2:邂逅
皇宮の厩舎で育ったレオノーラは、幼い頃から馬と共に過ごし、その才能を自然に磨いていった。そんな彼女が、ある日、皇太子アビエルと出会う──それは、運命の歯車が静かに回り始める瞬間だった。
レオノーラの祖父、ガイアス=ヘバンテスは、大陸の北に住む騎馬民族の出で、帝国が招集した騎兵団の1人だった。15の時に食い扶持を稼ぐために帝都へ出てきた。
彼は、馬上の戦闘技術に長け、また、その技術を向上させる為に武具のアイデアを具現化することを得意としていた。
鎧の繋ぎ目を鎖ではなく銀糸を撚ったもので編み、軽く、可動域を大きくしたものを身につけたり、背負う刀を持ちやすく、抜きやすい細さにするなど、暇を見つけては手を加え、己の実践に活用することを楽しみとしていた。
それが上官の目に留まり、体に負担が少なく防御効果の高い武具を考える帝国軍の武具開発の一員となった。平民では手の出せない素材を使用できるようになったことで、彼のアイデアはさらなる進化を遂げた。
高い学識などは持ち合わせていないので、部材自体の開発は研究者とともに行うわけだが、大家族で育ち、部族の調和を重んじる文化で育った彼は、学歴に矜持を持つ文官たちをうまく取りこみ、かつ柔和に自分の意見を聞き入れさせることにも巧みだった。
その貢献により、戦乱期の収束とともに騎士の爵位を得て、皇宮の城郭の中にある厩舎近くに居を賜った。
騎士の爵位などは、せいぜいご褒美の類の物で、武具の進歩が波に乗るようになると、武具の開発からは離れ、王侯貴族相手に騎乗の戦闘技術などの基礎鍛錬を教えるようになった。
ガイアスの妻は戦争孤児で、大陸を渡る商団の世話係だった。ガイアスが帝都に向かう途中で寄った宿場町で出会い、恋に落ち、一緒に帝都へやってきた。物静かでいつも穏やかに自分の運命を受け入れる、悪く言えば何事にも諦念を持つタイプであった。
帝都に来てから娘を一人もうけたが、産後の肥立が悪く娘が1歳になる前にこの世を去った。功績が認められ褒章を得て、ようやく楽をさせてやれると思った矢先だった。
妻は、死の間際に、「我儘が許されるならば、後添えは娘を大事にしてくれる人にして欲しい 」と涙を流して夫の手を握った。妻への愛情と悔恨から、ガイアスはその後、多忙な仕事の中で男手一つで娘を育てた。
幸いにも、周りに気心の知れた同僚家族がいたことは娘を育てる上で大きな助けとなった。皇宮御所内という安全な場所であることにも恵まれ、娘は健やかに育った。母親によく似て手足が長くスラリとした美しい容姿は、皇宮で下女として働き始める頃になると、大いに男たちの目をひいた。
宮廷に南国の王家が来訪した際に、大きな宴が催された。娘は、南国の王が連れてきた楽団の奏者の一人と恋に落ちた。そして、初めての恋に夢中になり、全てを捧げた。王家が帰国する際には、楽団とともに南へ行きたいと涙ながらに訴え、その隣には、少し困ったような、頼りなさげな美しい男が立っていた。
ガイアスは、愛を語るだけの相手の男に信用を見出すことはできなかったが、娘が望むのならばと苦渋の決断をした。―しかし、その二年後、娘は、身重で心を壊した状態で戻ってきた。
件の相手は、自国に妻と5人の子どもがいた。しかも、楽団は旅が多く、子どもを孕ってからは、ついていくこともできなくなり、彼の妻のいる家で肩身の狭い思いをしていたらしい。そして、次に旅から帰ってきた男のそばには、楽団の新しい踊り子だという娘がベッタリ張り付いていた。
彼の妻は『あなたも、あの娘も、彼の気まぐれな旅の土産よ』そう言っていつものように家事をしていた。
彼にとって自分とのことは、運命の恋ではなかったのだと気づいた娘は、毎日泣いて暮らした。若く、人生経験の浅い娘には、耐えられないことだった。あまりに毎日泣いて暮らすものだから、彼の妻も哀れに思ったのだろう。
「もし、帰る場所があるのならそこに帰ったらどう?少しなら旅費を用立てるから。この家で子どもと一緒に暮らすのも私が困ってしまうし、あいつは、子どもが生まれたって何も変わらないよ 」
ため息混じりに、世話を焼いてくれた。おかげで、ボロボロになりながらも行商人の一団とともに帝都に戻って来ることができた。
帝都を離れてから便りの一つもよこさなかった娘が、突然身重で出戻ってきた。ガイアスは、男への激しい怒り、そして娘への哀れみで、どうすれば良いかわからず、同僚の厩舎長の妻に娘を託した。
憔悴しきった娘は、予定日よりも随分と早く小さく弱弱し気な女の子を産んだ。娘は、生まれ落ちた我が子に男の面影が見えることを嫌い、子どもを寄せ付けなかった。
子どもが泣くと耳を塞ぎ、自分の人生を呪う言葉を吐き続けた。そして、少し経って床から出られるようになると、ふらりと森へ出かけて行き、ーそして、森の奥の渓谷の淵で変わり果てた姿となって帰ってきた。
ガイアスは、不幸な経緯から思いがけず二度目の子育てをすることになった。周囲は幼子を養子に出すことを進めたが、出戻った娘と向き合うことのできなかった後悔と死に際の妻との約束が彼の胸にあった。
不幸中の幸いとしては、年を重ね立場が上になったことで、時間を融通しやすくなり、同僚の理解も得て(多分に同情もあっただろうが)職場へ頻繁に孫を連れて行くことができたことだろう。。
孫娘のレオノーラは娘以上にとても美しい子どもだった。
2歳になる頃、預けていた厩舎長の家の庭師に、誘拐されそうになるという事件があった。庭で洗濯籠に入り眠っていたレオノーラは、籠ごと連れ去られそうになった。別の使用人が気づき、幸いにも未遂で終わったが、これを機にガイアスはレオノーラに男の子の格好をさせるようになった。
ところが、少年のような格好をしていてもレオノーラの美しさは人目を引いてしまう。そこでガイアスは、とりあえず自分が仕事をしている間、レオノーラを馬の背に乗せておくことにした。
そのおかげで、レオノーラは、5歳の頃には、馬を十分に操ることができるようになっていた。
ガイアスが王侯貴族の師弟に馬術指導をする間、レオノーラも馬に乗り、馬の世話をすることを日常とした。皇太子であるアビエルと出会ったのも、祖父の厩舎だった。
七歳になった皇太子が、本格的に馬術訓練を始めるという日で、護衛や侍従などが大勢厩舎に詰めかけ、観覧席には皇后が侍女を連れて座っていた。
皇太子は、小麦色の小ぶりの馬にまたがり、ガイアスの指導のもと、速足で起伏のある短いコースを行ったり来たりしていた。
通常、ガイアスの元にレッスンに来る貴族の師弟は、十二、三歳くらいなので、レオノーラは自分と同じくらいの子どもが馬に乗っている姿を見るのは初めてだった。
皇太子は艶やかな金色の髪と真夏の空のような瞳をしていて、白くて滑らかな頬がうっすらと薔薇色に色づいていた。絵本に出てくるような、いかにも王子さまという姿に、レオノーラは『なんて綺麗で可愛いの‥‥』と心の内でつぶやいた。
レッスンが終わるとガイアスが自分を呼んだ
「レオ、殿下の馬をクールダウンさせて、厩舎で手入れしておきなさい」
走り寄って手綱を受け取り、祖父に軽く片足を支えてもらってヒョイと馬に乗った。手綱を長めに持ち、馬場でゆっくり並足をさせてクールダウンをさせる。皇太子は、自分よりも小さな子が軽々と馬を操る姿を見て、驚いた様子だった。
「なぁ、ガイアス、あの子は厩舎の下働きの子どもか何かなのか?」
「は、レオは私の孫でございます、殿下。訳あって私と二人家族ゆえ、日中はこのように厩舎で手伝いをさせながら面倒を見ているのです 」
レオノーラは厩舎に向かい、洗い場の支柱を利用して器用に馬から降りた。
「すごいな‥‥」
それを見てアビエルが呟く。レオノーラは、厩舎までついて来た皇太子に、やや緊張しながら、笑みを浮かべて声をかけた。
「この子はとてもおとなしいので、全然危なくないですよ 」
その言葉に皇太子がレオノーラの顔を見つめて、大きく目を見開いて黙ってしまったので『何か間違えちゃったのかな』と心細くなった。どうしたら良いかわからず、目を見開いて自分を凝視している皇太子を目の端にとらえながら、レオノーラは馬の体にブラシをかけ始めた。
「‥‥なぁ、私もこの馬の手入れをしていいか?」
皇太子の言葉が誰に向けて発せられたものかわからず、レオノーラは顔を上げて、皇太子とその後ろに立つ侍従、祖父の顔を順に見つめた。
「殿下、馬は急に暴れます。お怪我をなされては大変ですから、世話はこの者に任せましょう 」
侍従がそう言うと、皇太子が不愉快そうに睨みつけた。
「私より小さなこの者にできることが、私にはできないとお前は言うのか?」
「そ、そういうことではございません、殿下。この者は、馬の世話にただ慣れておるというだけで。それに皇后陛下がローズガーデンでお茶をご用意なさって待っておられますゆえそちらへ 」
「終わったら向かう。それでいいだろう?おまえ‥‥レオだったな。レオ、どうしたらいいか教えてくれ。私もこの馬を労いたいのだ 」
皇太子は、乗馬ジャケット脱いで、腕まくりをした。レオノーラは慌てて足元の道具入れから、比較的汚れの少ないブラシを探し当て、自分のズボンで少し毛先の汚れを落とした後、皇太子に渡した。
「後ろは、脚が飛んでくることがありますので、殿下は首にブラシをかけていただけますか?」
自分が乗っていた作業台を馬の肩の近くに置き直す。
「わかった。毛並みに沿ってこうすればいいのか?」
そう言って、皇太子は嬉しそうに馬の首にブラシをかけた。その姿に、レオノーラも微笑みが溢れた。それを見て、皇太子は薔薇色の頬をさらに色濃くしてせっせと手を動かしていた。
「では、ガイアス、また、明日も来る 」
そして、手入れが終わると満足げにそう言って去っていった。
翌日、祖父から、皇太子とのレッスンに自分も加わることになったと聞いてびっくりした。
「おひとりでレッスンを受けるより、誰か近い年の者といた方が競い合って技術も上がるだろうということらしい。まぁ、悪くはないことだ。殿下がお前をいたくお気に召したようなのだ。くれぐれも粗相のないようにな 」
最初こそ、皇太子より馬に乗れている、と思っていたレオノーラだったが、皇太子はメキメキと力をつけ、半年ほどでレオノーラと同じくらいになっていた。小さな体で馬に乗る技術は、やはりそれなりにコツがいる。皇太子はレオノーラがどのように馬に乗っているかを観察し、すぐに体得していった。
「さすが、いずれ皇帝になられるお方だ。大変に優秀でいらっしゃる 」
ガイアスは感心してそう言った。
その後、皇太子は、レオノーラに剣術の訓練も一緒に受けるように命じた。護身に使えるような簡単なものは、祖父から学んでいたが、騎士団の団員から教わるようなきちんとしたものではなかったので、レオノーラとしてはとてもありがたいことだった。こうして、皇太子アビエルとレオノーラは出会い、共に過ごすようになった。
出会った頃、アビエルはレオノーラのことを『美しい少年』だと思っていた。周りから『レオ』と呼ばれているし、ズボンをはいて水桶や藁束を抱えて走り回る姿に微塵も疑いを持たなかった。レオノーラ自身が、普段からおしゃべりな方でもなく(下手に話すことで、不敬を働いてしまったらという不安もあった)また、保身のために男の子に見えるようにふるまっていたこともあった。
出会いから3年が経ったころ、城郭内の小川まで外乗に来たとき、休憩をしていた木立の下に小川が見えた。
「なぁレオ、川でちょっと泳がないか?」
初夏の小川はキラキラと輝いていて、とても涼し気だった。
「殿下、私は泳いだことが無いのですが 」
「なんだ、そうなのか?私もそれほどうまく泳げるとは言えないが、水に浮かぶだけでも気持ちが良いものだ。泳いでいる魚が見えたりするぞ。一緒に川に入ろう 」
そう言って、ついてきた従者に手綱を渡し、シャツを脱ぎ始めた。皇太子が、下履き一枚の姿になってこちらを促すので、レオノーラが傍に立つ従者の顔を困ったように見ると、『行け』というように顎を上げて促された。モタモタと服を脱ぎ下着姿になった。普段からズボンを履くのでドロワーズではなかったものの綿のシュミーズと短い下履き姿になり、そろそろと川に近づいた。
「上を着たまま入るのか?後でシャツを着たら濡れてしまうだろう?」
アビエルが怪訝な顔をしたが、幼心にも脱ぐことにはためらいがあった。
「だ、大丈夫です。このままで‥‥」
平民の下着など見たこともないアビエルには、それが女ものか男ものか区別がつくはずはなかった。
小川に足をつけるとひんやりとした水が気持ちよかった。アビエルは、腰ほどの深さのところまで進んで声をかけた。
「こっちにきてみろ。泳ぎ方を教えてやるよ 」
水の流れはほとんどなく、レオノーラは、危なげなくアビエルにたどり着いた。
「こんな風に体を伸ばして顔をつけて足をバタバタと動かすんだ。そうすると体が浮いて前へ進める。本当はこれに手の動きがつくともっとちゃんと泳げるが、それはまたの機会にしよう。まずはこうだ 」
アビエルは、まっすぐに水面に体を伸ばし手を頭の上にあげて、足をバタバタとして前へ進んで見せた。
「こうだ。やってごらん 」
水の滴る前髪を掻きあげながらレオノーラを促した。アビエルをまねて、体をまっすぐにして水面に飛び込んだが、上手く体が浮かず、足をバタバタと動かすと沈んでしまった。すぐに顔を上げてハァハァと息をした。
「そうだな、体はちゃんと浮きそうだから、足の動きだけ練習してみよう。ほら、手を取ってやるから 」
そう言われて、アビエルの差し出した両手を取り、体をまっすぐにして手を伸ばした。体を浮かして安定させることができたので、足をバタバタと動かしてみた。息が続かずすぐに顔を上げてしまう。
「腰はなるべくじっとして、太ももから下だけで足を動かすと体が安定するぞ。あと、水の中では目を開けていろ。水に落ちたときに周りが見えないと命を落とすからな 」
促されてもう一度挑戦してみる。うまく体が安定し、バタ足のコツもつかめてきた。言われた通り水中で目を開けると、少年の腰で下着がゆらゆらと揺れるのが見えた。光の差し込む水中の様子は、まるでガラスの中に閉じ込められた世界のように幻想的だった。
もともと勘の良いレオノーラは、すぐにコツをつかみ、アビエルの手を借りなくても泳げるようになった。二人は魚を追いかけたり、キラキラした小石を探したりしながら、小川でのひと時を楽しんだ。
さて、もう帰ろう、と小川から上がってきたとき、レオノーラの姿を見てアビエルが目を見開き、声を漏らした。
「‥‥おまえ、女だったのか・・」
薄い綿の下履きが腰に張り付いた姿を見て、さすがに気づいたようだ。
別にだましていたわけではない。周りの大人はみんなレオノーラをガイアスの孫娘だと知っている。ただ、皇太子の前で男か女かを問われることが無かっただけなのだ。男だと思われていることには、気づいていた。が、聞かれないのをいいことに、そのままにしていたのだ。皇太子をだましていたように感じて、居心地が悪くなり、返事をできずにいたら、
「そうか、そうだったのか‥‥」
と皇太子はつぶやいた。そのあと、服を身につけ、馬に乗り厩舎に戻る間、二人は言葉を交わすことはなかった。厩舎に着いて、皇太子の馬を預かり、礼をして下がろうとしたとき、いつものように、「では、また明日 」という声が聞こえた。
皇太子であるアビエルが自分を気に入ってくれたのは、年の近い男友達が欲しいからだろう。自分の性別について勘違いさせたままにしておいたのは、女だと知られたら、今のように一緒に馬に乗ったり、剣を交えたりすることがなくなると思ったからだ。アビエルの言葉に、明日もまた来てくださるのか、と思うと嬉しくなり「はい!お待ちいたしております 」といつになく元気に答えた。
その返事にこぼれるような笑顔を返すアビエルと目が合い、どうしようもなく嬉しくなった。これ以降、二人が小川で泳ぐことはなかったが、今まで通り共に馬に乗り、剣術を磨く日々は変わりなく続いた。
‥‥‥‥
月日は流れ、アビエルは十六歳、レオノーラは十四歳になっていた。ガイアスの元に来る同じ年代の若者が増えたことで、2人だけの時間を過ごすことは少なくなり、大勢で鍛錬を積む中に混じるようになった。
レオノーラの美しさは、成長とともにますます磨かれ、周囲からは軍神の彫像か妖精の生まれ変わりかと囁かれるようになっていた。
ただ――――年若い少年の色恋の対象となるに美しすぎたこと。そして、何より皇太子の傍附きであるという理由でだれからも言い寄られないことで、本人にはまったくその自覚が芽生えなかった。
日々の鍛錬のおかげか、体が女性らしい丸みを帯びることもなく、身長も同年代の少女より高いため、むしろレオノーラ自身は、自分のことを、女性的魅力にかけていて残念だと思っていた。そんなレオノーラをアビエルはいつも満足げに見守っていた。
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