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「ほら見てみなよ」ポールは広場を指差した。
「まったくやつらといったら、知恵遅れにちがいない。頭がおかしいから、くだらないものを、さも大事そうに並べている。盲目もはなはだしい。やつらはおいらたちのことが見えていないんだ。おいらたちはやつらを見るのも不快だってのに、毎日のようにやってくる」ポールは嫌そうに、眉をひそめた。
広場には、多くの名もなき集団がいた。ポールがいうように、彼らは毎日やってきていた。毎日広場にやってきては、腐ったオレンジを売っていた。オレンジはカビで包まれていてた。それらを買っている人を、僕はまだ見たことがなかった。
「あんなフジツボみたいなもの、誰が買うっていうんだい。誰も買うはずかないさ。猫だって手をつけない」ポールはせせら笑って、名もなき集団を見ていた。名もなき集団は何をするでもなく、ただ客を待っていた。
「でも、もしかしたら買う人はいるかもしれないぜ」
「いるはずがないさ。第一、買って何をするんだ? 食べるのか?」
「食べないだろうけど……」
「じゃあ、買う道理がない。食べないオレンジなんて、読まない本といっしょさ。意味がない」
僕たちはしばらく、名もなき集団を眺めていた。彼らの一挙手一投足に、僕たちは反応した。例えば彼らが足を伸ばせば、立ち上がるのかと注目し、背中に手を伸ばせば、何かを取り出すのかと身構えた。けれども結局は、いつもと同じで、彼らはオレンジを売りにいこうとはせず、誰も買いにいこうとはしなかった。僕たちは、ほどほど飽きてしまった。
やがて、給仕を終えてエカテリーナが、僕たちのテーブルに近づいてきた。エカテリーナはポールの横に座り、恋人のように身体をよせた。
「なにをみていたの?」
「あ、なに、かわいそうな人たちを見ていたんだよ。俺のかわいい小鳥ちゃんが気にすることじゃないよ」
「まあ、小鳥ちゃんだなんて」エカテリーナは恥かしそうに、顔を赤らめた。二人は楽しそうに話をはじめた。
「お邪魔なようなんで、失敬しようかな」僕は言った。
「あら、そんなつもりじゃなかったのよ」
「そうだよ、いてくれよ。お前がいないと、いちゃつきがいがない」
彼らは笑った。面白くなかったけど、僕も笑った。僕はテーブルにつきなおした。この一杯を飲み終えたら帰ろうと思った。
僕は名もなき集団の数を数えた。全員で十七人いた。それらは子供から老人まで幅広かったが、一貫して一回り小さかった。まるで、一枚肉を剥がされたのかと思うぐらいに、その小ささは目立っていた。
そこに大男が現れた。集団との比較で、大男は樹木のようにも見える。大男は大またで名もなき集団に近づき、何かを放った。何かは地面で跳ね、金属音を響かした。しばらくそれは続き、そしてとまった。コインにちがいなかった。
「オレンジをひとつくれ」大男の顔は、不敵ににやけていた。
「おお、あいつ何をやる気だ」ポールも面白そうに、にやけていた。エカテリーナもつられて、にやける。周りも大男の行動を面白がってみている。誰しもがポールやエカテリーナのように、にやけていた。空気が重みをもって、沈んでいった。辺りのざわめきが静まる。それでも、辺りはいやらしいほどに明るかった。
「オレンジだ」大男はもう一度言う。名もなき集団は黙って、落ちたコインを凝視していた。まるで幼児が見知らぬ人をみているように、集団はコインをみている。しばらくして、集団の一人が、コインを拾った。ひどくやせた手だった。爬虫類のようにすばやく、コインを懐に入れる。かわりにオレンジをひとつ、恐る恐る差し出た。彼も笑っているようだった。
大男はオレンジを受け取った。そして間髪いれず、それを集団に投げつけた。オレンジは爆弾のように破裂し、飛散した。
それは一瞬の出来事だった。後に残ったのは、立ちすくむ集団と馬鹿笑いだけだった。僕はそれを遠くから見ていた。
僕はとても笑えなかった。