外伝:出発前夜
第Ⅰ章はこれで完結です。
第Ⅱ章 辺境領編へ続きます
帝都への出発を翌日に控えた夜、寝衣姿でソファに座り、本を読んでいるレオノーラをアビエルは見つめていた。
少し前、フロレンティアがレオノーラを訪ね、胸に秘めていた不安を爆発させた。
それをきっかけに、レオノーラやアナンとともに、フロレンティアの未来についての計画を立てた。
フロレンティアとの結婚については、アビエル自身がずっと葛藤を抱え、悩み続けていた問題だった。
それが思いがけないタイミングで、彼女自身が意思を示したことから、歯車が動き出した。
去年の神聖祭後に帝都へ戻ったのは、フロレンティアを皇太子妃として正式にお披露目をする、婚儀の日程が決まったという知らせが届いたからだった。
同時に、アビエルが次期皇帝であることも国民に対して改めて発表するという。
時期尚早であると強く抗議をしたが、「学院に行かせた以上、成果は、早々に国のために示すべき」と彼女の父であるグレゴールに言い返され、議会もそれを支持した。
この結婚は避けられないのだ、とわかってはいたけれど、心は追いつかなかった。
レオノーラを想う気持ちが、許されないもののように思えて、苦しくてたまらなかった。
夜会では、笑顔の仮面をつけ、表情を無くしたフロレンティアとダンスを踊り、皇太子としてあるべき姿を演じ続けた。
そうしなければ、壊れてしまいそうだった。
雨で予定がなくなった午後。どうしようもなく彼女に会いたくなって、厩舎へ向かった。
『アビエル様が望むなら、どこへでもお供します』
その言葉に、涙が出そうになった。弱い自分を非難することも、上っ面な慰めを与えることもしない、彼女はただ一緒にいてくれようとする。
それだけで、明日を生きる理由になった。
フロレンティアと学院に戻っても、レオノーラとの穏やかな日々は続いた。
でも、婚儀のことだけはどうしても言えなかった。
伝えたところで、彼女が何を思うでもないとわかっていても、それすら口にすることもできないほどに、自分の中での彼女の思いは膨れ上がっていた。
自分の色を纏っていて欲しくて、「余った他国からの贈り物だ」とブレスレットを贈った。
「宝飾品は持っていないので」と言いながら、照れくさそうに笑った彼女の頬の赤みに、少しは喜んでいるだろうか、と願った。
着けている様子がなかったけれど、それでもいい、と思っていた。
あの夜、ふと見えた足首にそのブレスレットが揺れているのを見て、自分を抑えていた堰のすべてが、濁流のように押し寄せる思いに粉々になった。
ただでさえ、交流会のあいだ、レオノーラの姿に惹かれる男どもの姿を見て自分の気持ちはひどく混乱していたのだ。
◇◇◇
レオノーラは寝衣のときは素足でペタペタと部屋を歩き回る。
スリッパは履かない派らしい。
本に集中して無意識に足の親指をグニグニと動かしながら、軽く絡めた足首には空色の石のついたチェーンが揺れる。その無防備さが可愛くてたまらない。
◇◇◇
彼女と愛を交し合った後、婚儀のことが、ずっと棘のようにひっかかっていた。
こんなにも幸せなのに、この幸せが崩れるのが怖くて、もう少しだけこの喜びに浸っていたくて、どうしても伝えられなかった。
フロレンティアから彼女に婚儀の話が伝わったと知ったとき――すべてが終わったと思った。
それでも、せめて想いだけは伝えたくて。
許されなくても、この思いが本物だったことをわかってほしくて。
何度も考えを巡らせた後、彼女に対する気持ちを嘘偽りなく伝えることができれば、情け深い彼女が、自分を許してくれるかもしれない、と縋るように部屋へ行き言い訳を重ねた。
そんな自分を、レオノーラは責めなかった。
むしろ、情けなく言い訳を重ねる自分を揶揄うように笑って、愛しているとささやいてくれた。
彼女は、こんなにも素晴らしい人なのに。
自分のような男が愛されていいのか、何度もそう思う。
でも、だからこそ、この愛には自分のすべてで応えなくてはならない。
「レオニー、少し話をしよう。長くなるかもしれないから……ベッドでゆっくり話さないか?」
レオノーラが顔を上げ、少し困ったような表情をする。
「…明日、長時間馬に乗るので、今夜は早く寝たいって言いましたよね?」
アビエルは苦笑して、優しく答えた。
「わかってる。でも、話すだけ。今夜は本当に、それだけだから」
そう言ってベッドへ彼女を誘い、クッションを背もたれにして膝の上にそっと抱き寄せる。
「私の考えている“これから”のことを、レオニーに知っておいてほしいんだ」
静かに語りはじめたアビエルの言葉に、レオノーラも耳を傾ける。
そのまま二人は、眠くなるまでずっと話を続けた。
そして朝。
アビエルの腕の中には、スヤスヤと眠るレオノーラが、いた。
今日からは、しばらくこんな時間がなくなる。そう思うと、少しでも触れていたくて、つい頬や髪にいたずらをしてしまう。
「…ん…ダメですよ。約束しましたよね…」
寝ぼけた声が可愛すぎる。
「昨夜は“何もしなかった”だろう?」
「……しょうがないですね。…一回だけですよ?」
その言葉に、心の中でガッツポーズをしながら、そっと微笑んだ。
こんな“ちょろい”ところも、たまらない。
一回だけの約束を、最大限の努力で守るつもりで、彼女に愛を注いだ。
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