26:フロレンティアの想い2
サイモン=アナンの部屋を訪れると、いくつかの資料が整理され、紐で括られてまとめてあった。棚の瓶を木箱に詰めている彼の背中に向かって、開きっぱなしの扉を叩き、声をかける。
「アナン先生、少しお話がしたいのですが、よろしいですか?」
レオノーラの呼びかけに、男は屈んでいた背を伸ばしながら振り向いた。
「やぁ、ヘバンテスさん。部屋がこんな状態で、座る場所もなくて申し訳ない。あぁ、アビエル殿下もご一緒でしたか 」
アビエルの姿を認めると、少し声のトーンが落ち、あえて「殿下」という言葉を強調しているように聞こえた。
「やぁ、アナン先生。資料を整理されているんですね。この部屋を出るおつもりですか?」
部屋の様子を眺めながら、アビエルが問う。
「えぇ、まぁ、そうですね。そろそろ自国へ戻ろうと思いまして。こちらの先生方は優秀なので、もうすべて必要なことはお伝えしましたし、国の研究室からも戻ってくるように催促されていますから 」
そう言って、手に持っていたレポートの束をバサリと箱の上に置いた。
「先ほど、フロレンティア様が私のところへおいでになって、アナン先生から、一緒にこの国を出ようと提案されたと聞きました 」
レオノーラが静かに話す。サイモンは両腕を組み、雑多な荷物が置かれた執務机の端に寄りかかった。
「彼女は......お嬢さんは、それについて何と言っていましたか?」
サイモンは視線を合わせず、答えを促した。
「フロレンティア様は、とても混乱されていて、それについては明言されませんでした。今は、泣き疲れてお休みになっています 」
しばらく床を見つめ、考えるそぶりを見せた後、長いため息を吐き、サイモンがこちらを見る。
「この国には、この国の文化や政治があると理解しています。積み重ねられた歴史や受け継がれた秩序も。しかし、素晴らしい文化がそこにある一方で、人の尊厳が踏みにじられる形でそれが成り立っているのは、とても歪だとは思いませんか?」
淡々とした表情で語る。
「この国の政治がすべて悪いとは思っていません。私の国の政治が殊更に素晴らしいとも思いません。ただ、目の前にいる女性が、自分の意思で人生を歩むことが許されない、そのあり方はどうしても受け入れ難い 」
アビエルの方に顔を向け、感情のない声で続ける。
「あなたが、様々な国の政治に興味を持ち、勉学に励まれる姿を見て、この国は君主に恵まれていると思っていました。あぁ、まぁ、今もそう思っていますよ。あなたは優秀な君主になれるでしょう。政治的な取引としての結婚、その取引のもとで踏みにじられる人の人生をうまく利用することにも長けておられるのでしょう 」
アビエルはその視線を受け止めながら、体の両脇で拳を握っている。
「私の国に来ませんか、とお嬢さんに言ったのは、人は自分の人生を生きる権利があると話した後、彼女が私の国に興味を持ってくれたからです 」
3人の間に妙な緊張が走り、しばしの間、静寂が訪れた。
「私から、彼女との婚約を破棄することはできる。しかし......」
アビエルが搾り出すように発した言葉に、サイモンがかぶせるように言う。
「あなたから婚約を破棄するには、お嬢さんが皇太子の婚約者として不適切であるという明確な理由が必要です。仮にそれを捻り出したとして、その後、この国でお嬢さんが幸せに生きていくことは可能ですか?結果、父親の元へ戻り、またモノのようにどこかへやられるのがオチではないのですか?」
怒りの滲んだ声でそう言ったあと、冷静さを取り戻して続ける。
「そもそも、婚儀の予定が公示された今、それを全てなかったことにするなど、よほどのことがない限り無理でしょう 」
アビエルに冷たい視線を投げかけて問いかける。
「婚約破棄ができるなど、何を思ってそうおっしゃるのか。治世を行うには優秀な方が、必ずしも人格者とは限らないのかもしれませんね 」
厳しい言葉に、アビエルは押し黙ったまま返さなかった。
「アナン先生。だからといって、フロレンティア様を自国へ亡命させようなど、少し話が飛躍しすぎていませんか?」
レオノーラがアビエルへの非難を遮って尋ねる。
「何の由縁もない国へ、公爵令嬢が亡命して、どうやって生活していくのです。女が一人で生きていくということは、そう簡単なことではありませんよ 」
「私が面倒を見ます。彼女には、素晴らしい発想力がある。私の研究室で働いてもらえばいい 」
「そう簡単におっしゃらないでください。アナン先生がフロレンティア様の一生をずっと見てくださるのですか?それをどう信用すればいいですか?もし、向こうの国で先生に見捨てられることがあれば、誰が助けてくれますか?」
レオノーラは厳しく糾弾した。今は、面倒を見る、などと言っていても、彼は自由の国の人だ。フロレンティアのように社会から隔絶されて育った世間知らずの人間が、自由な社会で生きていく大変さをわかっていない。
「そんなことにはならないと誓うよ 」
アナンが真剣な顔で言う。
「そんなこと、どうやって信用できるでしょうか。人の心は変わります。アナン先生自身の生活もおありでしょうし――」
「ねぇ、どうして私の人生について、私抜きで相談しているの?」
入口からフロレンティアの震える声が聞こえた。
「フロレンティア様」
「お嬢さん」
レオノーラとサイモンの声が重なった。
「目が覚めたのですね。すみません。お部屋に一人きりにしてしまって。すぐに戻るつもりでしたので 」
謝りながらフロレンティアに近づくと、彼女の非難がましい表情が見えた。
「レオ様まで私をまるで人形のように扱うの?」
怒ったように言葉を放つ。
「そうではありません!でも、アナン先生に話を聞かないわけにはいかなくて」
すると背後からアビエルの声が聞こえた。
「フロレンティアはどうしたいのだ 」
よく通る声に皆が視線を向ける。
「フロレンティア、君自身はどうしたいと思っているんだ。アナンについて行きたいのか?」
そう言われると、フロレンティアは一瞬にして迷子の子どものような表情になった。
「私......私は、どうしたいのか、よくわからない 」
こぶしをゆるく握り、途方に暮れたようにたたずむ。
「では、このまま......私と結婚するという未来も考えている、ということか?」
アビエルの言葉に皆が息をのんだ。フロレンティアは目を大きく見開き、今にも泣きそうな顔で唇を震わせた。
「それは......それは、そんな」
言葉を失い、立ち尽くすフロレンティアのそばに寄り、手を握ってさすった。その手の甲にポトリと涙がこぼれた。
「アビエル様は、フロレンティア様と結婚するという未来を考えておいでなのですか?」
レオノーラは、冷たい声でフロレンティアの代わりに聞き返す。張り詰めた空気が流れていく。
「避けられない未来だと考えていた。今までは」
アビエルの答えを遮るように、フロレンティアが叫んだ。
「嫌です。嫌!そんな未来は嫌です。アビエル様だって望んでいないでしょう?いったい誰が幸せになる未来なの?」
肩を震わせながら、顔を上げて声を振り絞る。
「でも、私がサイモンについて行ってしまったら、お母さまはどうなるの?お父さまはきっと私を探して連れ戻そうとするわ。もし、それがきっかけで西共和国と争いになったら?そんな恐ろしいこと、到底できない 」
「大丈夫だよ。私が君を支える。お母上のこともいつか呼ぶことができるようになるよ。父上からも守る。だから一緒に行こう 」
サイモンが強い口調で声をかける。
「でも、色々な人に迷惑をかけてしまう。誰かを傷つけてまで行きたいなんて、そんなわこと許されないわ 」
「誰かに迷惑をかけたら、ということを抜きにして、君自身はどうしたい?」
アビエルが、強い口調でもう一度問う。
「私は......私は、自分が自由に生きられる国で生きていきたい 」
言葉の最後を消え入るようにして、フロレンティアは泣きながら告げた。
「わかったよ、フロレンティア 」
しばらく間を置いた後、アビエルはそう静かに告げ、一呼吸おいてサイモン=アナンの方を振り向いた。
「アナン。このまま、今すぐフロレンティアを連れて行くことはできない。必ず帝都には帰らねば 」
アビエルのその言葉に、サイモンは怒りの表情をあらわにし何かを発しようとした。その表情を見据えながらアビエルは言葉を続けた。
「ただ、あなたが、今言ったように、本当にフロレンティアのこの先を支えてくれるというなら、それについて相談がある。私からもお願いしたいことがあるのだ。もちろん、これはフロレンティア自身にも関係することだから、きちんと話を聞いて欲しい 」
そうして、アビエルはこれからどうするか、その計画について話を始めた。
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