第九話 クリスの嫌いなものは人の悪口
「……結婚式から逃げ出してきたの」
白いドレスの裾を握りしめ、目の前にいる女性はそう言った。
クリスは首を傾げ、妙に真剣な顔で問いかける。
「なんで逃げてきたんだ? まさか浮気とか……!?」
「違うわよ。もっと大事な理由があるの」
「へぇー……」
どこか興味なさげに相槌を打ったクリスを横目に、ロランが話題を切り替える。
「あの、僕たち、この街に“アルマト・クータスの石”があるって聞いて来たんですけど……どこに行けば見られますか?」
その名を聞いた瞬間、女性――ピュラの表情が晴れやかに変わる。
「その石なら、私の家にあるわ」
「「えっ!?」」
クリスとロランは、互いに驚いた顔を見合わせる。
「え、どういうことですか?」
「フフフ。家に来れば分かるわ」
そう言うとピュラはゆっくり立ち上がり、涙の痕を軽く拭うと、歩きやすいようにドレスの端を破って結ぶ。
「じゃあ決まりね。私もちょうど帰るところだったの。あなた達、名前は?」
「金髪の方がクリスで、獣人の僕がロランです」
「私はピュラよ。よろしくね」
♢
他愛のない話をしつつ、すぐに三人はクラクーファの中心部へと辿り着いた。
街の中心に足を踏み入れた瞬間、ロランとクリスは思わず足を止める。
目の前に広がっていたのは、砂漠育ちの二人にとって信じられない光景だった。
低い木々がいくつも植えられ、淡い緑の葉が風に揺れている。
その真ん中では、噴水が白い水しぶきをあげていた。太陽の光を受けてきらきらと光り、まるで宝石みたいに輝いている。
さらにその外側には、食べ物を売る露店や石造りの街並みが規則正しく円形に並ぶ。
まるでこの街の暗い部分を全く知らないかのように、街の人々も賑わいも見せていた。
「うわっ、なんだこれ!? 水が勝手に空に飛んでるよ!」
ロランは目を丸くして噴水のまわりを走り出す。
「ロラン、あんまりはしゃぐと転ぶぞ……!」
クリスは苦笑しながらも、その瞳には驚きと憧れが隠しきれなかった。
ふだん乾いた風しか知らない二人にとって、この場所はまるで別世界だった。
そして——噴水広場の奥に、それはそびえていた。
赤いレンガを積み上げてつくられた、巨大な屋敷。
壁面は柔らかな陽光に照らされて深い朱色に輝き、いくつもの窓が規則正しく並んでいる。
「……あれが家!?でっけぇ……」
クリスがそう言うと、ピュラは鼻を鳴らして答える。
「へっへーん!これが私のお家。すごいでしょ!実はね、私領主の娘なんだ」
「な、何ですって!?領主様の、むすめェ!」
街に感動していたロランが慌ててピュラの元へと戻り、自分の発言に失礼が無かったか振り返る。
「いいのよ。別に領主だからって偉いわけじゃないから」
彼女はにこやかにそう言うと、先へと歩みを進めた。
屋敷の入り口には門番が二人立ち、彼らはまずクリス、ロランを見て面倒くさそうに言う。
「君たちぃ、聞いてないのか?今は忙しいんだ。結婚式場からお嬢様がいなくなったらしくてねぇ、外部の人間を屋敷に入れる時間なんてないよ」
しかし、それを聞いたピュラが二人の前に出て、切ってしまった短いドレスを広げた。
「居なくなったお嬢様って、こんな格好してたのかしら?」
突然出て来た行方不明の相手に、門番は口をあんぐりと開けて彼女を見る。
開いた口が塞がらないとはこのことだ。
「お、お嬢様、お嬢様が帰られたぞ!!」
♢
赤レンガの屋敷の扉が開くと、まず出迎えたのは冷たい空気と、紙の匂いだった。
広い玄関ホールの奥、いくつもの書類が積まれた机に、本を持った長身の男が座っている。
やせ形の体、ぼさぼさの髪、そして瓶底みたいに分厚い眼鏡。クラクーファ領主ハリデ――ピュラの父である。
「……む? 誰だ。今は忙しいのだが……」
顔を上げた領主は、そこに立つピュラを見るなり、眼鏡の奥の目を見開いた。
「……ピュラ!? 本当にピュラなのか!」
机から飛び出すように駆け寄り、その細い腕で肩を掴む。その手は驚くほど震えていた。
「どれほど探したと思っているんだ……! まったく、心配を……」
「だったら、どうして結婚式に顔も出さなかったのよ!」
ピュラが勢いよく言い返すと、領主はビクリと肩を揺らした。
「あの男との結婚謎認めん。それに、自身の種族をよく考えてここに帰ってきたのだろう?わたしの娘ならきっとそうすると思っていた」
彼はそう言うと、門番が連れてきた二人の少年の方を向いた。
「君たちは……」
ピュラが口を開く。
「彼らはクリスとロラン。アルマト・クータスの石を見に来た隣町の少年で、私の友達よ。結婚の件とは無関係」
それを聞いた領主ハリデは、とてもこの街で悪政を行っているとは思えないような笑みを浮かべて言った。
「そうかそうか!娘の友達……可愛らしい子達だ。せっかくだから私が案内するとしよう。ついてきなさい」
石へ向かう長い廊下は、奇妙なほどに静まり返っていた。
領主の屋敷だったが、衛兵は少なく時たま執事とすれ違うだけだ。
足音がやけに響く中、三人と領主だけの会話が続いた。
「父さん、相変わらず仕事しすぎよ。机、書類の山だったわよ?」
「仕方ない。石の管理はこの街の生命線だ。滞るわけにはいかん」
ハリデの口調は淡々としている。しかし、歩きながらも手元の小さな手帳に何かを書き込んでいるほどの勤勉さだ。
「夜もずっと仕事してるんですか?」とロランが尋ねると、ハリデは軽く笑った。
「正解。私の睡眠時間は三時間あれば足りる。石には常に監視と研究が必要でな……む、これは聞く必要はないか」
「聞きたいよ。すげぇな領主って」
クリスが食い気味に聞く。
「不正解。褒められることではない。私はただ……あの石を守らねばならないだけだ」
そのひと言には、どこか含みがあった。
ピュラが振り返り、クリスに小声で囁く。
「父さんって、昔はこんなじゃなかったんだけどね」
「……そうなんだ」
クリスは少しだけ苦笑し、ハリデの方を見た。
柔らかな笑みを浮かべるハリデの横顔には、僅かに緊張が宿っていた。
屋敷の奥へ進むにつれ、その気配は濃くなっていく。
「着くぞ」
そう告げられた先は、屋敷の中心部にある大広間だった。
広間の中央には、背丈ほどもある石柱。その内部に嵌め込まれた大きな石が、淡い光を帯びて輝いている。
青でも赤でもない――光の色は説明しづらい不思議な色で、ゆっくりと脈打っていた。
「……これが、アルマト・クータスの石……!」
クリスとロランは思わず息をのむ。
荒野で育った二人には、目の前の石がまるで別世界の遺物のように見えた。
特にクリスは、前世でもこれほど輝く鉱石を見たことがない。
ファンタジー世界にしかない奇跡の石に心を躍らせていた。
だがクリスは、この石から、どことなく鉱物というより何かの機械のような雰囲気を感じ取っていた。
それはかすかに聞こえる機械音か、光り方か。何故かは分らなかった。
「太古からある無尽のエネルギー源。街の蒸気機関も、この石の力があるからこそ維持できる」
ハリデの声は誇らしげで、しかしどこか切実だった。
「父さん、この石の管理って大変なんでしょ?」
「……ああ。だからこそ私は怠れん。誰にも任せられぬ。誰にも、だ」
その言葉に込められた“何か”は、まだ誰にも理解できない。
クリスはしばらく石を見つめ、やがて静かに口を開いた。
「……これが、爺さんの言っていた石……なぜ俺達をここに行かせたんだろう?」
「ん?」
「養父の……ハンス爺ちゃんに言われたんだ。“この石を探せ”って。理由は教えてくれなかったけど――走り書きで」
その瞬間だった。
一瞬にして空気が変わった。
ハリデの掌がわずかに震える。
瓶底眼鏡でよく見えないが、おぼろげながら奥の瞳が大きく揺れた。
次の瞬間――みるみる険しくなる表情。
「…………誰の名を、今言った?」
声が低い。
クリスもロランも、思わず背筋が冷える。
「あ……ハンス、って……。僕達を育ててくれた人なんです。遺書に”この石を探せ”って――」
「やめろ……それは不正解だ」
ハリデの声が、鋭く空気を裂いた。
クリスは言葉を止めるしかなかった。
つい先ほどまで優しそうな笑みを浮かべていた男が、鬼の形相で歪んでいる。
それは怒りなどではない――焦りだった。
彼は命の危険を感じているのか、それとも彼の大切な何かが脅かされているのか。
異様な狼狽え方をしている。
ロランが息を呑む。
ハリデは二人を睨みつけ、その視線はまるで胸の奥をえぐり取るようだった。
「門番!!」
怒号が響き、広間の外から複数の足音が一斉に駆けてくる。
「この二人を連れて行け。直ちにだ。――その者が“何を知っているのか”確かめねばならん!」
「は、はいっ!!」
「ま、待って!父さん、どういう――!」
ピュラが叫ぶが、ハリデの声がそれを叩き潰した。
「不正解不正解!!黙っていろ、ピュラ!!私には、領主として果たさねばならん責務がある!!」
門番たちがクリスとロランへ向かって迫る。
広間の空気は、一気に張りつめた。
先ほどまで穏やかだった屋敷は、急に牙を剥いたように見えた。
クリスは呆然と石を見つめる。
――この石に、いったい何がある?
そして、ハンスは何を知っていた?
門番に脇を抱えられ、牢へと連れていかれる間、謎だけが重く積み上がっていく。




