なり合い、まぐわっている。混じる肉と粘液の饐えた臭いは、更に彼らの劣情を煽り続けた。

 その赤い竜の石像の股間にあたる部分から、何者かの上半身が生えていた。晒された胸元からすると、それはどうやらまだ若い女であるらしいことが分かる。両目は視界を奪うためなのか装飾が施された目隠しで覆い隠されている。口すらも閉じることができないように拘束具で固定されていた。女の両腕両脚は半ばから切り落とされ、熱に浮かされたかのように朱色に染まった身体は、鼻を衝く生臭い粘液に塗れている。女の下腹部が、赤い竜の石造の股間にそそり立つ太い何かによって串刺しにされているように見えた。そして、それがこの女の立場をよく表していた。

 それは異様異質としか表現ができない光景だった。少なくとも、壁一枚を隔てた聖母に守られた光の下の世界では、決して考えられない光景だった。

 女の意識は呆然としているらしく、その頭は力なく垂れている。(いや)らしい笑みを浮かべた初老の老人が、拘束具によって閉じることのできない若い女の口元に、饐えた臭いを放つ自身を突き込んだ。

 その瞬間、咥内を襲う生臭い臭いに女性は苦悶に眉を寄せ、激しい吐き気に襲われたのか大きくえづいた。

「受け止めよ、受け止めるのだ。だが快楽を受け入れてはならん。飲まれてはならんぞ。受け止め、そして耐えるのだ。これこそが神よりの試練なのだ」

 口元を歪めながら快楽を愉しむその初老の老人の顔面には、醜い火傷の痕があった。それは一見優しげで柔和にすら見えるその老人を、醜くく恐ろしい怪物だと思わせた。

『たすけて、だれか、たすけて……』

 もうどれだけの期間をこうされているのか、女には分からなかった。いや、自我が目覚めてからずっとこうされているようにすら思える。

 毎日のように身体に刻まれるおぞましい感覚。抗いようもない痛み、快楽、それらに屈してしまうのは決して難しいことではない。

 それでも、どうしてなのか、女はそれらを抗い続けた。耳元で囁かれる老人の言葉はとても説教じみているが、説得力の欠片も感じることができなかった。

 老人が言う「神」とはなんなのか。自分を使って召喚するという「悪魔」とはなんなのか。それすら女には分からなかった。

 知識としては理解していても、こうされる理由にはならない。納得できるはずもなかった。

 だが、抗い続けるにも限界がある。両腕両脚だけでなく、視覚をも奪われたうえ、延々と続けられる地獄のような日々に、女の心は壊れそうになっていた。

『たすけ、て、』

 ただただ、心の奥で小さく呟き続ける。そんな小さな悲鳴を聞き届けてくれる何者かなんぞいるはずもないと知っているのに。

 呆然とした意識の中で、ふと、女は何者かに触れたかのような錯覚に陥った。痩せ衰えてはいるが、筋肉の鎧を纏った屈強な男だ。その男が両腕を鎖に繋がれて岩窟の壁に拘束されている。

 恐れを抱きながらも、女はゆっくりと側に寄り、呆然と虚空を見詰める男の頬を、躊躇いながらも優しく撫ぜた。

 言葉を発しようにも、声にはならなかった。小さく溜息を吐く。幻覚の中ですら無力である自分に憎しみにも似た絶望感すら抱く。

 次の瞬間、身体の芯を強烈な感覚が貫いた。痛みとも快楽ともつかないそれは、女を現実へと引き戻す。

 老人が嬌声を上げながら何かを解き放ったのが分かった。声にもならない悲鳴を上げながら、女は絶望の淵に堕ちていった。

 意識が闇に沈む寸前、男の眼に光が戻るのを確かに見た。

 それは絶望に堕ちた女に残された、たった一つの小さな希望だった。

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