25:フロレンティアの想い1
出立まであと三日と迫った日の早朝、アビエルが何かに耳をそばだてている気配で目が覚めた。
「どうかしたの?」
囁き声で問うと、
「レオニーの部屋の前に誰かいる 」
そう言われて、耳を澄ますと、微かな声と扉を叩く音が聞こえた。
『レオ様、レオ様。朝早くにすみません。お話があって‥‥』
弱々しく、トントンと扉を叩きながら小さな声でレオノーラを呼んでいる。
「フロレンティア様ですね......いったい、こんな時間にどうして」
アビエルの部屋から顔を出していいものかためらう。しかし、こんな時間に話があるとは尋常ではない。そう逡巡していると、
「私が行くよ」
そう言ってアビエルが上着を羽織り、扉から出ていった。
レオノーラも寝台から出て、扉の前で様子を伺う。何か話をしている気配があって、少しのち、「レオニー、フロレンティアがどうしてもおまえと話がしたいと言っている。いいだろうか 」
アビエルが扉を開けてそう言い、その後ろからフロレンティアが現れた。
フードをかぶり、その顔にはうっすら隈が見てとれる。フロレンティアは、レオノーラの顔を見た瞬間に、彼女に抱きつき、ボロボロと泣きじゃくり始めた。
泣き止まないフロレンティアを椅子に座らせ、隣に寄り添ったレオノーラは、彼女の背中を優しくさすり続けた。
「私がいると話をしにくいなら、少し部屋を出てるよ 」
アビエルは気遣うように言ってから、着替えて部屋を出て行った。テーブルの上には、アビエルが入れてくれたお茶が置いてある。
「フロレンティア様、お茶を飲みませんか?少し落ち着くかもしれません。」
レオノーラが声をかけると、嗚咽を繰り返していたフロレンティアが、震える手でティーカップを持ち、ゆっくりと口に近づけた。そして一口お茶を含み、ゆっくりと飲み込む。肩を震わせながら、何度も深呼吸をして落ち着こうとする姿が痛々しい。
レオノーラは、鈍感で人の心の機微に疎いと言われるが、自分とアビエルの関係がいかに不道徳であるかくらいは理解していた。誰かにそれを明言されないのを良いことに、幸せな日常を享受しようとしている自分が、いかに厚かましい人間であるかも自覚があった。
目の前にいる女性はアビエルの婚約者だ。いつも明るく振る舞っているフロレンティアを、ずっと傷つけ続けていたのではないかという思いが胸を締め付ける。
「レオ様......レオ様は、私と.......私とアビエル様が来年、婚儀を行うことをご存知ですか?」
フロレンティアは、震える声で告げた。レオノーラは、静かに首を横に振った。
「私は......生まれた時から、皇室に嫁ぐことが決まっていました 」
フロレンティアは、肩で息をしながら、ゆっくりと言葉を紡ぐ。
「自分の生きる理由は、皇太子妃となり、いずれはこの国の皇后になることだと。それが名誉ある素晴らしいことなのだと教えられて育ってきました 」
膝に置かれたハンカチを握りしめた拳が震え始めたのを見て、レオノーラはそっとその手に励ますように触れた。
「皇太子妃としての社交術を学ぶためならばと、皇后様のお口添えもあってようやく許されてこの学院へ来ることができました。一年だけですが、本当に嬉しかった。そして、この一年は夢のようでした 」
フロレンティアは、ぼんやりと絨毯を見つめながら、過去の思い出に浸るように微笑む。
「たくさんの人と出会い、学びを深めるうちに、自分の意見を聞いてもらい、それに応えてもらえることが嬉しくて 」
言葉を選びながら、ゆっくりと自分の気持ちを伝えようとする彼女の様子が痛いほど伝わってくる。
「私にも、皇太子妃である以外の生きる価値があるのだ、と思えたのです 」
次の言葉を出そうとしたフロレンティアは、口を開きながら、ためらってまたつぐんだ。
「......大丈夫ですよ。ゆっくり、フロレンティア様の思うままにお話ししてください 」
レオノーラは柔らかく、優しく促しながら、フロレンティアの手をさすり続けた。フロレンティアは涙に潤んだ瞳でじっとレオノーラを見つめる。
「私はいずれ、この国で一番偉い女性になるのですって、皆がそう言うんです。でも、そんなふうになっても、今と同じように皆さんと話せるの?自分の好きなようにお菓子を作ったり、おしろいを作ったりできるの?偉い女性って何?そんなの全然なりたいと思わない!」
大粒の涙が溢れ、言葉が次第に興奮し、最後には吐き出すように叫んだ。
「どうして、どうして私なの?そう言うと、みんな贅沢だ、我儘だって言うの。なりたくても、誰しもがなれるものではないって。でも、それがそんなに我儘なことなの?私は少しも望んでいないのに!」
肩を震わせながら泣きじゃくるフロレンティアを、レオノーラはその肩に手を回し、彼女の頭を抱きしめて優しく髪を撫でた。涙は止まらないが、少しずつ肩の震えが収まっていく。
「生まれてこなければ良かった、そう思い続けていました。私が生まれなければ、母は思い合う人と添い遂げられたでしょうし、お義兄さまやお義姉さまたちのお母さまは、公爵家を追い出されることも無かったのです 」
フロレンティアの独白が続く。レオノーラは彼女の頭を抱きしめ、胸が苦しくなるのを感じながら、優しく腕をさすり続けた。
「レオ様に初めて会った時、世界に色がついたようでした。なんて美しい人だ、と思って。まるで絵本で読んだ妖精がいるのかと思いました。覚えていますか?初めてご挨拶した時、私の髪をタンポポのようだと褒めてくださったのです。一瞬で恋に落ちました」
泣きはらした顔を上げ、フロレンティアは、ふふふ、と笑った。
「そのすぐ後に、侍女からレオ様が女性だと聞いて、ひっくり返りそうになりました 」
レオノーラもつられて笑い声を上げる。
「女性だと知った後も、男性とともに、剣を扱い、対等に話をするレオ様をどんどん好きになりました。こんなふうになりたいと、憧れの気持ちがどんどん強くなって、レオ様に会うことだけを喜びに毎日過ごしていました 」
しばらく黙ったあと、フロレンティアは、レオノーラに寄りかかっていた体を起こし、座り直した。
「サイモンが......」
「サイモン=アナン先生?薬事学の?彼がどうかしたのですか?」
「サイモンに、今年一年だけの在学理由は、来年、皇太子と結婚するからだと話したんです。サイモンは、私が皇太子の婚約者だと知らなかったみたいで。恋人がいるなんて知らなかったと驚いていました。恋人ではなく、婚約者で、私は皇太子の婚約者になるために生まれてきた、と言ったら.......彼は、すごく怒ったんです」
再び涙が目にたまり始める。
「なぜ、アナン先生が怒るのですか?フロレンティア様が怒られる理由など......」
「違うの。サイモンは、私をそんな状況に置いた社会に対して激しく憤っていました。なぜ、望まぬ結婚をしなくてはならないのか、私の人生は私自身が決めるべきだ、とまるで自分のことのように怒ってくれたんです。彼の国には、こんな理不尽はあり得ないって。皆、自分の人生を自分で決める権利を持っていると 」
静かに涙がぽろぽろと落ちる。
「それを聞いたら、帝都へ......皇居へ帰るのが怖くなって。戻ったら、もうどこへも行けなくなる気がして、辛くて眠れなくなりました 」
フロレンティアの声は次第に静かになり、しばらく黙り込んだ。その間に涙も収まっていく。
「サイモンが......亡命したらどうかって 」
レオノーラは、その言葉に驚き、フロレンティアの肩を掴んで顔を覗き込んだ。
「アナン先生がそんなことを?随分、無責任な」
「彼は、自分が面倒を見るので西共和国へ一緒に行こうと言って......。私、混乱してしまって、それで、レオ様に聞いていただきたくて、思わず会いに来てしまったんです 」
サイモン=アナン、飄々としていて良い先生だと思っていたが、何を考えているのだろう。
「フロレンティア様は、アナン先生のことをどう思っていますか?」
レオノーラが問いかけると、フロレンティアは胸の内をすべて話し終え、散々泣いたせいで、すっかり疲れてしまったようだった。うつらうつらと眠気に襲われている。
「......サイモンを?どう?わからないわ......」
そう呟いたフロレンティアは、レオノーラの肩に寄りかかり、そのまま静かに寝息を立て始めた。昨夜は一睡もしていなかったのだろう。目の下の隈が、彼女の疲れを物語っていた。
抱き抱えて、寝台に寝かせようとしたところに、アビエルが入って来た。
「サイモン=アナンの名前が出たあたりから外で聞いていた。彼に話を聞かないといけないな」
険しい顔で言う。
「彼女の部屋まで抱えて行こう」
そう言ってアビエルがフロレンティアを抱えようとしたので、
「いえ、隣の私の部屋の寝台で寝ていただきましょう。一人で自分の部屋で目が覚めたらまた、寂しくなるかもしれませんし」
フロレンティアを抱えたまま、隣の自室に向かった。寝台に彼女を寝かせ、そっと布団をかけて、後ろからついてきたアビエルと向き合う。
「アナン先生に詳しくお話を聞かないといけませんね」
「そうだな。どういうつもりで亡命だなどと......」
「フロレンティア様は、来年の婚儀の件で随分とお悩みだったようです。戻ったらもうどこへもいけなくなると」
意味ありげに眉を上げて、アビエルを見る。その言葉を聞いて、アビエルの顔から色が無くなる。
「レオニー、黙っているつもりはなかったんだ。ただ、どう話せばいいかわからなくて......」
言葉を無くし、打ちひしがれた表情のアビエルを横目にを抑えた声をかけた。
「アビエル様、まずはアナン先生のところへ話を伺いに行きましょう 」
ことさらに『様』を強調し、アビエルの横をすり抜けて扉を出る。少し遅れてアビエルが歩いてきたが、レオノーラにこれ以上何かを話しかけようというそぶりはなかった。
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