1.「台所戦争」
通常の男女関係において、一つ屋根の下に住む為には様々なドラマがあってしかるべきだ。
しかし、私と彼の間にはそんなものは初めからなかった。
「その代わり、俺らには一番でかい障害があるけどな」
「由人」
背後からぎゅうとでっかい男が私を抱きしめている。
気分はティディベア。小さな子供がお気に入りのぬいぐるみを離すまいとしている様子に似ているかもしれない。
「手を切っちゃうから離れてよ」
私は現在晩御飯の支度の真っ最中。
しかも、包丁という普通の一般家庭にも用意されている凶器をただ今装備中である。
手元が狂ったら今日の晩御飯は血の香り漂う凄惨な晩餐となりかねない。
なのに。
「ヤダ」
抱きついたまま、大男がふいと他所を向く。
小さい子がやれば可愛いかもしれないが、この男は日本人の成人男子標準よりも大きい。
顔を見ればまだあどけなさが残り、可愛いといえないこともないかもしれないが、それでも身体は立派な大人だ。
自分よりも大きい男に羽交い絞めにされて、可愛いといえる神経を私は持ち合わせていない。正直言うと苦しいのだ。
「……放さないと、あんたの嫌いなにんじん尽くしの晩御飯ができあがると思うけど、それでもいいの?」
台所に居る時の私は最強だ。
すごすごと大男は離れていった。この台所の後ろに居間がある。そちらへ向かったのだろう。
背後から年配の女性の声がした。
「あんたたち本当にいくつになっても仲がいいわねー。お姉ちゃんに邪険にされてしょげてるの?」
「そう」
交わされる会話は心臓に悪い。
年配の女性は、紛れもなく私と血の繋がった母で。
でっかい男は血の繋がりがないとはいえ、私の義弟だ。
そう、私たちは家族なのだ。
だから一緒に住んでいる。
テレビの音に混じって届く二人の会話を意識から締め出して、私はまな板に叩きつけるように豚肉をぶつけた。
今日のメニューはカツだ。
* * *
私と由人は物心ついた時には既に姉弟だった。
一つ屋根の下に住むに当ってドラマがあったのは母と義父のほう。
私と彼の間にはない。
私が1歳、弟の由人はまだ0歳の時に彼らは再婚して、以来私たち4人は家族として暮らしていた。
他の人が同棲する時にあるような障害は、私達が一緒に暮らすにあたっては存在しなかったけれど、私達の関係には普通の人の間にはない障害がひとつだけあった。
大きな大きな障害が一つ。
私と由人は血の繋がりがないとはいえ姉弟で――――父母からは血の繋がりがないとは直接明かされていないということ。
私がそれを知ったのは偶然だった。
私の修学旅行は昨今流行の海外で、パスポート取得が必要になったのだ。
その際に戸籍謄本を所得したときに気づいた。自分と弟の間には血の繋がりがないことを。
それを知った時、既に弟にほのかな思いを抱いていた自分は喜びを覚えた。恋心の天秤は一気に由人へ傾いていった。
やがて弟も同じ気持ちであると知り、私たち二人は結ばれた。
けれど、未だ両親にそう告げることはできていない。
彼らは私たちを仲のよい姉弟だと思っているだけで、まさか恋人だとは思っていないだろうから。
昔から私たちは本当に仲のいい姉弟だった。
弟のベビーベットにもぐりこんで、言葉も話せない赤ん坊だった弟と一緒に眠りに付いた記憶もある。
両親がそれを――――私と由人が既に境界を越えてしまったことを――――知った時に、私たちにどういう態度を取るのか、想像が付かなくて怖い。
私は両親も弟も大好きなのだ。両方失いたくないというのは我侭なのだろうか。
いつかは明かさなくてはならないだろう。
ただ、もう少しの間だけでいい、このままでいたかった。
覚悟を決める時間の猶予が欲しい。