12 ありがとう
「単刀直入に言うとね、狭間くんに『ありがとう』って伝えたかったんだ」
「ありがとう。って僕に?」
「うん」
感謝されることをした覚えはないな。
「悪いけど、僕には心当たりがないというか」
「広岡印クンの退学。君が仕組んだことでしょ? 大丈夫だよ。分かるから、安心してほしいな」
「はあ」
空気が変わっている。肌で感じる。
「私はこれでも周りを見れるというか、オカシナ人間代表なの。ま、そんなことはどうでもいいかな。でも取り敢えず、ありがとうって言いたかったの。めんどくさい私の粘着ストーカーを退学させてくれたからね」
「……もう一度言うが、何のことかさっぱりだな」
「広岡クンは偶然私と同じクラスに入れて嬉しかったらしいじゃん? それで、そのことを家族に報告したかった。いち早く。でも……学校を通さない突発的な島外との連絡は禁止事項。狭間クンはそこに着目した」
レノレノは大きく手を広げて、口角を上げる。
「酷いよね。狭間くんって。禁止事項を破った時にペナルティがあることを、彼に伝えてなかったらしいじゃん? 彼はプリントをしっかり読み込んでいなかったから、分かっていないみたいだったよ」
……どこでその情報を仕入れたのかは分からない。けれど確かに、僕は広岡にペナルティについて伝えていない。
伝えなくても自分で分かるだろうと、見込んで。
「そ・れ・に」
どうやらまだ続くらしい。
「わざわざ一回、ルールを破ることに対して抑制させておく。それがいやらしいよね。 そしてダメって言った直後に私と二人きりで会わせる事で、逆にというか……彼が勢いのままルールを破るように扇動したのだからさ」
最後にこう結ぶ。
「結局、彼は家族に『憧れのレノレノと会えた』ってメールを送ったのかな? 真相は分からないけれど、ともかく退去処分なんだから“そういう”ことなんだろうね」
まるで全部お見通し、分かっていると挑発するように薄気味悪く彼女は笑う。でも僕にしてみれば、その推理こそ鼻で笑ってしまう。
「あー、えーっと。何か勘違いしているのなら訂正させてほしい」
「なにかな」
「別に僕はアンタの為に広岡を退学させたわけじゃないし、意図的に仕組んだことじゃない。ただ島のルールを破ったらどうなるのか」
ただ、気になったから。
「運よくか悪くか、身近にいた彼で実験してみただけだよ。それにあの程度で、確実に広岡がルールを破るとは限らない。強制してた訳じゃないんだし」
「でも結果は『退去処分』という大きなモノ。つまり意図的かはともかく、広岡クンを退学させた事は認めるってことでいいのかな」
「どう取っても構わない。別に僕は……当たり前のことをしただけに過ぎないから」
「当たり前のこと?」
いままで優位性を示すように笑顔を保っていたレノレノの表情が、微かに曇る。
「そうだ。このフザけた世界で生き残る為に、死ぬ方法を探す。当たり前のことじゃないか? 死ぬ方法さえ掴めれば、その方法から逸脱すれば問題なく生きられるからな」
「……ふうん。狭間くんって、面白いね」
「そりゃどうも、元より知ってたけどね」
でもコレは、つまらない冗談だった。
冗談でもなかった。
「知ってる? この学校が、ほかの高校に比べて圧倒的な退学率を誇っていることを。卒業しちゃえば指定した将来が確約されるのだから、そりゃ当然かもね。学校側はその職業に完全に適した人間以外、卒業させていない。全部退学させているから……」
「その情報源は気になるところだけど、信じられなくはないな」
というか、十分にあり得る話だ。
「で、何が言いたい」
「この学校は普通じゃないの。だから四月下旬に控える最初の試験も、面白いと思うよ────ふざけているとさえ思うかもね。それか嘆くかもね? 『やっぱりこの世界はふざけているっ!』って!」
……つまり、何が言いたい。
「つまり、普通じゃないキミにはこれからの高校生活、試験を楽しみにしていてほしいってこと」
もう一度催促しようとしたが、彼女はそう言い切った。なにか色々と含みのある発言だが、見逃しておこう。僕を知ったような口を叩く、この学校の事情を説明する彼女は果たして何者なのだろうか?
「……アンタ一体」
「じゃあね、また明日」
レノレノは僕の質問に答えることなく、スキップして帰っていった。誰もいない校舎裏は一気に静まり返る。静寂。まだ涼しい穏やかな春風が僕を包む。
「いるなら出てきたらどうさ、冬樹原」
「……やっぱりバレてた? 面白い修羅場に遭遇してしまったからね。つい隠れることは二の次で聞き入っていたよ。……それでも、出来るだけこっそりと覗いていたつもりなのだけれどね」
「バレバレだったよ。多分、あの感じだと……アンタが苦手な猫犬ちゃんにもバレてたでしょ。うん」
「げえー」
声を掛けると、校舎裏の角から冬樹原が姿を現した。盗み聞きをしていたことは、問い詰める意味もないほどに明白である。
「別にいいけどね。それよりもワチは凄い事を聞いた気がするよ」
「レノレノのことか? 天真爛漫なサイコパスてな感じだね。僕から見た印象を語らせてもらうと」
「ワチから見れば、人畜無害なサイコパスって感じだけどね。今の北ちゃんに対する印象は……」
「もしかして、言い逃れは出来ないパターンか?」
「うん。そうじゃないかな。この状況で言い逃れすることは、ワチでも難しいかも」
じゃあそれは、不可能っていう話だな。
それで片付く。言い逃れは出来ない。ならば誤魔化すしかないな……。
これ以上は語らない。そのスタンスでいこう。
「別にワチはさ、今の事について言及するつもりはないのだよ」
「そうなのか?」
ありがたい知らせだ。
「ただ言ったでしょ? ワチは北ちゃんに一つ聞きたいだけだって」
つまり、あの時のお礼を。
冬樹原もここで使うってことなのだろう。
「そういえばそうだった。そんな事を言っていたような気がするよ」
「うん。別にオブラートに包むもんじゃないから、そのまま聞くけどさ」
「どんとこい」
何を聞くのだろうかと期待するのだが、結果はあまりにも素朴なモノだった。
「北ちゃんは何者なのかな?」
無駄を省いた単純明快な問い。
迷いはなかった。
答えはただ一つだ。
このフザけた世界で答えられるモノはただ一つ。
僕は僕であって、僕でしかない。
代替可能な少年でしかない。
狭間北でしかない。
「僕が何者か……か」
あ、と言う刹那にはもう終わっている。
そんな回答しかない。
隠すようなこともない。
「そんなの一言で済む」
別にそのことに意味はないのだから。
ただ事実を羅列するだけだ。
だから、問いと同じように僕は単純に答える。
「殺人鬼」




