第八話 クリスの好きな食べ物は肉全般
ベルの音が静まり、誓いの言葉が終わった。
柔らかな陽光がステンドグラスを抜け、花嫁の横顔を照らす。
花嫁であるピュラは笑っていた。
それは参列者がため息を漏らすほど幸福そうで、ヤクブ自身も胸が熱くなる。
入場のとき、ヤクブはぎこちなく歩を進めていた。
だが今は違う。
ただ隣にいるだけで満ちていく幸福に、身を委ねていた。
彼は思う。
――自分にはもったいないほどの人だ、と。
しかし、それはピュラも同じだった。
謙虚で、優しくて、互いの幸せを本気で願い合える二人。
まさに、誰もが羨む夫婦そのものだった。
誓いのキスが交わされ、二人は頬を赤らめて互いを見つめる。
「指輪を」
司祭がそう告げた瞬間、ピュラの顔が僅かに歪んだ。
しかし、ヤクブは微笑んだままリングピローから指輪を取り上げる。
そして幸せの溜息をついた。
「ピュラ、これからも——」
彼が彼女の左手を包んだ、その刹那だった。
ピュラの瞳から、ふっと光が消える。
“なにか”に気づいたように、怯えたように、見たくないものを見たかのように。
ヤクブの指先が彼女の薬指に触れる。
ピュラの唇が小さく震え、その震えがドレスの裾まで伝わる。
「……だめ。やっぱりだめよ」
誰にも聞こえないほど小さな声。
たったそれだけで、ヤクブの幸せが壊れていく音がする。
「ピュラ?どうしたんだ?」
ヤクブが彼女の手を握り直そうとした——その瞬間。
ピュラはその手を振り払った。
会場がざわつき始め、司祭も彼らの顔を交互に見る。
そして、彼女は花嫁衣装のまま出口へと走り出した。
白いドレスが舞い、ヒールが床を打つ音だけが響く。
「待って! ピュラ!」
ヤクブはとっさに追いかけようとするが、とまどう司祭と参列者が道を塞ぐ。
ピュラは扉の前で一度だけ立ち止まった。
振り返らない。けれど、誰にも見えないほど微かに唇が動く。
「……私は――」
他でもない、ヤクブだけがこの声を聞く。
いや、声は聞こえていなかったかもしれないが、ヤクブには分かった。
彼女の悲痛な、大きな心の叫びが。
次の瞬間、扉が強く開かれ、光の中へ彼女は消えた。
残されたヤクブは、いまだ指輪を手にしたまま立ち尽くす。
「どうして……なぜ……ピュラ、ピュラ――!!!!」
♢
「ちょっと待ってくれ!門の不調だァ!」
「おいそこ、列を乱すな!」
ヘルメットをかぶった兵士が門の前に並ぶ旅人たちに叫ぶと、痺れを切らして待つ彼らは、口々に文句を言った。
「早く入れろよ!」
「もう数刻待ってるぞ」
砂漠の中、街までもう少しというところで足止めされた彼らは、怒りが頂点に達し、今すぐにでも暴動が起きそうだった。
その列の中腹に、背の低いヒトと獣人の少年が一組。
「あいつらうるせぇなぁ」
「さっきクリスも文句言ってたろ」
「そうだっけ……てか、ロランはここまで来なくて良かったんだよ」
クリスとロランだった。
いつも着ているチュニックにフード付きローブを被り、バッグ一つで砂漠を超えてきた彼らは、隣町“クラクーファ”の入り口にて渋滞に掴まっていた。
「あのなァ、俺の復讐にロランは関係ないんだからな」
クリスはロランを突き放すように言ったが、ロランはそれを否定する。
「獣人を孤児院でみていたからハンス爺さんは殺されたんだ。僕のせいだよ。僕がやり返すんだ」
「ちげぇよ。別に理由があるはず。その理由を探るためにわざわざこの街へ来たんだろ。爺ちゃんの遺書にあった“アルマト・クータスの石”はここで有名だからな」
クラクーファの街は二つの意味で有名だった。
一つは無限のエネルギー源、アルマトクータスの石。
もう一つは、この石が街に来てから狂った、街の領主についてだ。
その噂はまさに酷い悪政として各地へと広まっている。
「……復讐はともかく、クリス一人じゃ行かせない」
「ケッ、勝手にしろ――俺は門を見て来るぜ」
「ま、待てよ!僕も何が起きてるのか見る!」
ロランは慌てて追いかける。
苛立ちの溜まった列の中をすり抜け、クリスは門の前へと小走りで進んでいった。
門の前に到着すると、そこは旅人たちでごった返し、兵士たちは叫び声を上げながら列を整えていた。
普段なら勢いよく吹き上がる蒸気機関式の門の蒸気は、白く細い筋となって揺れているだけ。
開閉装置は止まったままだった。
おそらくこれが原因で門が開かないのだろう。
しかしロランは立ち止まり、多数あるうち一本の蒸気管をじっと観察する。
管の外側には水滴がびっしりとついていた。
「ここが問題か」
その真面目な性格からか、孤児院では最も几帳面だったロランは、すぐに蒸気管の異常を発見した。
一方のクリスは耳を澄ませ、どの蒸気管に異常があるのかを聞き分ける。
「いや、流石に分からんか」
が、分からなかったようだ。
そんなクリスを尻目に、ロランは見当違いな場所を探す兵士達を避けて問題の箇所へと近づいた。
「おい小僧、危ないぞ!大人しく列に並んでろ。どうやったって門が開かねんだ」
「違います。ここですよ。ここだけわずかだけど他の管よりも水蒸気が付いてる。原因です」
ロランは慎重に蒸気弁に手をかけ、圧力の変化や蒸気の流れを確かめながら少しずつ操作した。しかし、蒸気はほとんど戻らない。
「蒸気弁をいじっても無理か……」
小さく息をつき、ロランは肩を落とした。
それを見ていた周囲からは、落胆と不満が断続的に聞こえる。
「少年、俺にゃ水滴の量なんて変わんねぇように見えるぜ」
遂には兵士も不満を漏らし始めた。
が、その時、クリスが口を開いた。
「水滴がつくのは中の圧力が足りてない証拠。つまり、この中の温度が上がりすぎてんだと思う」
不意に出て来た化学的な知識に、その場にいた全員が驚いた。
特に、ロラン。
クリスは少し前まで能天気な少年だったのに、何時からか博識になった気がする。
――肝心の性格は子供のままだが。
クリスはすぐさま蒸気管を見てしゃがむと、兵士に言った。
「急冷したら金属は割れる。だから、濡らした布で少しずつ冷やせば直るよ」
「お、おい、誰か水筒持ってこい!」
兵士が叫ぶと、列の後ろから駆け寄った旅人が小さな水筒を差し出す。
クリスはそれを受け取り、布を濡らして蒸気弁に当てる。
熱い蒸気で布が白く蒸れるが、クリスは動じない。
指先で温度の変化を感じ取りながら、少しずつ冷却を続けた。
やがて、管の中から勢いよく蒸気が戻り、門の開閉装置が滑らかに動き出す。
ガガガガガ
低い音と共に門が開き、その内側にあった街並みが露わになった。
「動いた!」
列の旅人たちが歓声を上げ、兵士も胸を撫で下ろす。
「ありがとう!君は天才だよ!!」
すると、クリスはにっこりと笑って言った。
「いや、ロランがどこに問題があるかを見つけないと分かんなかった。冷静で賢いロランと、単純で意外性のある俺でニコイチなの」
「フフッ――あぁ、そうだな」
ロランは呆れたように言ったが、いつの間に彼らは仲を戻していた。
「じゃ、解決したお礼として、無料で一番にクラクーファに入れさせてよ」
クリスが無邪気にもそう言うと、兵士は快くそれを受け入れていくれた。
こうして二人は、煙突の街“クラクーファ”へと踏み入れたのだ。
大都市のようにセメントや金属の蒸気機関が立ち並ぶわけではないが、赤レンガの煙突が並ぶ古風な街並みは、美しく整っている。
まるで中世の物語の一場面に迷い込んだかのような光景。
街の裏手にある山麓からは川が流れ出ているため、砂漠に接しつつも、緑は比較的多い。
ただ――その美しい景色の中で、ひとつだけ、同じく美しくも、異質な光景が目に入った。
それは、純白のウェディングドレスに身を包んだ女性。
彼女は門の側でうずくまり、肩を震わせていた。
「おい、ロラン、ありゃどういうことだ?」
「さぁ……」
「声かけてみようぜ」
「えっ、そんな全く知らない人なのに――」
「いや、事件の匂いがプンプンするぜェ」




