第五話 転生と始まり➀
今は吸血鬼支配時代。もう長らく人間の大統領は誕生していない。
さらに世界の半分は砂漠で、発達した技術は蒸気機関技術。
そんなファンタジーな世界に転生したのは、名をクリスという少年だった。
彼に前世の記憶があるとはいえ断片的で、前の自分の名前すら覚えていない。
だが彼は、5歳を迎えた頃から、少しずつ前世の記憶が甦り始めたのだ。
♢
――昨日までの人生が、まるで霧のように薄かった。
目を開けた瞬間、クリスはそう思った。
自分がどんな毎日を送り、何をして、何を大事にしていたのか。すべてがぼやけていて、現実味がない。
(昨日……俺、何してたっけ?)
考えようとすると、こめかみが鈍く痛む。
それなのに、もう一つの“記憶”だけは妙にはっきりしていた。
病室の窓から見える大きな楠の木。
寂し気なシャッター商店街。
寒く、凍えそうな夜。
そして――自分が“別の誰かとして生きていた”という確信。
(俺……転生、した?)
その気づきに、クリスは小さく息を呑んだ。
断片的だが、現代日本の少年だった自分の姿だけが、記憶の底に残っている。
スマホの光、自転車を漕ぐ音。
――そして、病弱でほとんどベッドから出られなかった毎日。
だがここは――
吸血鬼が君臨し、世界の半分が砂漠に飲まれ、蒸気機関が文明を支えるファンタジー世界。
クリスは布団から体を起こし、額を押さえた。
「いってぇ……」
寝返りを打つ音に気づき、隣へ目を向ける。
彼はロラン。
赤髪の獣人。ケモ耳に、ふさふさの尻尾。幼いながらも砂漠の民らしい茶色の瞳をした少年。
耳と尾以外、全く持って人間と変わらない見た目をしているが、まさに彼は、街で一般的に見られるタイプの獣人種だった。
その寝顔を見つめながら、クリスは胸に手を当てる。
(……あれ? 身体が軽い)
前世では当たり前だった“重さ”がない。
息を吸うたびに胸が痛んだあの日々すら、夢の中の出来事みたいだった。
(昨日までの俺……本当にいたのか?)
だが身体は、嘘みたいに動く。
クリスは静かに立ち上がり、外へ出た。
オアシスのはずれにある孤児院の外は、見渡す限り砂漠の地平線。
蒼と金に染まる朝焼け。
街からは蒸気塔が白煙を上げ、遥か遠くの巨大な山脈が影を落とす。
この世界の輪郭だけが、奇妙なほどくっきりしている。
「走れる……?」
一歩。
――また、一歩。
もちろん“クリス”としては昨日まで走れなかったわけじゃない。
だが、前世の記憶を思い出してからの身体は、どこか根本から違っていた。
血が巡り、筋肉がしなる。
視界は鮮明で、世界の輪郭が自分に追いついてこれない。
次の瞬間――砂を蹴り、風を裂き、信じられない速度で駆け抜けていた。
「すげぇ……!」
風が頬を叩き、胸は苦しくない。
力が湧き上がって止まらない。
砂地から少し離れた先に、ぽつりと草が生えた地帯があった。
砂漠の中の、細い緑の帯。
背の低い葦がそよぎ、小さな草原のように広がっている。
クリスはその中へ飛び込んだ。
柔らかな葦が足元で揺れ、朝の蒸気風が草を波のように波打たせる。
靴が土を蹴り、草の香りが胸いっぱいに広がった。
身体が勝手に前へ前へと進む。
走るだけで、世界が輝いて見えた。
「――わああああああああああああ!!!!」
声が、自然に出た。
叫びは朝の草原に吸い込まれ、鳥たちが一斉に飛び立った。
それでもクリスは止まらなかった。
ただ――生きている。それだけが嬉しかった。
小屋へ戻ると、ロランはまだ布団にくるまっている。
「ロラーン!起きろって、朝だぞ」
「んぅ……あと五分……グゥ……」
「五分じゃねぇって! ほら、朝焼け終わる!」
クリスは勢いのまま布団を引き剥がす。
そして、ロランに向かって満面の笑みで言った。
「おはよう!ロラン!今日は爺ちゃんの誕生日だぞ!」




