第七十六話 己の為に生きるか、誰かのために生きるか
ステティアの薄暗い路地で一人の男が女の腕をつかんで壁に押し付ける。
二人の顔は、まつ毛が触れ合う程密接に近づき、女は顔を赤くした。
「駄目よ。こんなところで」
黒髪で片眼鏡を付けた大柄な紳士風の吸血鬼が、金髪で麗しい女性の首筋を舐めた。
「なるほど……」
男が言った。
「ねぇ、そういうことするなら、ここじゃなくて」
女は男の首に手を回す。
男はそれに構わず、女の耳元まで入念にそのスプリットタンを沿わせた。
「ねぇ、そう言うのが好きなの?変わってるわね」
女が待ちきれなくなり、そのまま男の首をぐっと掴んで男の顔を自分に向けさせた。
女は目を瞑ったが男がその顔を押しのける。
「僕はそう言うのに興味がないんだ。すまないね。そもそも僕にはそんな欲、滅多に起こらないんだよ。知ってた?」
女が唖然とした。
「ハァ?何それ。意味が分からない」
男はやれやれという風に首を傾げた。
「僕は君の首についてる人工喉機構の味を見てただけさ。それ、良い値段しただろう。微かにAgの味がするよ」
男はコートの襟を整えながら女に背を向けた。
「気持ちわるっ。顔は良かったのに変態かよ」
女が悪態をつき、その場から離れようとする。
「いや、何を勘違いしていた?君が勝手に期待して勝手に自分でがっかりしただけだろう?まるで僕が悪いみたいに言うじゃないか」
男が女に背を向けたまま言う。
女はより不快そうな顔をしたが、男は続けた。
「君の喉に使われてるものは良い製品だ。ぜひうちも参考にしたい。あの曲線が流動的な動きを可能にし、喉を支えている」
「ハァ?」
「あぁぁぁあああ……美しいね。芸術的ってやつだ。しかも!銀製。真鍮製が多く出回る中で、おそらく旧型の……おっと、喋りすぎたね。僕、機械が好きだからさ」
男はにっこりと笑うと女の方に振り向いた。
女は急に背筋へ寒気を感じる。
それは誰かに命を狙われているような恐怖、不安。
男がパンパンと手を鳴らす。
「端的に言うと、君の喉をくれ。君はいらない。君の喉を僕のコレクションに入れさせてもらいたいんだ」
男が手を鳴らしたのに反応して、一人の青年が空から降ってきた。
フードを被った青年は、吸血鬼男の横へ無音で着地する。
「マンナズ。よろしく」
男がそう言うとマンナズと呼ばれた青年が女に飛び掛かった。
「え、何何!?嫌、キャアアアアアア!!!」
女がマンナズに喉を掴まれて叫ぶ。
その叫び声も、喉を強く握られたことで掠れていった。
「じゃ、僕は帰るから」
大柄な紳士風の男はコートを翻し、その場を去っていく。
「了解です。カシム様」
マンナズが小さな声で、そう答えた。
男が去った後の路地には、マンナズと呼ばれた青年と喉を切り裂かれた女。
マンナズの白髪には女の血がべっとりと付いていた。
彼の表情はまるで鬼人のような形相。
その美しく黒い瞳は、誰彼構わず人を殺せる目をしていた。
♢
「お願いします!あの時、ラオの屋敷で何があったんですか!百人近くもの人が死んだ虐殺、その真相を教えてください!」
「知らん。ワシに聞くな」
「では、列車爆破事件容疑者のクリスさんは今どこに!話によるとあの日ジィジさんと一緒に屋敷付近に居たと聞きました」
「知らんわい、死んだんじゃろ」
ジィジがオファク村の門に着くと、青い民族衣装を着た門番が記者の行く手を止めた。
「ジィジ村長!ジィジ村長!」
年老いた村長は一人村に入り、煩わしさから解放された気の緩みからか、屁をこいた。
「全く、最近の記者は滅茶苦茶しおるわ。ワシの目が見えんことを良いことに、さっきトイレまで入って来たからの。お蔭でワシは早よトイレに行きたいんじゃ」
ジィジがそう言うと、側に来た村の若い戦士が笑った。
「それは酷いですね村長。そんな大変なところ申し訳ないんですが、客人が村長の間で待っております」
「誰じゃ」
「いや……それが、“もう行く。感謝を伝えに来た“と言えば伝わると。見慣れない顔で。オファクの、青い紋様が入ったフードの付いたロングコートを着ていたので、一応客間へ通しておきました」
♦
「お主に、この剣をやろう。本当はエアリアにやる予定じゃったが、ギリギリ渡せんやった。名は、”アンブリエル”じゃ」
ジィジが腰に帯びていた、銀製の青い紋様の入った剣を男の前に差し出す。
彼は両手でその剣を受け取ると、すぐに自身の腰へきつく帯びた。
「ありがとう。ジィジ。じゃぁ、待たせてるし、行くよ」
男はゆっくりと立つと、ジィジと握手してから洞窟入口のドアに手を置く。
「ワシは毎度戦闘マシーンを送り出しているつもりは無い。死ぬなよ、クリス」
ジィジ村長から最後の忠告を聞いて笑顔になった男は、ゆっくりとドアを押して開けた。
扉の隙間からは、外に出る男を歓迎するかのように淡い光が零れてくる。
「うーん、何とかなるさ!行ってきます!!」




