20:最後の闘技大会1
学院最後の闘技大会
早朝、まだ東の空がわずかに白み始めるくらいの頃、学院の闘技場では剣術のトーナメントが静かに幕を開けた。一回戦目の試合を眺めながら、レオノーラはふと、参加者の顔ぶれに目を細める。
「アビエル様、最近は女性の参加者が随分と増えましたね。貴族科も平民科も関係なく……皆さん、本当に楽しそうです」
剣を交えるというより、華やかな市にでも訪れたかのように、少女たちは明るくはしゃぎ合っていた。
「クイン商会の兜と甲冑のおかげだろうな」
以前、レオノーラがデイジーにかぶせた兜の件が、クイン商会の社長トーマスの耳に入り、学院を通じてアビエルに書簡が届いた。「その兜を拝見したい。もし可能であれば、当商会で制作させていただけないか」との申し出だった。
アビエルは、学院を通じた正式な取引を条件に、兜の実物と職人の情報を提供した。その後、生徒たちによる使用検証を経て、商品化が認められたのだった。
「軽くて丈夫な甲冑は、女性にも扱いやすい。だから、挑戦する気持ちが芽生えたんだろうな」
「剣術の授業を受けているのなら、一度は試合に出てみようかと思うのかもしれませんね。やってみることで、自分の才能に気づくこともありますし。女性剣士がもっと増えたら、素敵だと思います」
「なぁ……お前は、自分に何の才能があると思う?」
レオノーラは答えに詰まり、しばらく視線を泳がせた。
「剣術も馬術も好きですが、気づいたら自然と続けていたような……。自分に才能があると感じたことなどありませんし、よく分かりませんね。アビエル様から見て、私に何か、光るものはありますか?」
アビエルは少し視線を伏せてから、彼女を見つめて言った。
「癒しの才能……か?」
あまりにも歯切れが悪いその答えに、レオノーラは目を細めて、不満げに眉を寄せた。
「それって……才能って言えますか? まるで、“何もない”って言われているみたいですが」
さらに目を細めて反撃を続ける。
「私は、アビエル様の才能なら、いくらでも挙げられますが。策略に長け、統率力もあり、人の心の機微にも敏感で……会話の妙で人を引きつけるお力もありますし」
「もういい、もういい。褒め殺す気か。私だって、お前の才能をいくらでも並べられる。たまたま、ひとつに絞ろうとしたからだな、ああ言っただけで――」
そこへ、冗談めかした声が割り込んだ。
「おはよう。トーナメント前なのに、何をそんなにイチャイチャしてるの? さすが優勝候補の二人は余裕だね」
笑顔で歩み寄ってきたのはガウェイン。陽光を受けて光る甲冑を身にまとい、誰が見ても絵になる好青年だ。だが、二人の心の中には、同じ言葉が浮かんでいた。
――彼の才能は『女たらし』
◇◇◇
レオノーラは、トーナメントを順調に勝ち進んでいた。最高学年として後輩には負けたくなかったし、昨年の優勝者としての意地もある。そしてなにより――アビエルと剣を交える、その機会を強く望んでいた。
試合では、相手の剣筋を静かに読みながら、冷静に立ち回る。無理をする必要もない。
「レオ様! 応援に来ましたわ!」
闘技場の出口で兜を外して汗を振っていると、賑やかな声がした。振り向くと、フロレンティアが数人の女生徒を連れて駆け寄ってきた。
「お強いのですね。先ほどの試合、拝見していてドキドキいたしました。怖くはないのですか?」
「初めて出場した時は、少しだけ。でも今は、楽しさのほうが勝っています」
その答えに、周囲の女生徒たちは「楽しんでるなんて、余裕ですわ!」ときゃあきゃあと笑い合い、場の雰囲気は一気に和らいだ。
「今、交代制で休憩テントのお手伝いをしているんです。看護班で、包帯の巻き方も練習しましたのよ。レオ様には必要ないかもしれませんけど……でも、もし何かあれば、私が治療しますから」
フロレンティアは友人たちに囲まれながら、本当に楽しそうだった。そんな姿を見ると、レオノーラの胸にも自然とやわらかな感情が灯る。
「それでは、もし怪我をしたら、必ずフロレンティア様に助けていただきますね。よろしくお願いします」
微笑みとともにそう言えば、女生徒たちが一斉に「きゃあーーーー!」と歓声をあげて頬を押さえる。
「……相変わらずモテモテだな」
声をかけてきたのは、アビエルとアルフレッドだった。二人もまた、危なげなく勝ち上がってきている。女生徒たちの間で「皇太子様よ」「フロレンティア様の婚約者だわ」と小声が飛び交う。
「先ほど、アビエル様の試合も拝見しましたわ。そういえば、こうしてレオ様やアビエル様が剣を交えている姿を見るのは、私、初めてですのね」
彼女はいつも訓練場の外で待っていた。だからこそ、この場の空気は新鮮に映るのだろう。
「想像していた以上でした。感動いたしましたわ」
「普段の鍛錬では、ここまで真剣な試合はできませんからね。この大会は、技の応酬が続く分、見応えもあるかと」
レオノーラがそう返すと、アルフレッドが笑って言った。
「今年は、レオとアビエルの最後の対決になるから、みんな注目してるんだよね。しかも、負けた方が女装するって話だし」
アルフレッドは、レオノーラとアビエルの間に入り肩を組んで、その両方をポンポンと叩く。
「二人とも決勝に行けなかったら、どっちも女装で交流会に出るらしいしね。俺は全力でそうなるように動くつもりだよ!」
その言葉に、フロレンティアが興奮した様子で手を握りしめる。
「レオ様の女装! 見てみたいですわ。でも、それってレオ様が負けるってことですよね?それは困りますわね。ええ、本当に。皆様、どうすればよいのでしょう」
彼女の瞳はきらきらと輝き、周囲の女生徒たちも嬉しそうにはしゃぎ出す。
「レオニー、もう仕方ない。勝ち負けに関係なく、交流会では女装するってことでいいと思うぞ。皆が喜ぶ」
「嫌ですよ。これは真剣勝負なんですから。そうやって、自分に都合よく話を運ばないでください」
アビエルは面白がって、女装を既成事実にしようとしてくる。なぜ彼がここまで女装に熱意を燃やすのか、レオノーラにはさっぱり理解できなかった。
やがて、フロレンティアたちが交代の時間だといってテントへ戻り、三人は次の試合の準備のため控室へと向かった。
三試合を無事に終えたあと、次の相手がドミニクであることを知る。まだ一年生ながら、ここまで勝ち上がってくるとは。やはり、かなりの実力者だ。
「レオさんと対戦できるなんて、光栄です」
控室で、彼は少し照れたように声をかけてきた。大きな体に似合わぬ、どこか人懐こい雰囲気がある。
しかし、試合場に立つと、その体躯から放たれる威圧感はなかなかのものだった。剣が交差した瞬間、鋭い音が鳴り響く。彼の剣は重く、攻撃は主に上段から。その力強さは脅威だが――まだ粗い。
間合いの取り方に無駄が多く、動きにも柔軟さが足りない。経験の差は明らかだった。
同じリズムで振り下ろされる剣――そこに一拍、ズレを作る。ほんの少し受けをずらすことで、テンポを乱す。ドミニクの体幹は強く、一度の乱れでは崩れないが、それでも隙は生まれる。
攻めどきを見極めつつ、レオノーラは剣を操る。できれば、彼自身にその隙を感じ取ってほしかった。数度繰り返すうちに、ドミニクの目が変わった。
『……さすが、優秀』
内心で感心しながら、彼の成長を見守る。攻撃の軌道が少しずつ変わり、隙が減ってきた。良い剣筋だ――そう思う。
だが、そろそろ終わらせ時だ。
斜めに振り下ろされた剣を低くかわし、その外から肘を叩く。
「勝者、レオノーラ=ヘバンテス!」
ドミニクの剣が大きな音を立てて落ち、試合は決着した。
剣を拾い、丁寧に差し出す。
「いい試合でした。ありがとうございました」
「レオさん、ありがとうございました。本当に、素晴らしい試合でした」
互いに握手を交わし、兜を脱いで控室へ戻る。ドミニクが汗を振り落とすように髪をかき上げながら、嬉しそうな表情で隣を歩く。
「途中で、レオさんが何かを伝えようとしてるのに気づいたんです。まるで、剣で会話しているような……初めての感覚でした」
その真っ直ぐな言葉に、レオノーラは嬉しくなる。
「”剣で会話”なんて、そんな大袈裟な。でも……ドミニクさんって、案外ロマンチストなんですね」
揶揄うように言うと、照れたように顔を赤くし、彼は言葉を探し俯いた。耳朶まで真っ赤になっている。
大きな体に似合わぬ繊細な反応が、まるでぬいぐるみのクマのようで――思わず、笑みがこぼれた。
それを見たドミニクは、さらに目を見開き、湯気でも立ちそうなほど真っ赤になっていた。
「レオニー、人をあまり弄ぶなと、言っただろう」
次の試合に向かおうとするアビエルが、通路の向こうから不機嫌そうに歩み寄ってきた。
「わざとなのか無意識なのかは知らないが、どちらにしても、もう少し人の心を思いやれ。自分の言動が、思いがけず相手を傷つけることもあるんだ」
いつになく厳しい声だった。確かに、すぐに調子に乗ってしまう。こういうところが自分の未熟さだと、レオノーラは思った。人の心の機微に疎く、今も何が悪かったのか、正直よく分かっていない。「ごめん」とだけ言って、ドミニクに肩をすくめる。
「アビエル殿下、レオさんは、決して意地悪なつもりでは……。本当に楽しい試合でした。僕があまりに興奮してしまって」
「君は立派だった。試合を弄んだのは、レオニーの方だ。気にするな」
アビエルは続けて、レオノーラに目を向ける。
「あまり余裕を見せていると、足元をすくわれるぞ」
言い捨てるようにして、試合場へと向かっていった。
レオノーラは、自分でも分かるほど肩を落とした。随分ときつく叱られてしまった。でも、ドミニクが横で「すみません、僕が浮かれていたから……」と、申し訳なさそうに小さな声で繰り返しているのが可愛らしくて、思わず笑ってしまいそうになる。しかし、今は怒られた直後。笑いを堪えて歯を食いしばり、「気になさらないでください」とだけ返した。
◇◇◇
次の試合へと向かいながら、アビエルの心には、拭いきれないもやが残っていた。
さっきのレオノーラの試合――彼女はまるで、ドミニクと対話するかのように剣を交えていた。まるで、教え導くように。
『レオニーと剣で語り合えるのは、私だけだ』
観覧席でその様子を見ていたとき、沸き起こる独占欲をどうすることもできなかった。しかも、ドミニクが彼女の意図を汲み取れるだけの実力を持っていることも、気に食わなかった。
『私は、いつからこんなにも小さな男になってしまったのだろう』
昨日、レオノーラは「ずっと傍にいる」と誓ってくれた。それだけで十分なはずなのに、心は一向に静まらない。
彼女は誰にでも優しい。だからこそ、もし自分がいなくなれば、すぐに誰かが彼女の隣に立つだろう。そう思うと、締めつけられるような痛みに苛まれる。
『私にはレオニーしかいないのに。彼女がいなくなったら、私は……』
胸が掻きむしられるようだった。
『彼女の忠誠は、主君と臣下の誓いにすぎない。いつか、彼女の隣には誰かが立つ。その時、私はただ見ているしかないのか』
――婚約者がいる身でありながら、彼女を求めてやまない自分に.......いったい何を言う権利があるというのか。
試合場に立っても、気持ちは沈んだままだ。開始の号令がかかる。相手の剣を捌きながら、抑えきれない苛立ちがまた胸に広がる。
集中できず、感情のままに相手の剣を弾き返した。
「勝者、アビエル=ランドルフ!」
審判の声で、ようやく現実に引き戻された。飛ばした剣を拾い、相手に手渡す。
「すまなかった」
試合を壊してしまったことを詫びた。相手は、「いえ......勝負ですから」と、きょとんとしていたが、アビエルはそのまま観覧席に背を向け、歩き出した。沸き起こる拍手の中で、レオノーラだけは、今の彼が彼らしくなかったことに気づいていただろう。
『きっと、自分が怒らせたからだと思って、責任を感じているに違いない。それでいい。あれは、レオニーが悪いのだから』
控え室へと続く通路を歩きながら、自分にそう言い聞かせる。
――だが、内なる声が囁く。
『いや、悪いのは全部自分だ』
何もしてやれないのに、ただ一方的に彼女を自分に縛りつけたいと願っている。この場所を離れれば、もう一緒に笑い合うことすらできないかもしれない。それが怖いのだ。主君としてではなく、一人の男として、彼女に望まれたいと切に願ってしまう。
――殿下はまだお若い。どれほど理性的であろうと、ご自身でも気づかない感情が、内にあるのです――
レオノーラを連れてくることを最後まで反対していたガイアスの言葉が、頭の奥で響いた。
ふと顔を上げると、そこに彼女がいた。
「……私の至らなさで、ご不快を与えてしまって、申し訳ありません」
控え室の椅子に腰を下ろしていたアビエルに、レオノーラが静かに頭を下げる。
「いや、私も少し言いすぎた。すまなかった」
「その……私は本当に、人の心の機微に疎いようで。相手が嬉しそうだと、つい嬉しくなってしまうんです。単純なのです」
彼女はそっと隣に腰を下ろし、言葉を続ける。
「だから、アビエル様が辛そうだと、私も同じように辛くなります。先回りして心を読むことはできませんが、もし私が良くなかった時は、今日のように言ってくだされば構いません。どうか、言いすぎたなどと、ご自分を責めないでください」
「心の機微に疎い」と言いながら、こんなにも思いやりに満ちた言葉を差し出せる。まったく、この人は……
「別に、自分を責めてなどいないし、辛くもない。勝手に私の心を読んだ気になるな。そういうところだ。……よし、反省として、交流会は女装だな」
「え? それとこれとは関係ありません。嫌です。真剣勝負なんですから」
なんでそうなるの、という顔が面白くて、つい笑ってしまう。
「やっぱり、お前の才能は癒しだな」
「良かった。アビエル様が笑うと、ものすごく嬉しくなるので。いつでも笑っていてください」
レオノーラの顔にも笑みが浮かぶ。その笑顔を見ているだけで、さっきまで胸を覆っていた黒い感情が消えていく。
何も解決してはいない。それでも、今はこの瞬間を、大切に過ごしたいと思えた。
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