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夏の眼差し  作者: 通木遼平


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2/2

後編




 セオドアがティナをはじめて見かけたのは、おそらく子どもの頃だったと思う。祖母が定期的に主催する読書会に参加しているのを見かけた時だった。もっとも、後から思い出してみれば「そういえばいたな」と思う程度で、印象には残っていなかった。

 ティナ・ハーディという存在を意識したのは社交の場に出るようになってからだった。ティナは大抵、家族や婚約者と共にいた。どこにいてもいつも暗い表情をしていて、そのせいで印象に残っていた。ドレスも地味でアクセサリーなどもほとんどなく、特に妹と並んでいると余計に暗く見える。とはいえ、妹の方もいつも着飾って華やかだったがセオドアの目にはどこか軽薄そうに見え、印象はよくなかった。

 その上、今年は姉妹の婚約に関する話題のせいで心象は最悪だった。姉妹が、というよりハーディ家に対する心象だ。姉から婚約者を奪った妹はもちろん、妹に婚約者を取られて黙っている姉も、それに関して咎めもしない家族も、関わり合いになりたくない。

 父の持つ爵位の一つとアルスティユーを領地として近々継ぐことが決まっているセオドアにとって、これからつき合っていく貴族の選別もやらなければいけない仕事だった。


 そんな噂の姉妹の姉であるティナが、祖母の紹介でかわいがっている従妹のリネットの話し相手になると知った時はさすがに祖母に意見をした。祖母は未だに強い影響力と発言力を持っているが、それはそれだ。しかし祖母の返答は「大丈夫」「あの子は家から離れたほうがいいわ」の二点くらいで、セオドアは自らリネットとティナの様子を監視することに決めたのだった。




 それが今ではどうだ。


「ふーん」


 もの言いたげなリネットの視線がティナとセオドアの間を行ったり来たりしていた。リネットとティナがよく使う温室に面した居間のローテーブルの上にはところせましとセオドアが二人に持ってきたお土産が並んでいる。アルスティユーは製紙と染物が有名でそれにちなんだ品物ももちろんあったが、それ以外にも地元の商会から二人に似合いそうなものを買って来たのだ。

 白いレースのつば広帽子と長手袋は商会が持つ工房の女性たちが一つ一つ意匠を変えて編んだもので、リネットは特にそれを気に入った様子だった。ティナとおそろいだということもお気に召した理由の一つらしい。

 ティナは自分までお土産をもらうのはと恐縮したが、セオドアは受け取ってくれないと無駄になるだけだと強引に押し切った。リネットのレースは花を中心にデザインされているが、ティナに渡したものは葉や蔦を中心にしているため落ち着いた雰囲気があり、ティナの金茶の髪によく映えた。


「よく似合ってる」


 そうこぼれた声は心からの声だった。ティナは一瞬驚いたように目を丸くしたが、恥ずかしげに視線を伏せ、「ありがとうございます」と小さな声で礼を言った。その口元が緩んでいるのを見て、セオドアは何かを言うべきなのに、何も言うことが思いつかない――そんな気分になった。


 そんな二人の様子に反応したのがリネットだった。「ふーん」とわざとらしく声を上げた彼女は、ティナとセオドアの顔を交互に見た後、自身もかぶっていた帽子を控えていた侍女に渡して立ち上がった。


「わたし、お邪魔かしら?」

「な、何を突然」

「お兄さまったらわたしに会いに来てくれたと思ったのに、そうでもなかったみたいだもの」

「かわいい従妹に会いに来たに決まってるだろう」

「そうかしら?」


 リネットは腕を組んで年上の従兄を見下ろした。


「わたしはやさしいからそういうことにしてあげるわ。ねぇ、ティナ。今度この帽子と手袋をつけて一緒にどこかにお出かけしない?」

「そうですね。あまり遠出はできませんが……」

「おばあ様のところに行くのは? おばあ様たちもそろそろお帰りになると手紙でおっしゃっていたし――最近、お会いしていなかったもの」

「わたくしもこちらに来てからお手紙は出させていただいていましたが、お会いしていません」

「それなら決まりね!」

「ええ、ご予定をうかがわないといけませんね。イライザ夫人へのお手紙はわたくしが書いてもよろしいですか? ちょうど相談したいこともあるので……」

「もちろん。でも、わたしも書くわ。一緒に送ってくれるかしら?」

「相談?」


 リネットにうなずいたティナに、セオドアは横から口を挟んだ。


「何かあったのか?」

「そういうわけではないのですが……」


 ティナは口をつぐんだ。


「……わたし、部屋でおばあさまへの手紙を書くわ。ティナはもう少しお兄さまのお相手をしてあげて」

「えっ? リネットさま――」

「お願いね!」


 返事を聞かずにリネットは特に気に入ったお土産だけを自ら手に持って侍女と共に部屋を出て行ってしまった。気まずい沈黙が後に残され、セオドアはティナの様子をうかがいながらも眉間に力が入るのを止められなかった。ティナもまた、困惑したように瞳を揺らし、セオドアからは視線をそらしている。

 温室のガラスを風が訴えるように叩いていった。「少し歩かないか」とその音に答えるようにセオドアは口を開いた。何か話をつづけるきっかけが欲しかった。


 風があるためか夏にしては涼しく、庭の木々が葉を揺らす音がそれをより引き立てていた。日陰をたどるようにして庭を歩くセオドアとティナの間隔は、ティナが日傘をさしているのを差し引いても距離があった。


 ティナの相談とは何だろう? 祖母にわざわざ相談することというと、彼女の家族のことしか思いつかなかったが、接触はないはずだ。祖母が目を光らせているのはセオドアも知っていた。


「何か悩んでいるのか?」


 黙っていても仕方ないと思い、セオドアは率直にたずねた。


「悩みというわけではないのですが……今後のことを相談したいのです」

「今後?」

「いつまでもこちらにいるわけには行きませんし……」


 リネットは十一歳。夜会などにはまだ参加しないが、少しずつ外に出て行く年頃だ。イライザ夫人にこの仕事を頼まれた時もそういう話をしていた。今はこの屋敷の中で、友人たちを招待して交流することが多いが、今後きちんとした社交の場に行くのであればその付き添いとしてティナは若すぎるし、独身だ。若い令嬢の付き添いは基本的にそれなりの年齢で既婚の女性――できれば親戚筋の――がなるのが一般的だった。

 そうなると、ティナがこの屋敷でリネットの話し相手として過ごすのにも限界がある。いずれ家庭教師だって必要なくなるのに、ティナが居座るわけにもいかない。


「家に戻るのか?」


 セオドアの声は硬かった。


「避暑に行く前、おばあ様と少し話したんだ。君のことを」

「わたしのことを?」

「おばあ様が君をそんなに気にかける理由を知りたかった。子どもの頃から知っているとはいえ、君は親戚でも何でもないし――」


 祖母の交友関係は広いが、ティナほど肩入れしている令嬢はセオドアが知る限り他にいない。今はもう、彼女がここにいることに対して警戒したり反対したりする気持ちはないが、それでも疑問は残っていた。


 「元々、あの子の叔母と仲良くしていたの」そう祖母は話した。


「あの子の叔母とは本の趣味が似ていて、読書会にも熱心に通ってくれているわ。それで普段から仲良くしていたのだけれど――ある日、姪を連れて来たいと言われたの。わたくしの読書会に年齢制限は設けていないけれど、十歳だと聞いて驚いたわ。読書会で読む本は十歳の子には難しいのではないかと思ったし……でもあんまり真剣に頼まれたものだから、うなずいたの。

 あの子――ティナは、大人しい子だった。それに表情がとても暗くて……でも読書会の間は、心なしか楽しそうに見えたの。お礼の手紙もくれて、字も文章もきれいだし、頭のいい子だと思ったわ。家でのあの子の扱いについても聞いていたし、かわいそうに思ったけれど、最初はそれだけだったの。世の中、もっと不幸な境遇の子もいますからね。

 だけど最初のお礼の手紙から文通がはじまって交流をつづけていくと、やっぱり情がわいてくるというのかしら……孫の一人のように思ってしまって、放っておけなくなったのよ。本当にそれだけなの。わたくしじゃああの子の本当の家族にはなれないけれど、あの子が安心していられる場所が見つかるまで、そういう存在でいたたいのよ」


 その時のティナを思う祖母は、確かに自分たち孫を見る時の祖母と同じ表情をしていた。


「君は、家に戻らない方がいいと思う」

「わたしも、戻りたいとは思っていません」


 きっぱりとティナは言った。


「ここで過ごして、はじめて穏やかな気持ちで毎日を過ごせました。イライザ夫人や叔母のところもそういう場所でしたが、どうしても家に帰る瞬間は来ましたし、お二人の場所が居心地がいいからかえって家に帰るのがつらくて……」


 声が震えた。日傘で表情を隠すように寄せ、何事もないように装おうとしたがそれがとても難しいことのように感じた。


「家に戻ったとしても、父や兄がいずれ縁談を見つけてきて家から出る時は来ると思います。でも、ここでの生活を知ってしまった……もう少しも、あの家にいたくはないのです。それに、あの父や兄が見つけてくる縁談で、穏やかさを感じられるかわかりません。だから、先にイライザ夫人に今後のことを相談してしまおうと思ったのです。わがままなのは、わかっていますが……」

「君は……ティナ、君はわがままを言ってもいいと思う」


 二人は脚を止めた。日陰の向こうには夏の日差しが眩しいほど地面にこぼれ落ちている。


「それにリネットともう少し、のんびり過ごしたっていいんじゃないか? もちろん、今後のことを誰かに相談したっていいが、ゆっくり考えても誰も君がここにいることを反対してないんだから」

「でも……わたしがここにいることで、いずれ家族が迷惑をかけるかもしれません」

「無視したらいい」


 不意に強い風が吹き、飛ばされそうになったティナの日傘をセオドアはそっと上から抑えた。見上げたティナの深い緑色の瞳に、どこか緊張した面持ちの自分が映っている。


「アルスティユーに来ないか?」

「アルスティユーに?」

「アルスティユーはいいところさ。自然も多くて、水もいいし、領民はみんな温かい。カントリーハウスは少し古いけど居心地がいいし――別荘にしていたって言っただろう? おばあ様が昔敷地内に作った小さな図書館もあるから、君も退屈しないと思う」

「これから避暑に行くのですか? あなたは帰って来たばかりなのに?」


 もうすぐ夏は終わりに近づく。涙がどこかに行ってしまったティナは目を丸くした。


「いや、結婚しようと言ってるんだ」


 風はやんでいた。今まで見た中で一番強いセオドアの視線がティナに向けられていた。しかしそれは以前の突き刺すような視線ではなく、ただただ穏やかでやさしい光を帯びてティナを見つめていた。




 夏が終わり秋のはじまりには、王都にはまた人々が戻り活気があふれていた。毎日どこかで開かれる茶会やパーティーでは誰もが思い思いに夏の思い出について語り合っている。

 特に公爵家で開かれた夜会は人も多く、会話も華やかだ。夏の前の噂話などもはや誰も口にはしていなかった。もっとも、もし少しでもその話題が出ればイライザ夫人の目についただろう。


「叔母が夫人にお会いできなくて残念がっていました」


 久しぶりの華やかな場に最初こそ緊張していたが、イライザ夫人の周囲は読書会で昔からティナを知っている婦人たちばかりで、今はだいぶ緊張も和らいでいた。向けられる視線がどれでもこれも微笑ましそうなのが気恥ずかしかったがそれは仕方ないものとして受け止めている。


「わたくしもお会いしたかったわ。別荘で読んだ小説がとてもよかったから、お話したかったの。もちろん、小説のこと以外もね」


 思わせぶりな視線に思い当たることしかなく、ティナは頬を赤らめた。


「今晩のティナさまは本当にお美しいですわ」


 別の婦人がイライザ夫人の視線を受けてからかうようにそう言った。


「ええ、そのドレスも本当にお似合いで――今までが、その、ティナさまには申し訳ないですけれど少し地味でしたもの」


 今まで――そう、今までは妹に目ぼしいドレスやアクセサリーは妹のものになってきた。だから必然的にティナがこういう場に参加する時、その装いは地味になってしまっていた。けれども今晩は違う。

 ティナの瞳よりも深い緑色のドレスは同じ色の光沢がある糸で鳥に似た形の植物をモチーフにした繊細な刺繍がされている。流れるようなラインのスカートは今年の流行で、広がった裾からは絶妙に色合いを変えたやわらかな布が幾重にもなり、淡いグラデーションを作っていた。ドレスだけなら落ち着いた雰囲気だったが、アルスティユーの工房が作った繊細なレース編みのケープの真珠色の糸がドレスの雰囲気をぐっと華やかにしていた。


 一瞬、ティナは会場となっている広間へと意識を向けた。この会場の片隅に自分の家族()()()人たちがいる。はじまってすぐ、「お姉さま!」と駆け寄ってこようとした妹のシャーロットをティナの視界から追い出したのは一緒にいたセオドアだった。

 彼はシャーロットを冷たく一瞥し、しかし決してティナの視界には入れないようにして黙ってその場を立ち去った。はじまってすぐ、主催である公爵夫妻――セオドアの両親が招待客とあいさつをしていく中で、ティナの家族だった人たちは最低限のあいさつをかわし、それ以上の会話を公爵夫妻が彼らとすることはなかった。


 「ティナ」とイライザ夫人に小さな声で名を呼ばれ、ティナは意識を会場から今、自分がいる場所へと戻した。微笑んでいるイライザ夫人から普段はティナに向けられない圧を感じた。あの人たちを無視することは、きっとイライザ夫人が決めたのだろうとティナは思った。ティナとセオドアが結婚するのに、二人からだけではなくセオドアの実家からも無視される彼らがどういう目で見られ、この貴族の社会でどういう立場になっていくのか……もう、ティナには関係ないことだった。

 ただ、イライザ夫人やリネット、そして誰よりもセオドアから与えられたこの穏やかな居場所を、ただ享受するだけではなく大切に守っていけるよう努力することがティナがこれからやるべきことだろう。


「でもいっそう美しくなったのはドレスだけが理由ではないでしょう?」


 ティナの意識が向いた先やイライザ夫人の様子にあえて触れず、婦人の一人がそう言いながら扇子で隠した口元を悪戯っぽくほころばせた。


「あ、あまりからかわないでください……」


 婦人たちの軽やかな笑い声が響く中、「随分と楽しそうですね」と友人たちと話すためにティナの元を離れていたセオドアが戻ってきた。黒髪をきちんと撫でつけ、よく見ると緑色がかっている黒い上着と小麦色のベストを着ていた。ベストにはティナのドレスのように同系色で植物の刺繍がされている。

 座っているティナの後ろに立つと、自然なしぐさで彼女の細い肩に手を置いた。誰の目から見ても二人がお互いに見つめ合う視線はやさしく、愛情に満ちていた。


「何の話をしていたんです?」

「夏が終わってからティナはいっそう美人になったという話をしていたのよ」


 イライザ夫人が言った。


「ええ、本当に。もちろん以前からお綺麗でしたけれど、表情が明るくなったからかしら?」

「やっぱり愛されていると違うのですよ」

「ふふ、そうですわね」

「あまりからかわないでください……」

「まあ、あなたたち二人して同じことを言っているわ」

「……ご婦人方が何を話していたかわかりましたよ」


 セオドアは苦笑いをした。


「誰だって僕らの立場だったら同じことを言うと思いますよ」


 それからティナに改めて視線を向けるとすっと手を伸ばした。


「友人たちが君を紹介しろと言うんだ。一緒に行ってくれるか?」

「はい」


 セオドアの手を取ってティナは立ち上がった。


「ティナさま、また戻っていらしてね」

「結婚式はいつか決まっていらっしゃるの?」

「いえ、まだですが、あまり遅くならないようにするつもりです」

「あの、みなさま招待させていただいてもよろしいでしょうか? 昔からお世話になっていますし、ぜひいらして欲しいのです」

「よろしいのですか? もちろん、ぜひ出席したいわ」


 「わたくしも」と口々にうなずく婦人たちにティナはほっとしたように笑顔を見せた。


「では、ティナをお借りします」


 夜会がはじまってからそれなりに時間がたっていた。ティナもイライザ夫人たちの集まりに同席するまではセオドアと共に彼の家族や親戚にあいさつをしてまわったが、それも随分と前のことのように感じる。セオドアが友人たちに声をかけられたタイミングでティナもイライザ夫人に呼ばれたため、夫人のすすめでひと休みをしがてら読書会の婦人たちとおしゃべりをしていたのだった。それがまさかあんなにからかわれるなんて。まだ頬が熱い気がして仕方なかった。


「顔が赤くなっていないでしょうか?」

「なってないさ。ご婦人たちにはまいってしまうな」

「でもみなさまいい方ばかりです」


 顔を見なくてもセオドアのヘーゼルの瞳がやさしく自分を見つめているのをティナは感じていた。


 セオドアの友人たちは広間の一角に集まっていた。長椅子と肘掛け椅子が一つずつあり、そこにパートナーを座らせて彼らはそれぞれゆったりと立っていたりパートナーが座る場所の背もたれに少し体を預けたりしている。誰もが流行りの衣装に身を包み、くだけた雰囲気でも伸びた背筋が育ちの良さをうかがわせた。

 ティナは一瞬怖気づきそうになったが、それを察したのかセオドアは自身の右腕に添えられたティナの手に左手をそっと重ねた。


「僕の友人たちもみんな気のいいヤツらさ」


 ティナは小さくうなずいた。はじめて彼女を見た時が嘘のように、その表情は穏やかで明るく、緑色の瞳に灯りが反射してきらめいているさまはこれからの生活への希望を映し出しているようだった。


「綺麗だよ」


 彼女のこの瞳のきらめきを、一生守って行こう――セオドアは目を細めて彼女を見つめた。そのヘーゼルの瞳にも同じきらめきがあるのを、ティナだけが知っていた。





たくさん読んでいただき、ありがとうございます。

活動報告に短編の文字数についてのアンケートを設置したので、よければ回答お願いします。

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