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第三話 クリストファー・ブレイブハート➂

 振り下ろされた剣が、ビュンという音を鳴らして雪を裂いた。

 だが――クリスの指が、わずかに剣へと触れたその時点で勝負は決まっていた。


 金属音すら鳴らないほど自然に、彼は剣の腹を指先だけで受け止める。

 力を込めて振った武器を、いとも簡単に止められた衛兵は狼狽えた。


「……軽いね。俺を倒すんじゃなかったのか?」


 愉しげな声だった。

 むしろ「もっと本気を出せ」と言わんばかりの響き。


 衛兵が叫ぶより早く、クリスは指で軽く剣を弾いた。

 弾かれた腕ごと衛兵が吹き飛び、雪に沈む。


 次の瞬間、四方から殺到する影。

 剣、槍。そして怒号と足音。


 クリスは笑った。


「そんなんじゃ当たんないぜェ」


 衛兵の繰り出す刃が迫るたび、彼の身体は風のように揺れる。


 避けるのはほんの数センチ。

 肩をずらし、腕を突き出すと衛兵の顎に拳が入り、少し仰け反れば槍すらも空を斬ってしまう。


 次々に倒れ、冷たく雪の積もった石畳へと倒れていく衛兵。


 まるで、クリスの目には未来が映っているのではないかと錯覚するほどであった。


「良い殺気だ。――気に入ったよ」


 クリスがそう呟いた時、最後の一人となった衛兵が震えた。

 だがそれは武者震いなどではない――自分が心の底から恐怖しているということに気づいたからだ。


 ――別次元の強者。

 ――生態系の頂点。


 己の力では一矢報いる事すらもできない、圧倒的な力を持った男に、裏市に集まった吸血種()が“ゾクゾク”と背筋を凍らせた。


 ただ一人を除いて。


「待て!」


 そう叫んだのは、ベミリアだった。


 一人残った衛兵はクリスに背を向けて逃げ、人混みの中へと消えて行く。


 ベミリアが掴んでいた女性の首を離すと、彼女は地面に倒れんだ。

 今の今まで息ができなかったのだろう、首を抑え、苦しそうにしている。


「貴様、何者だ?」


  ベミリアの声には震えも怯えもなかった。むしろ――獲物を値踏みする狩人のような静かな熱が宿っていた。


 クリスは肩の雪を払うと、口元にうっすらと笑みを浮かべる。


「何か悪いことしている奴がいるらしいから、来てみただけさ」


 軽口。しかしその一語一語の裏に、底の知れない圧が潜んでいる。


 ベミリアは周囲のざわめきを無視しながら、ゆっくりと前へ歩み出た。倒れた女の方へ視線を一度だけ落とし、すぐにクリスへと戻す。


「私の“食事”を邪魔する理由は?」


「人類皆兄弟って言うだろ?俺はこの言葉が好きでさ――兄弟が兄弟を食べようとしてたら、そら止めるでしょう?」


 その言葉に、ベミリアの表情が僅かに動いた。怒りではない。

 むしろ、愉快そうな微笑。


「兄弟、か。……その言葉、すぐ撤回させてやるぞ、下等種族」


 ベミリアの体から黒い霧のような気配が立ちのぼると同時に、吸血鬼特有の“飢餓”が満ちる。

 しかしクリスは構えすら取らず、ただ足を少しだけ開き、重心を落とした。


 次の瞬間――ベミリアの姿が消えた。


 雪煙が舞う。


 クリスの頬を、鋭い爪が掠めた。

 その速度は先ほどまでの衛兵とは別世界。空気が裂け、視界が白く閃く。


「ほう……そこそこ速いじゃねぇか」


 クリスの笑みが深まる。


 ベミリアは自身の爪に付いた血を舐めながら、彼の後ろへと着地した。

 その瞳には怒りも焦りもない。


 ただ――“狩りの喜び”だけが宿っていた。


「その程度か?目で追う事すらもできんだろう!!」


 言葉と同時に、ベミリアは地を蹴り再び消える。


 民衆は湧き、英雄の登場にヒートアップしていく。

 謎の青年に勝てないと思っていたところに現れたのは、同胞最強の男であり、この裏市を支配する存在。


「ベミリア様!!」


「最強です!」


 本来音で判断できるはずのベミリアの方向も、吸血種たちの声で全く聞こえない。

 流石のクリスも、目に見えぬ敵を捕まえることはできなかった。


 二撃目が彼の肩を掠り、真っ赤な血がコートに滲んでいく。


 だが、クリスは全く持って余裕の表情を見せていた。


「しょうがない。本気を出そうか。合図だけくれ!スワン!」


 彼がそう言うと、スワンは人混みの中で頭を抱える。

 合図を出せば自分が吸血種じゃないとバレてしまう。


 だが、スコル種の獣人の能力は、獣化することなく全ての獣人種の能力が使える事。


 今、ベミリアを目で追って方向を伝えられるのは、スワンしか居なかった。


 クリスは呼吸を整え、白い息を吐く。

 心臓を落ち着かせ、目を瞑った。


「貴様、何をしている。目を瞑って超能力で(われ)を捕まえんとするか!遂に神頼みか!我の圧勝だろう!そうだろう、認めよ下等種族よォ!」

 

 ベミリアはクリスの真正面で一度止まると、足を曲げ、目を閉じ、深呼吸を始めた青年に狙いを定めた。

 

「次の一撃が、キサマを生物から無生物へと変える。我が食料となれることに喜べ!!」


 ベミリアが足を伸ばしたかと思うと、民衆の視界から消えた。

 次の一撃で獲物は仕留められる――この場にいる吸血種たちはそう思った。


 そんな怒号を浴びせる者や、興奮して空へと叫ぶ者もいる中、クリスは一人の男の声に集中した。


 ベミリアの笑い声が聞こえ、クリスの周囲で高速に動いているのが微かに感じられる。

 その気配は徐々に近づき、死の刃が彼に届きつつある。


 だが、喧騒の中、ドスの聞いた声がクリスの耳に響いた。


 的確で、それでいて大胆な一言。


「真後ろ、六時の方向」


 その刹那、クリスの目が開く。


 彼の目は朱色に染め上げられ、暗赤色の瞳孔がカッと煌めいていた。

 その目は、まさに吸血種の目。


 クリスは体を捻り、後方を向くと、迫りくるベミリアの手刀に合わせ、自身の拳をクロスカウンターで滑り込ませた。

 

――それは一瞬の出来事。


 民衆からは、二人の攻撃がかち合ったかと思うと、次の瞬間彼らは互いに背を向けて立っていた。

 粉雪の舞う灰色の空の下、微動だにせず。


 いつの間にかクリスの目は黒く人間のものへと戻り、ベミリアの気迫も消えている。




 最初に言葉を発したのは、ベミリアだった。


「貴様、どういうことだ、その目は」


 彼の目に気づいたのはベミリアとスワンだけ。

 他の者達は何のことかわからず、唖然としている。


「ハーフなんだよ」


 クリスはそう答える。


 だが、ベミリアはその答えに納得しない。


「い、意味が分からない。ハーフは普通、常にハーフだろう!部分的に吸血種などありえ……そういう事か――血か!血だ……な」


 ベミリアはそう言いながら、膝から崩れ落ちた。

 彼は白目を剥き、床にひれ伏す形で気絶したのだった。


 



 クリスとスワンが極寒都市モスカの門へ向かい、冷たい風の中を歩き出そうとした時だった。


「――あのう! 待ってください!」


 振り返ると、雪道を踏みしめながら、一人の女性が必死に駆けてくる。

 厚手のコートに包まれているが、呼吸は荒く、それでも目だけはしっかりと二人を捉えていた。


「あのう……何日も探しました……! お二人は、闇市で私を……助けてくださった方ですよね?」


 スワンが目を細めた。


「おお、市場で助けた子だね。ずいぶん顔色が良くなったじゃないか」


 女性は胸に手を当て、大きく頷いた。

 かつて食糧奴隷として扱われ、極度に痩せていた面影はまだ残るが、その瞳には微かな光が戻っていた。


「私……どうしてもお礼を言いたくて……それと……これを」


 女性は震える指で、小さな布袋を差し出した。

 中から取り出されたのは――銀の指輪。

 飾り気はないが、丁寧に磨かれた跡があり、長い年月大切にされてきたことがわかる。


「家に……代々伝わるものなんです。これしか……差し上げられるものがなくて……」


 言い終えたあと、彼女の視線がそっとクリスへと向けられた。

 頬を赤く染め、小さく俯く。


 スワンが「やれやれ」と笑みを浮かべ、指輪を受け取ると、そのままクリスに押し付けた。


「ほら、ご主人様。(彼女、クリス様に惚れてますよ!)(小声)」


 クリスは少しだけ目を見開き、そして苦笑する。


「……俺に渡すべきもんじゃないだろ。大事な指輪なんだろ?」


「でも……命を救ってくださったのは、あなたで……その……」


 彼女の声は震え、言葉は雪の中へ消えていった。


 クリスは指輪を見つめ、ため息をつく。

 その右手の薬指には、すでに金色の指輪が光っている。

 誰にも触れさせない――そんな厳しい気配すら漂わせて。


「……ありがとう」


 そう言って、女性からの銀の指輪を布袋へ丁寧に戻し、腰のポーチへしまった。

 それを見て、肩を落とす女性だったが、諦めずにクリスへと聞く。


「ま……また、この街に来ますか?」


 強かな女性だ、とスワンは思う。

 なんなら、私が惚れてしまいそうだ、とスワンは思う。

 羨ましいなぁ、旦那様、とスワンは思う。

 

 クリスは彼女の問いにニヤリと笑って答える。


「必ず来るよ。次は、国王として、この街を作り変えに戻ってくる」






 女性は深々と頭を下げ、名残惜しそうに何度も振り返りながら雪道を戻っていった。


 その背が完全に見えなくなった頃、スワンが隣でちらりとクリスの手元を見た。


「……で、ご主人様。右手の指輪の件なんですが」


 クリスは「ああ」と短く返し、雪を踏みしめながら歩き出す。


「王妃の物だ。……外すと俺が殺される」


 その声音には、普段の軽さとは別の、深い愛のようなものがあった。

 スワンは軽々しく口を挟むのをやめ、数歩の沈黙のあとで静かに言う。


「……となると、今の指輪を持ち帰るのは、大ごとになりますね」


「そうだな。変な誤解が広まっても困る」


 クリスはポーチにしまった銀の指輪を軽く叩きながら、ぼそりと続けた。


「善意は受け取るさ。だが……これは“そういうやつ”じゃない」


 スワンは納得したように頷き、しかし次の瞬間、らしい調子で身を乗り出す。


「では、ご主人様。誤解されないためにも――日記を書いてはどうです?」


「……日記?」


「はい。なんなら、クリス様の過去から全部書けばいい。本になりますよ。いえ、むしろ書くべきです。私はクリス様の人生をもっと知りたい」


 スワンはクリスの前を歩きながら、さらに続ける。


「それに、いずれ国王になるなら……後世に残す“正しい記録”が要ります」


 クリスは横目でスワンを見る。

 半ば冗談だろうと思いつつも、その瞳は妙に真剣だった。


「……物語、ね」


「クリス様の足跡は、誰かが語り継がなきゃいけません。だったら、その“語り手”は近くにいた方がいいでしょう?」


 スワンの言葉に、クリスはふっと笑った。

 その笑みは、戦場で浮かべるあの獰猛さとは違う――どこか遠くを見るような微笑だった。


「そうだな。記しておくのも悪くない。せっかく成し遂げたんだ。俺のやったことくらい……誰かが読める形に残してもいい」


 そして彼は、雪の降るモスカの空を見上げる。


「――よし、いつか俺の行いが語り継がれるように。物語を書いてくれ、スワン」


 スワンは満足げに頷き、胸に拳を当てた。


「はい。(わたくし)山守スワン、この一生をかけて、必ず」

 ということで、私の提案により手記”異世界転生2257”が始まったわけですが、この私、従者スワンが登場するのは、あと最後だけとなります。

 少し寂しいですが、私はいつもこの文章を語っておりますので、どうか最後までお付き合いください。


 それでは、クリス様の、いや英雄たちの冒険譚を、お楽しみください。

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