17 王楼地美優③
「はぁ、はあ、はぁ……っ流石に疲れた」
「お疲れ様だぬ」
第三高校校舎裏で、冬樹原を降ろす。
どうやら逃げ切れたようだが……、ともかく事情を聞くか。
「冬樹原。まず最初に確認するけどさ、僕たちを追ってきた彼女が────友人の王楼地なんだな?」
「そだよ」
「じゃあ次に聞くけど、なんで友人なのに開口一番……邂逅一番に逃げを選択するような状態になっているのさ」
「それはさっき言ったでしょ?」
さっき?
「オウロウチーは前のワチみたく、とんでもなく、怒っているのだよ。だから理論は通じないし、あのままあの場に留まっていたらボコボコにされていただろうし、逃げるしかなかったってワケ」
……あれは冗談じゃなかったのか。
「怒っている、ねえ。アンタが怒らせたのか?」
「もちのろん」
自慢げに彼女が言う。
「それは自慢げに言う事じゃない」
「勿論さ」
「それも自慢げに肯定することじゃない!」
「やれやれ、北ちゃんは文句ばっかりだね。それだからモテないし、げえーって言われるのだと思うよ?」
まったく非常に、余計なお世話である。
「まあさておきだ。アンタが怒らせたのは分かった。でも、何をして怒らせたんだい」
もう既に面倒ごとに巻き込まれた、ここから逃げる未来は閉ざされている。となると、すべきことは解決に全力を注ぐ、その一つ。
そして、解決する為にはこの質問をぶつけるのが最善策だと考えたわけである。
「何をして怒らせた?」
「え? あ、うん。そう。なんで彼女が怒っていたのか、それぐらいは分かるだろ?」
冬樹原は腕を組んで首を傾げていた。嫌な予感がする。
「それがね、……残念なことに分からないのだニョ」
「はい? 分からない?」
なんとなく予想出来ていた嫌な予感が、見事に的中してしまった。
「そう。何か喧嘩したっきりなのは覚えているのだけれどサ。どうでもよくて忘れてしまっちゃってね」
しかも最悪だ。この感じ、絶対にコイツが悪いやつだ。冬樹原は柄にもなく額から冷や汗らしき液体を垂らし、視線を泳がせている。
「それってもしかして、アンタが悪かったりするやつ?」
「言ったよね。うん。ワチは覚えていないって。ワチはね、自分に都合の悪いことは覚えない主義なのさ」
更に最悪だ!
……なんてフザけて話していた所為だろう。
「あ、見っけー。見つけた。じゃあ殺すね」
真横にまで接近していた彼女に、僕たちは気がつけなかった。追いつかれてしまったようだ。声を掛けられて、ようやくハッとする。
「っ!?」
咄嗟に距離を取り、状況を把握────くそっ。冬樹原が右腕を掴まれて、逃げられていない。
「へへ捕まえた、フユッキーユッキー」
「……ひ、久しぶりだね。オウロウチー」
冬樹原が萎縮し、体を縮めている。彼女のこんな姿を見るのは初めてのことだった。最もまだ出会って、一週間と少しという浅い関係だけど。
「あのさあのさあのさ、単刀直入に単答を求めるけど。なんで私が怒っているかわかっちゃう?」
「え? あー、うん。分かるよ」
「なら何?」
凛とした顔つきの黒髪ストレート美少女から繰り出される超難問。これには東大生でも頭を抱えることだろう! ……身内ネタ問題なのだから、当たり前だが!
「何って……そりゃあプリンを盗み食いしたこと? いて、痛っててて……いでで!」
「本気で答えてよ」
「ワチはオウロウチーと違って、ラブコメ作家だから分からないよーっふぐ」
王楼地が掴んでいた冬樹原を手繰り寄せて、首に腕を回す。アイツ、どんんだけ怒られるようなことをしたんだか……。
思わず心の中でため息をしてしまう。
「ちょ、北ちゃん、助けて」
「……いいぞー、もっとやれー。オウロウチー」
よくよく考えてみると別に冬樹原を庇う理由もないので、王楼地を応援することにしよう。
「ちょ、北ちゃん。裏切るのかい? 裏切りは最悪だよ、ひどいよ。人間じゃない!」
……なんてのは冗談。流石に事情を知らない僕にしてみれば、彼女の所業はやりすぎに思えた。だから僕はカバンから本を取り出して、冬樹原を拘束している美少女へと投げつけてみた。
これは武器として扱っているのではない。
「ちょ!」
思い出してほしい。
王楼地と僕たちが出会ったのは、近場の書店。
そこで彼女は何をしていた?
至近距離に接近していた僕たちに気づかないほど、熱中していたことは何だ?
答えはそう。本を手に取って、ひたすらに眺めていた。
そこから導き出される結論は────コレ。
「ちょっと、本を投げないでよね、君」
僕が初めて広岡と古林と本屋に行った時に、広岡にオススメされて買った────ライトノベル。それが偶然カバンに入ったままだったので、囮役として使えるのじゃないかと今起用したのだ。
名付けて。
“これを投げつけることで、彼女の興味が本に行くのではないか“作戦。
「これって……」
どうやらそれが功を奏したようである。黒髪少女は冬樹原の手を離し、空中に舞った本をキャッチした。
「今だ!」
「あ!」
刹那の隙を突いて、冬樹原が抜け出して僕の横へやって来る。流石に王楼地もそのことに気付いて声を上げたが、なぜか先程のように今に襲ってくるような素振りは見えない。
……どういうことだろう。
「はは、運が良いのかったのかな。それとも北ちゃんはこれすら狙ってた?」
「はい? いったい何のことだよ」
「知らないってことは、そりゃ凄い偶然だネ」
まるで意味が分からない。そんな僕を面白がるように、冬樹原が青い短髪を翻しながら口角を上げる。
「君が投げつけた本────アレはね、オウロウチーが書いている推理ライトノベル小説なの」
……?
「はい?」
あまりにもそれは驚くに値する事実で、ただ繰り返し同じリアクションをするしか、この狭間北の選択肢には残されていなかった。




