年金暮らし
寝起きのレッドブルが効いてきて、老人はやっと頭がさえてきた。
スマホを取り出して、今日の予定を確認する。夕方に会食。定年退職した会社の、仲良し同期メンバーだ。場所は、空中屋形船。流行りらしい。
チャイムが鳴った。予約していた配達が来たようだ。
老人はワンルームの部屋から出た。ドアの前に配達ロボットがいる。ロボットの上部を開き、遅めの朝ご飯を取り出す。すると配達ロボットは、すぐにどこかへ飛んで行った。
トリュフ風味醤油がけ卵かけご飯とパルメザンチーズ入りみそ汁だ。じっくり味わって食べる。
食べながらスマホで、高齢者向けのアプリを開いた。高齢者が知るべきニュースや情報がまとまっている便利なアプリだ。老人は、まず最近のニュースに目を通した。
「領海内の海底資源のコバルト、後40年で枯渇か。」
「自衛隊の移民比率が初めて30%超え。」
「定年年齢の引き上げが議会通過。」
老人は、次に政治のタブを開いた。今週行われる選挙の候補者たちと、その政策がまとめられている。
この超高齢化社会。どの党も、高齢者にアピールする政策を前面に押し出している。
「医療費負担軽減!」
「無料の高齢者向け集合住宅を建設します!」
「若者の外出制限期間を導入します!」
老人は、政治タブをよく読んで、自分が投票する先に目星をつけた。
15時。老人は、家を出た。夕方の予定のためだ。
自動運転車が、マンション前で待っている。
出発がこんな早いのは、大渋滞だからだ。
都市部への人口集中もあるが、選挙前のこの時期は、特に混むのだ。
老人は、3時間、自動運転車内で過ごすことになる。
念のため口座を開き、たんまりお金があるのを確認する。今から行く空中屋形船は、かなり高級なサービスだ。しかし、彼が心配するような金額ではない。
やっと、屋形船乗り場に到着すると、そこは老人だらけだった。
予約番号を伝え、自分の船に案内してもらう。いつものメンバーがいた。
「久しぶりだな!」
「いつものメンバーだ! しばらくぶり!」
「 久しぶりな気は全然しないけどな!」
この6人は、会社の同期で、入社の頃から仲良かったメンバーだ。75歳で会社を定年退職してからも、数年に一度必ず集まっている。
時間が来ると、乗り場から、屋形船が次々空に飛んで行った。空飛ぶ屋形船から地上を見下ろし、みんな盛り上がる。圧巻の風景だ。
「今回は、どこに投票するんだ?」
政治の話は、昔ケンカになりやすいと言われていた。彼らが政治の話題で盛り上がれるのは、旧知の仲だからだけではない。ほとんどの政党は高齢者向けの政策だ。支持政党が違っても、ブッフェでどの食べ物が好きだったかの話題程度なのだ。
「気をつけろよ、無料集合住宅政策は罠だ。そこには入れない方がいい?」
「そうなのか? 家賃無料だぞ。一番無駄に高い出費が家賃だろ? 俺はそこに投票しようと思ってたけどな。」
「そうしたら、日本中の高齢者が、都心に大移動するだろう? 全国的に、高齢者が負ける選挙区が出てくるぞ。」
「確かに。人口的に高齢者が一番票を持っているとはいえ、一か所に集中してしまったら、まずい。」
「高齢者が困る政策は通らない。だから、このような罠を仕掛けている政党もいる。みんな気を付けてくれ。」
突然、爆発音が響いた。
続いて、5、6回の爆発音。
船の外を見ると、いくつかの屋形船が炎上しながら落下していた。
老人の船は無事だったが、その後はドタバタだった。
緊急着陸し、会合は台無し。反老人同盟というテロ団体が、声明を発表していた。
「我々は国の未来のために実行した! 若者が搾取される中、年金暮らしの老人ばかりが、働きもせずいい思いをしている! 老人のためだけの高級サービスを、我々はターゲットとしている! 老人から年金が取り上げられない限り、我々は行動をやめない!」
老人は、心臓がドクドクしたまま家に帰った。これはストレスだ。ストレスを感じるのは、久しぶりだった。長生きのためにはよくないものだ。でも危なかった。乗った屋形船がちょっと違ったら、死んでいたのだ。
高齢者向けアプリを開くと、各政党が、反老人同盟の撲滅を公約に追加していた。
その週、老人は色々なことをした。
別の友達と会った。息子家族と会って、年金からお小遣いを与えた。新作のゲームを遊んだ。同期メンバーとは来年の予定を立てて、予約をした。そして、しっかり投票に行った。
一週間が終わり、老人は、ワンルームの部屋の中のマシンの前に立っていた。
「次の重要な選挙は……2年後だな。」
老人は、マシンの設定を、2年後に設定した。
2年後の朝ご飯の配達も予約した。いつものトリュフ風味醤油がけ卵かけご飯とパルメザンチーズ入りみそ汁だ。
そして、次の冬眠に入った。
老人は、116歳だ。しかし、定年後起きていた時間は、数十週間だけだ。肉体的には、まだ75歳だ。
2年後、選挙の時期には、また1週間だけ目覚める。
その時は、2年分の年金がたんまり貯まっており、豪遊の限りを尽くせるのだ。
冬眠マシンが売られるようになって以来、高齢者はほとんど死なず、増え続けるのみだ。
冬眠中の年金はなくそうという動きもあるが、民主主義は数には勝てない。
老人たちは、選挙の期間だけ、目を覚ますのだから。