27:レオノーラの想い
フロレンティアがレオノーラの部屋を訪ねて来たのは早朝のことだった。長い長い話し合いを終えようと言う頃には、気づけば窓の外は日が傾き始めていた。
誰も食事を取っていないことに気づき、食堂でパンとチーズをもらい、サイモンの部屋でお茶を飲みながら軽く腹を満たす。
アビエルからの提案に対して、サイモンが「明日までに自分もよく考えをまとめておく」と返事をし、いったん解散となった。フロレンティアは、話を聞きながら何度かうとうととしていた。レオノーラの部屋で少し寝たとはいえ、随分と泣いていたし、さぞ疲れているだろう。
「フロレンティア様、一緒に浴場に行きましょうか?」
そう誘うと、フロレンティアはこくりと頷いた。二人で風呂へ行き、眠気でふらふらするフロレンティアを部屋まで送り届けた。
レオノーラが自室に戻り、寝台に座り込んで今日の出来事を思い返していると、扉を叩く音がした。風呂上がりでまだ髪が濡れたままのアビエルが訪ねてきた。部屋へ招き入れてお茶を入れる。彼は緊張した様子で、小さな作業机の椅子に座り、何かを迷うように一呼吸おいて、こちらを見ずに言った。
「怒っているか?」
アビエルの方を見ると、その顔は目の前のティーカップを見つめたままだった。何のことかわからず、返答に困って黙っていると、どうやらそれを勘違いしたらしい。
「当然だな......すまない。言わなければと思いながら、どうしても口にすることができず 」
カップに手をつけず、静かに話し続ける。
「どう伝えればいいか......どう話せば自分の気持ちが誤解なく伝わるかわからなくて。話せば、この時間が終わってしまうと思うと、おまえに告げる勇気が出なかった 」
黙ったまま、どれのことだろうと考える。婚儀の日が公示されていたことだろうか? そのまま結婚するつもりだったことか? それともその両方か?
「結婚を......フロレンティアとの結婚は、避けられないと思っていた。婚約を破棄すれば彼女が困ることになるし、彼女の意思で破棄することはできない。グレゴールが破棄するはずもないしな 」
テーブルの上で手を組み、自分の拳を見つめながら、うなだれたようにして話を続ける。
「結婚後、タイミングの良い時に、白い結婚であったことを証明し、彼女に離婚の選択肢を与えようと思っていた。私が不能だということにすればいいと思って 」
白い結婚とは、夫婦が性交渉を持たない結婚のことだ。さすがに今の帝国ではほとんど見られないが、昔は貴族同士の政略結婚で、かなり幼い娘を娶ることもあった。そのため、夫の死後、幼い妻が残された時に、白い結婚が証明されれば妻の処女性が保たれ、再び良縁を探すことができた。
「自分の......レオニーへの気持ちは、ずっと心に持ち続けたまま生きていくつもりだった。こんなふうに、心を通わせることができるとは夢にも思っていなかったから。だから、あまりに幸せで、この時間を失うと思うと、どうしても......」
一向にこちらに顔を向けないアビエルを眺めながら、レオノーラは、さてどうしようか、と考えていた。自分が腹を立てているかというと、実は全くそうではない。
確かに、フロレンティアが結婚について告げ、それを全く知らなかったことには不快になった。
ほんの一瞬。
泣き疲れたフロレンティアを躊躇なく抱きかかえようとしたアビエルにも不快になった。
ほんの一瞬。
しかし、皇太子であるアビエルに婚約者がいていずれ結婚することは、レオノーラにとっても避けられない出来事だったので、今さら結婚式の日取りが決まったと言われても、正直「そうだったんですね」という程度でしかなかった。
「どうしても、婚儀の話をすることができなかった 」
沈黙が流れる。アビエルは、私の言葉を待っているのだろう。かすかに拳が震えている。
さて、どうしたものか。この状況で、「別に気にしていません」と言うのは、せっかくアビエルよりも優位に立てそうなのに、なんだかもったいない。ここ数日、好きなようにさせていたし、好きなようにされていたし、交流会の時の胃の痛みのお礼もまだだった。
「随分と都合の良い話ですよね 」
レオノーラがそう言うと、アビエルの肩がびくりと動く。
「結婚後、妻には手を出さず、他所では遊んでおいて、潔白であると証明するつもりだったんですか? もし、愛を求められたらどうするつもりだったんですか? そもそも後継者が必要とされるご結婚なのではないのですか? 子どもが欲しいと言われたら?」
「結婚期間中は誠意を見せるつもりだった。どこかで遊ぶなど、不誠実なことをするつもりは毛頭ない。愛は......愛は求められても返せないな。私の心は他にあるから。子どもについては、離婚後に好きな相手と作るように説得しようと思っていた 」
アビエルは目を瞑り、眉間に皺を寄せて俯いていた。そんなアビエルを見つめながら、レオノーラはさらに言葉を重ねた。
「結婚期間中、私は捨て置かれる予定だったわけですね。私とこうなってしまった以上、不能だなんてどうやって説得するんですか? 求めても応えてもらえない妻は、すごく悲しいでしょうね 」
彼が顔を上げないのをいいことに、厳しい口調を保ちながら、レオノーラは口元を緩めてニヤニヤしていた。
「レオニーとこうなってしまったことに、何一つ後悔はない。お、おまえは後悔しているかもしれないが......」
言葉の最後は自信なさげに、消え入るようだった。こんな自信なさげな彼の姿を見るのは初めてで、少しだけ心が痛む。
「おまえを捨てるなんて、想像もできない。そんなんじゃない。それに、今後、フロレンティアと私との間に愛が芽生えることがないのは、レオニーだってわかっているはずだ 」
最強の皇太子が、必死で言葉を募っている。
「そんなことは分かりませんよ。人の心は変わりますから。強くて優しくて、優秀で一途なアビエル様を知ったら、誰もが私のように愛してしまうかもしれません。そうなったらアビエル様だって、その愛に応えようと思われるでしょう 」
「私の心は変わらない。ずっとおまえを思い続けてきたんだ。ずっとだ。だからこそ、あまりにも幸せで。黙っていたことは恥ずべきことだと思っている。だが、どうか信じて欲しい。私がおまえ以外の思いに応えることは決してないんだ 」
そう言いながら、彼は顔を上げてレオノーラを見つめ、真剣な表情で訴えた。レオノーラはにやけた表情を隠すため、大げさに顔を覆ってみる。
「あぁ、レオニー、泣いているのか?」
椅子から立ち上がり、アビエルが近づいてくるのがわかる。どうしても笑いが抑えられないので、アビエルに背を向けた。肩に手をかけられる。
「どうか、放っておいてください。不能な殿下にこれ以上弄ばれる気はありません 」
声が震えてしまう。泣いているように見えないだろうか。振り向かせようとする手を振りほどいて、顎を食いしばり、必死で言葉を出す。
「フロレンティア様も結婚した後で、アビエル様の素敵さに気づくかもしれません。そうなったら、私なんてあっという間に忘れ去られてしまうでしょうね。不遇ですね、私 」
「レオニー......何を言っているんだ。フロレンティアとの結婚についてはさっき話をしたじゃないか。私がおまえを捨てるなどあり得ない 」
訝しげなアビエルの声がする。肩を強く引かれ、振り向かされてしまった。じっと見つめられている。覆った指の隙間から覗くと、心配そうで不安げな顔をしている。
「私は、不能な皇太子に弄ばれた不遇な自分を嘆いているんです 」
「不能な皇太子」というフレーズがなんだかおかしくて、わざと強調して言った。
「弄ぶなんて、そんな! そんなんじゃない。どれほど私が真剣におまえを思っているか、わかって欲しい 」
アビエルは必死で自分の思いを伝えようとしている。にやけた顔がバレないように、彼の胸に顔を埋めた。
「レオニー......許して欲しいなどと言える立場ではないのはわかっている。でも、おまえを思う気持ちに嘘偽りが無いことだけは信じてくれ 」
抱きしめられて、アビエルの匂いを吸いながら目を閉じる。
「今日は、いろいろあってとても疲れました。ゆっくり眠りたいので、もう休ませていただけますか?」
すると、アビエルが身を固くし、苦しげな表情で尋ねる。
「もう......もう、私を受け入れてくれる気はないのか?」
「だって、アビエル様は不能なんでしょう?」
答える声が笑いで震えてしまう。
「......レオニー?」
胸に頬を擦りつけて、顔を覗き込むアビエルから逃げようとするが、結局、顎に手を添えられ、無理やり顔を上げられてしまった。
「怒っていないのか?」
涙の痕が見えない顔をじっと見つめ、訝しげに問う。
「嘆いているのです。女たらしの不能な皇太子に翻弄され、すっかり愛に溺れてしまった自分が哀れで 」
そう言って、顎に添えられた手に軽く唇を寄せた。アビエルは震える手を背中に回し、大きなため息をつきながら強く抱きしめた。
「レオニー、レオニー......あぁ、まったく......もし今、愛想を尽かされたら、どうしたらいいのか分からなくて......許してくれるのか? こんなどうしようもない私を 」
震える声でそう言いながら、自分を掻き抱くアビエルが愛おしくてしょうがない。あぁ、もう、すっかりこの愛に溺れていると自覚する。顔を上げて見つめると、降るように口づけが降りてきた。次第に激しくなる口づけに「今日は、何もしないで寝ましょう、と言ったのは本気ですよ。さすがに疲れました 」そう牽制すると、再び深く口づけをした後、ふっと息を漏らしてアビエルが答えた。
「そうだな、今日は色々あった。ゆっくり眠ろう 」
そう言って、レオノーラを寝台に促す。上掛けを剥がして中に滑り込むと、アビエルも入り込んできた。あれ?という顔をするレオノーラに、
「大丈夫だ。私は不能だからな。」
ニヤリと口元を歪めてそう言い、レオノーラを抱きしめて横になった。互いの体温に安心して、二人はクスクスと笑い合いながらしだいに眠りに落ちていった。
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