第十六話 ステティアを目指して➁
“ステティア”とは、共和制国家ビサの首都であり、今彼らのいる町からは西へ約200キロ。首都だけあってビサ最大の町であり、最新の蒸気機関技術が集められていた。
そして共和制国家ビサは人、人狼種、吸血種から構成される多民族国家である。しかしその実態は上流階級層を吸血種が占め、最下層や被迫害階級には獣人種がいる格差社会だった。
♢
クリスの前世は、日本で生きていた一人の少年だった。
中学までは、ごく普通の人生――少なくとも、そう思っていた。
高校入学と同時に見つかった、肺の深刻な腫瘍。
それを境に、彼は無期限の病院生活を余儀なくされた。
窓の外では季節が巡る。
だが、彼の時間だけが止まっていた。
そんな日々の中、唯一の光があった。
隣の病室の少女「■■■」――彼女との会話だけが、生きている実感だった。
「いつから入院してるの? よろしくね!」
初対面から距離の近い彼女に戸惑いながらも、気づけば毎日話す仲になっていた。
彼女は一つ年上で、幼い頃から入院生活。
夢は海水浴だった。
一緒に漫画を読み、映画を観て、ゲームをした。
ホラーが好きな彼女に付き合ううち、ドラキュラや人狼の知識も自然と頭に入った。
――まさか、その知識が異世界で役立つことになるとは、その時は思いもしなかったが。
この世界の吸血鬼や人狼は、前世の知識と奇妙なほど一致している。
だが、人々は全くもってそれを知らない。
まるで、意図的に隠されてきた真実のように。
別れはあまりにも突然だった。
高校二年の夏、少女は先に天へ昇る。
そして――
退院したはずのクリスもまた、彼女を追うようにして死んだはずだった。
だが次に目を覚ました時、彼はこの世界で新たな人生を送っていた。
♢
時は戻って現在――。
クリスとロランは、ステティアへ向かう道の半ばを進んでいた。
巨大サソリに囲まれたことも、砂丘に足を取られたこともある。
だが、馬車は壊れず、誰も傷を負っていない。そういう旅だった。
道はやがて緑を帯び、峠の気配が濃くなる。
距離にして、半分ほど。
「今日はここまでだな」
峠の入り口で、御者の男が手綱を引いた。
馬が鼻を鳴らし、車輪が止まる。
「お疲れさまでした」
ロランが寝袋を引きずり出しながら言う。
夜の森は、昼の名残をすっかり失っていた。獣の声が遠くで重なり、枝が擦れる音が、どこからともなく返ってくる。
その中に、混じる音があった。
――カサカサ。
最初にロランが顔を上げ、遅れてクリスも手を止める。
「……」
言葉は要らなかった。
「おっさん、馬車の中に」
クリスが囁く。
「ふがぁ」
返事にならない返事を残し、御者は動かない。
クリスはそのまま地面に降り、ロランも後に続く。
闇に沈んだ林は、昼とは別の場所のようだった。
足音を殺して近づくと、木立の奥に影が浮かぶ。
クリスが矢をつがえようとした、その瞬間。
「動くな」
声が飛んだ。
「動いたら射貫くぞ。ガキども」
ランタンに火が入る。
闇が割れ、三人分の輪郭が現れた。
弓を構えた男。
光を掲げる男。
その中央で、斧を肩に乗せた大柄な男。
「積み荷を置いていけ。ダタリア商会さんよ」
斧の先が、馬車を指した。
どうやら暗殺協会であることを隠すカモフラージュが、裏目に出てしまったようだ。
クリスは横目でロランを見る。
「まずいな」
「問題ない」
ロランの声は低い。
「僕が弓手を引く。君はランタンを」
「再生力があるからって、矢を甘く見るな」
「分かってる」
短く言って、ロランは一歩、影に身を沈めた。
森の音が、また戻ってくる。
誰も、まだ動いていない。
ロランがマチェットを両肩から外し、降参するように両手を広げる。そのまま、刃を地面に置こうと腰を落とした。
弓手が、反射的に矢先をクリスへ向ける。
――その瞬間だった。
ロランが一歩、前へ踏み出した。
地面を強く蹴る。低く、速い。身を伏せるように前へ滑り、狙う先は最初から決まっている。弓手の喉元、ただ一点。
「野郎! あの赤髪を狙え!」
叫び声が飛ぶ。
弓手が慌てて狙いを戻そうとするが、ロランの動きは視線に追いつかない。
次の瞬間、左手で灯りを掲げていた下っ端が、ランタンごと射抜かれた。
矢は、炎を砕き、闇を落とす。
放ったのはクリスだった。
「今だ、ロラン!」
暗闇が広がる。
弓手はロランを見失い、足を止める。
右側で足音がしたため、反射的にそちらへ弓を向ける。
だが、もう遅い。
真横から、マチェットを振りかぶったロランが飛び込んできた。
「ごめん。峰打ちだから」
刃が落ちる。
カツン、と乾いた音がして、男はその場に崩れた。
「ナイス、ロラン」
短く言って、クリスは矢をつがえ直す。
残ったのは、大男が一人。
巨体を揺らしながら、一歩、また一歩と近づいてくる。喉の奥で唸るような声を漏らす。
「こんのガキども……一人は人狼か。ちょこまか動きやがって」
盗賊の頭目は、次の矢を構えるクリスを睨み、距離を詰める。
斧が振るわれる。
衝撃が走り、地面が直線に割れていく。石と土が跳ねた。
クリスは衝撃波の縁を抜けるように身をかわし、矢を放つ。
外れた。矢は闇を突き抜け、どこかで乾いた音を立てる。
次をつがえる暇はない。
巨漢が、もう目の前にいた。
「俺の斧はなぁ、切るためのもんじゃねぇ」
斧が持ち上がる。
「獲物を――潰すためにあるんだよォ!」
渾身の二撃目が、クリスの頭上へ振り下ろされた。




