16 王楼地美優②
「いらっしゃいませー」
店に入ると、目の前に入ってくるのは……大量の本棚と、並べられた様々な本、でかでかとキャッチコピーが書かれた紙製の立て看板だ。
「やっぱ本屋って何度見ても、ちょっとばかり感動するよな。別に僕は本が特段好きなわけじゃないけどさ、なんていうか凄い」
「作家志望にしてはあまりにも語彙が欠如しているけれど。その気持ちは分からなくもないよ、北ちゃん」
「だろ?」
冬樹原がコチラを先導する形で、奥へ進む。
どの本も面白そうだが……、本っていうのは読むのに時間が掛かるからな。買ったところで読まないのがオチだったりする。よくある。あまりにも良くある事だ。
「……北ちゃんは何か気になる本あった?」
「むう。どうだろう、どれも面白そうだ」
だが、買う気にはならない。
先述した理由がやはり大きい。
「そっか。じゃあとりま、ワチの本を買わせてあげるよ……」
「買わせてあげる? もしかして僕、何か無理やりすぎる営業に騙された?」
「ご想像にお任せするよ」
「おい」
そこは任せちゃだめだろ。
「なんてのは冗談でさ、早く行こー。ストーカーの北ちゃん」
「はいはい分かりましたよ……ラブコメ作家の非リア冬樹原さん」
「は?」
ネタで言ったのに、またしても彼女を怒らせてしまった。やっぱり冬樹原の逆鱗はなんだか不鮮明で、とても不安定で、要するに『なにすると怒るのか』良く分からない。
「……北ちゃんって一々、ワチのことを怒らせるよね。うん。って、急に立ち止まってどうしたのさ。もしかして怒られて悲しかった? アイアムサッド?」
「いや、やるべき事を思い出してさ」
スマホを取り出し、メールアプリを開き友人へメールを送った。
「よし。もう大丈夫」
「オーケー? なら、行こうか。ワチの住処。ライトノベルコーナーへ……ッ! ってね。ふふふ」
というわけで、僕たちはライトノベルコーナーに入った。色とりどりな有名レーベルの作品が本棚に林立している。ラノベ好きにとってのは宝の山みたいな所なのだろうな。
今日は試験が発表された日ということもあってか、書店にいる生徒の数は少ない。まばらだ。前に来た時は、沢山いたのだが……。
やはり最下位は退去処分になる、というペナルティのプレッシャーか。
試験までの猶予があまり無いことも関係しているだろうが。
とはいっても、一応僕たち以外にも生徒はいる。
このラノベコーナーにもいた。長い黒髪ストレートをした女の子がかがんで、ライトノベルを手にとっていた。ついでに、第三高校の群青色をした制服を着ていた。
つーか、うちのクラスメイトだった。
……あれ。
「おい、あれ、冬樹原……」
前にいた冬樹原が氷みたいに硬直している。なるほどな。察したぞ。偶然も偶然だな。幸運なのか不運なのかは、この際どうでもよくて……何かしらの運があったことは確か。
「あれが王楼地か?」
小声で硬直する氷に、耳打ちをしてみる。前方にいる少女の正体の確認だ。アチラは手に取ったラノベに夢中で、コチラには気づいていない様子だ。
数十センチレベルの至近距離に接近しても気づかれないのではないか、と思うぐらいの集中力で……思わず感動してしまうう。
「うーん、うん、うん。そうだね、え、えぇ?」
だが、それも時間が経てば別の話だ。
少女は立ち上がり、反射的にこっちを見た。
「あれ」
彼女が目を見開く。まずい。
まずバレたのは確定──だとして、どうする? どうするのが正解の行動なんだ?
「フユッキーユッキーじゃん。どしたの?」
と、考えを巡らせてみたものの……どうやら状況は、僕が思っているより悪いもんじゃないらしい。長い黒髪のクラスメイトは穏やかな声でコチラの呼応を待つ。
「わざわざ私の前に現れたってことは、殺されたいってコトだよね?」
穏やかな声質のまま、緩慢にも明確な殺意をむき出しにし、一歩──王楼地が踏み出してきた。……ん、殺意? その一歩が為されるのとほぼ同時に僕が疑問を抱く。と、さらに同時に先程まで硬直していた冬樹原が僕の右手を掴んだ。
「え?」
「逃げるよ、北ちゃん!」
右手を掴み、後ろへ強く引っ張る。
気が付いた時には冬樹原は既に、彼女に背を向けて全力で走り出していて──手を引かれていたので、勿論僕の脚も動いていた。
「おい冬樹原。喧嘩しているって言ったってさ、逃げる必要があるのかよ」
「あるよ。ありまくり。ヤリまくりだ」
「なにそれ卑猥!」
取り敢えず書店を出る。
だが負けず劣らずと、彼女は追いかけてきている。
「おい待てごらあぁ!」
……どうやら逃げるしかないらしい。
隣で息切れ気味になった青悪魔を一瞥する。まだ数十メートルしか走っていないのに、肩で息をしていて苦しそうだ。
このインドア派め。
っと、それよりだ。いま僕がすべきことはなんだ?
「冬樹原。取り敢えず逃げればいいんだろ?」
「え? まあうん。あの状態のオウロウチーに理論的な話は通じないからね」
「りょーかい。アイツのスタミナはどんなもんだい?」
「頭脳派にしては、まあまあやる方だと思うけど……」
ふむ。相手は手強いらしい。ならば確実に逃げる……方法は一つしかないな。
僕は息が切れて咳をする冬樹原を軽く持ち上げた。
いわゆるお姫様抱っこの態勢である。
「え?」
刹那。彼女を抱っこして、全力を蹴り上げる────ッ!
……ああ、僕はいったい試験前に何をしているのだろうか。
ま、そんなことはまだ考えなくていい。今は逃げることだけを考えろ──。
「一度言ってみたかったんだ。『しっかり掴まっていろよ』ってさ」
「なんか北ちゃんが言うとダサいね」
「黙れ!」
そんなわけで、僕たちは逃げて逃げて、再び第三高校の校舎まで戻ってきてしまうのであった。




