第五十二話 一人目➂
霧が晴れたとき、ブルートは剣を失っただけで無傷。
クリスは両腕から血を流し、膝をついている。
勝敗は誰の目にも明らかだった。
♢
このとき、ロランに意識はなかった。
だが、ロランではない何かが身体を乗っ取ろうとしていた。
「俺がお前の……本性ダ。暫く眠ってイロ……」
ロランの目がゆっくりと開く。
その眼差しは温厚なものではなく、青く、禍々しく輝いていた。
ロランではない何かは、獣となった右手で左手に刺さった剣を抜く。
「俺ガ……相手をスル」
ブルートが向き直るより早く、鋭利になった鉤爪が脇腹を貫いた。
「は、速い!それに、何てパワーなのだ」
爪を引き抜き、距離を取る。
その姿は見る間に変わっていった。
――巨大な獣へと。
ロランの獣化。
意識も途切れ途切れとなったクリスの目に映ったのは、巨大な赤毛の狼男だった。
キリの人狼とは違う。
狼“男”というより、人の要素がほとんどない。
見たこともないほど大きな狼が、仁王立ちしているような姿だった。
所々に混じる銀色の毛が光を反射し、野性的な姿の中に神秘的な気配を漂わせている。
「お前、何の獣人だ?見たことがない種類だ」
ブルートは腹の傷に触れ、血の付いた指先を見て、忌々しそうに向き直る。
「オレは、一分で戻る。オれの、人間の……部分が帰ってくるまで、一分ダ。…それだけデ十分だナ」
言うと同時に懐へ潜り込み、先ほど貫いた傷口へ牙を立てた。
「いだァ!クソッ!こいつ、何種だ!速いスピードに回復力、何でもありじゃないか!」
ブルートは肘で首を殴り、顎を引き剥がす。
一度退く。
だがロランは、すぐにまた距離を詰める。
四本の腕と対峙する。
ブルートが殴る。
オオカミが噛み付く。引っ掻く。
蹴り返す。
人間を超えた攻撃の応酬。
しかし、未知の力を引き出しても、ブルートを倒すには至らなかった。
「……もうすぐ一分ダ。小僧、準備しておけ」
狼男が告げる。
「一分では仕留めきれなかったなァ狼男。今のお前の人格はなかなか強いが、元のガキに戻れば大したことはない」
ブルートは腕を振り上げると、狼男の頭に向かって振り落とす。
痛みに悶えるロラン。
「ロランとかいう別人格の小僧がどれだけ準備しようと――我が勝利には変わらんわァ!」
四方向から手刀が振り下ろされる。
避けきれない。
肩と腕に受ける。
だが同時に、腹へ爪を突き刺した。
狼男の肩から血が噴き出す。
同時にブルートの腹からも血が流れる。
「グフッ――流石は吸血族ノ英雄と言っタところカ」
壁に押し付けられ、今度はブルートが磔になる。
ロランも四カ所の裂傷から血を流していた。
ブルートは壁に抑えつけられながらも、口角をゆっくりと上げた。
「フハハハハ!俺は壁に刺されようとも致命傷は避けた。俺の力であれば、獣人の攻撃とは言え、時間が経てば綺麗に治るだろう。そして迫る獣化のタイムリミット」
狼男は口から血を滲ませ、手に力を籠める。
だがブルートの肉体は、うねりながら回復していく。
「素晴らしい戦いだった!だがやはり、俺は吸血族界の英雄となるべくして生まれて来たのだ!俺に敵う者はおらん!――この手刀でさらばだ。我の勝利であるッ!!」
右手を振り上げる。
――そのとき、狼男の背後から声がした。
「よく喋るぜこの男は」
「貴様ァ……!」
「戦いの最中にベラベラと喋りやがって。あのなぁ、最初から言ってんだろ?お前は俺がぶちのめすと。人ロランに言われて準備していたのは、そいつの内に眠るロランじゃねぇ……俺だ!」
正面で、ゆらりとクリスが立ち上がった。
「その手にあるのは……リボルバーか!」
右手に光るは、黒く磨かれた鋼鉄製のリボルバー。
クロノスで複製されたものではない。
ハンスの孤児院跡にあった形見のリボルバーだった。
「残弾数1。一発もありゃぁ、お前を殺すのに十分だよなぁ」
「まずいな、クソッ!この手をどけろ!退けろ狼男ォ!」
腹から腕を引き抜こうとする。
だが爪は壁に深くめり込み、抜けない。
ロランは最後の力を振り絞り、さらにブルートの腹へ爪をめり込ませた。
「ま、待て、クリス少年。これはいや、あの、どうにかならんか。うちの組織へ来るか?い、いいいいいくらでも人を殺させてやる。な?クリス。赦してくれ!その銃を下ろせェ!」
欠けた指。血にまみれた右手。
クリスは無言で銃口を向ける。
その口元に浮かぶのは勝利の笑みだけ。
「あばよ――お前は一人目だ」
ゆっくりと引き金を引く。
「やめろ、やめろやめろやめろやめろォ!こんの貴様ァァァァァァァ!!」
――バァァァァァァァァン!!!!
銃声が響き、弾丸が眉間を打ち抜く。
ブルートの体から力が抜け、目の光が消えた。
そして腕から崩れ落ち、地面に倒れた。
「……やっと俺の復讐が始まった……ブルート、喜べ。お前が最初の犠牲者だ」
クリスはそう吐き捨てると、膝から崩れ落ちる。
ロランも人の姿に戻り、ブルートへ覆いかぶさるようにして倒れた。
死闘を繰り広げていた二人の体は、力なく地面に投げ出される。
ブルートの屋敷に、数時間ぶりに完全な沈黙が訪れた。
♢
少しして、屋敷の入り口からルーシー、カール、ジャガーが入って来る。
「クリス君ロラン君!大丈夫か!」
カールが駆け寄る。
三人は広間を見渡し、倒れているエアリアに気付いた。
「エアリア!」
ジャガーが抱え上げ、屋敷の中央へ三人を集める。
「起きろ!意識を保て!!寝るとあの世行きだぞ!!」
声をかけると、三人とも目を覚ました。
「ど、どれくらい寝てたんだろ……」
エアリアが辺りを見回す。
「大丈夫か、三人共」
カールが心配そうに言うと、クリスは血みどろになった腕を持ち上げながら言った。
「あ、あぁ、大丈夫……多分?勝ったぜ。これでラオは安泰」
「そうか、やってくれたか!遂にやった。だがそれよりも!!君たちの傷は深刻だ。早く手当てを」
外にいた救急隊と護衛兵を呼ぶ。
すぐさま三人の治療が始まった。
ロランはうっすら意識があるが、肩と右足の骨を折っているようで歩けない。
応急処置を受け、ルーシーに肩を貸してもらう。
クリスも両腕をひどく負傷していた。エアリアと共に、オファクの戦士達から応急処置を受ける。
「じゃぁ、クリス。先に行っておくよ」
処置を終えたロランが、ルーシーと屋敷を出ていく。
「またあとでな」
その後、エアリアとクリスも処置を終えた。
青い戦闘服の戦士たちに支えられ、カール、エアリア、ジャガー、クリスはゆっくり歩き始める。
両腕に包帯を巻いたまま、クリスが聞く。
「で、外はどうなったんすか?」
「反乱軍の七割がやられてしまったが、成功はした。残った吸血族や貴族たちはラオから逃げて行ったよ。ハピはどこにいるか分からないらしい……もしかしたら戦死したのかも」
理想のラオへ一歩近づいたはずだった。
だがカールの表情は暗い。
「俺はこれまで、たくさんの仲間たちに支えられてここまで来た。だが、その途中でどれだけの仲間が死んだ」
カールは空を見つめ、拳を握りしめた。
「俺の復讐と、ラオの未来のために多くの犠牲を払ってきた。その屍の上に築かれた平和は、果たして――」
血に濡れた鉈を見つめ、俯く。
それを聞いたジャガーとエアリアが、彼の正面に回り込んで、命一杯の力で敬礼をした。
「隊長!ラオに蔓延る悪は一掃されました!これで私達の任務は達成です。お疲れさまでした」
「あとはアタシらが平和な生活を送るだけ。もちろん、色んな種族の奴らが一緒にな」
満面の笑み。
全員が小さく頷く。
「ご苦労!諸君」
カールはそれだけを言い、足早に二人を追い越す。
ぼやけた視界のまま、ドアノブを握った。
「長かった……平和までが長すぎんだよッ……ありがとう、みんな!!」
その場にいた反乱軍の誰もが、目頭を熱くする。
ラオに平和が訪れ、隊長がその重荷を肩から降ろした瞬間。
ドアを開けようとした、その時だった。
外からドアが開く。
そこから、長身で真っ黒なスーツの男が、慌てて入って来た。
奥にあるブルートの亡骸を見つける。
――そして彼は叫んだ。
「ブルートォォォォォォオオオオオオ!!!」
その叫びに、クリスが顔を上げる。
そこに立っていたのは――ゼリク。
全ての元凶、諸悪の根源。あの狐顔の男だった。
「なぜ、お前がここにいるんだ!!!!」




