第百十一話 これまでも、これからも
クリスとアレックスはホテルに着き、受付で部屋の予約を始めた。
シックなカラーに統一された家具。
生け花で彩られた上品なホテルのフロントに、キッチリと制服に身を包んだ受付。
ようやくたどり着いたこのホテルは、一泊でもそれなりの費用がかかるが、週末ということもあり街中の手頃な宿はどこも満室だった。
そのため、何度も追い返されてきた二人にとって、ここはまさに救いの場所。
「一部屋で」
クリスが人差し指を立てると、アレックスが慌てた。
「マジで言ってます?」
クリスは悲しそうな顔をして聞き返す。
「え、俺臭い?服に少し血はついてるけど…」
アレックスは呆れたように言う。
「いやいや、女性と二人で一部屋に入ろうとするのおかしいでしょ」
クリスはウンウンと頷いたが、途中で少し考えてから聞き返す。
「……え、アレックス女の子!?確かに中性的だけど、ま、まじ!?」
アレックスは拳を突き出してクリスの顎にぐりぐりとめり込ませる。
「僕は女だ!」
♢
その頃、フィシニア中央区の酒場に、一人の男が転がり込むように入ってきた。
「おい――あの指名手配犯、クリスを見た。……やべぇぞ、あいつ」
息を荒げたまま席に着くと、男は酒も頼まず、まくし立てるように話し始めた。
「実はな……」
飲み仲間たちは豆をつまみ、ビールをあおりながら、半ば聞き流すように耳を傾ける。
だが――話が終わる頃には、誰もが口を閉ざしていた。
「……へぇ。鉄塔の点検中に裏から覗いてたってわけか」
一人が低く呟く。
「でもよ、壊したのはその“優生吸血族”の方なんだろ?自分でそう名乗ってる時点で、まともじゃねぇ」
髭面の男が、重々しく頷いた。
「それにな――聞いた話じゃ、革命軍がビサをひっくり返すらしい。成功すりゃ貴族は廃止、王政に移る。そして、その王が……クリスだ」
「俺も聞いた!」
別の男が身を乗り出す。
「ステティアでビラ配ってた奴が言ってた。最初は眉唾だと思ってたけどよ……」
隣の卓の男まで割り込んできた。
「血筋があるって話もある。完全なデタラメじゃねぇのかもな」
ざわめきが、じわじわと広がる。
やがて最初の男が、身を寄せて声を潜めた。
「正直――あいつ、桁が違う。もし本当に平民側につくってんなら……俺は乗るぜ、革命軍」
しかし、別の男は鼻で笑った。
「どうだかな。王になりゃ、どうせ同じだ。上に立つ奴は皆そうなる」
一拍置いて、吐き捨てる。
「……ま、大臣どもを一掃してくれるなら、考えてやってもいいがな」
そのときだった。
奥の席にいた男が、ゆっくりと立ち上がる。
――政府の人間か……?
酒場にいた誰もが息を呑んだ。
しかし、男は無言のまま近づくと、テーブルにビールを叩きつけて言った。
「革命、ねぇ……いいじゃねぇか。俺はァ……アダムってんだ。革命軍に入るなら、いつでも話聞くぜ。野郎共」
♢
翌朝、クリスとアレックスがバイクに乗る。
心なしかクリスはそわそわしていた。
「あんまくっつくなよ」
クリスがアレックスに言うと、アレックスはニヤニヤしてクリスに言う。
「あれ?ウブなクリス君はぁ、女性に抱き付かれると照れるのかなぁ~?」
しかしクリスも負けじと言う。
「暑いから離れてろってことだよ。第一くっつかれても、あるはずのもんが何もなかったから女だと気づかなかったんだよ」
それを聞いたアレックスはヘルメットの上からクリスを殴った。
クリスが思わず頭をさする。
「ま、僕は一人称的にも男と間違われるから、これくらいで許してやるよ」
二人はバイクでフィシニアを後にし、沿岸都市カドラテルへと向かった。
砂漠地帯から一気に沿岸へと抜け、街が発達している沿岸部に出る。
街はヨーロッパ風の街並みで、蒸気機関よりも、畑や大きな歯車のある海水淡水処理場が目立っていた。
その真ん中をバイクで通り抜けるクリスとアレックス。
人々はその音と速さに驚き、馬や牛は荷車を引いたまま暴れた。
「気持ちいい風だな。アレックス。海風が砂漠で焼けた頬に沁みるけど」
クリスはそう言い、砂浜まで降りて波打ち際を走り始める。
砂漠用で横幅の太いタイヤが、湿った地面を力強く蹴っていた。
「僕はこの風が怖いんだ。運転に集中しろ!」
アレックスはクリスを叱りつつも、日焼けのせいか頬を火照らせてその背中にしがみついている。
クリスはうっすらと日本の記憶を思い出し、少し笑った。
「そう言えば、小瀧夏は海に行きたいって言ってたな」
アレックスは首を傾げ、前世の話?とクリスに聞く。
「そ。前世はね、一応記憶だけど、その時々に感じたこととか、痛みも目の前の光景も、全部鮮明に頭の中に入ってる」
不意に打ち寄せた波がクリスとアレックスの足を濡らすが、海水はひんやりとして気持ちよかった。
アレックスは静かにクリスの話を聞く。
「やっぱり自分は佐藤雄志の人格を少しは受け継いでいると思う。ちゃんとクリスはクリスだけどね。だからか...…いや……わかんね」
クリスは何か言葉が出ないようだった。
少し口ごもったクリスに、アレックスがすかさず――
「エマが気になる?」
クリスは図星を当てられたようで少し黙ったが、ゆっくりと口を開いて答えた。
「分からないんだ。エマが好きなのかどうか」
「僕に言ってみなよう。何でも聞くよ」
「……さっきみたいに、前世では小瀧夏は海に行きたいって言ってたから、“この景色を見せてあげたいな”なんて思ったりもしたけど、それは佐藤雄志が小瀧夏に思っているのか、俺がエマにきれいな景色を見せてあげたいのか、わかんない」
アレックスはそれにくすくすと笑い、クリスに言った。
「いやぁ、悩め少年よ。若いってのはいいもんだな!」
クリスはそれを聞いて目を細めた。
「あんた何歳だよ。そんな変わんねーだろ」
「君の一歳上」
「ガキじゃねーか」
「ぎゃっははははは」
そんな他愛もないことを話していると、正面にカドラテルの最奥にして目的地、警察庁のある崖が見えてきた。
「あれだ。アレックス。こっから先は君に任せる。諜報部の腕の見せどころだぜ」
クリスが少し後ろを向いて、アレックスに目配せをした。
「おっけい。僕に任せな!」
アレックスがそれに返す。
少ししてから、アレックスがぼそりと独り言ちた。
「綺麗な景色を見せてあげたい……か。優しいね。クリスは」




