18:学院の日々10
最終学年はやるべきことが多い。この三年間で何を成し遂げたかを、すべての授業についてレポートにまとめ、提出しなくてはならない。なおかつ、それらのいくつかは今後教材となるため、採用が検討されるものは、内容をさらに洗練するよう求められる。
アビエルもレオノーラも、複数の講義や演習についてレポートの採用が検討されている。そのため、夜は自室で黙々と文献や教材と向き合っていた。
薬事学のレポートの件でサイモン=アナンの部屋を訪れると、フロレンティアが何やらサイモンと話し込んでいた。
「フロレンティア様、随分お話が白熱していますね。お邪魔でしょうか?」
「まぁ、レオ様!レオ様が邪魔になることなどありませんわ。どうぞ、お入りになって!先生、レオ様にお茶をお出ししてください!」
サイモンがいそいそとお茶を入れ始めた。
「先生、そんな、お茶など…」
「いいの、いいの。このお嬢様の言うことは聞いておこうと思ってね 」
サイモンは嬉しそうに笑いながら、こちらに手を振った。
テーブルに目をやると、カレンデュラやカモミール、オトギリソウといった花の名前が書かれた紙が何枚かあり、その下には植物を写生したものや、何やら効能らしきことが書いてあった。
「保湿…乾燥よけ…何の治療薬ですか?」
「ふふふ、このお嬢さんは、薬は薬でも治療薬ではなく、美容に興味がおありで。いろいろ話を聞きに来てくれるのですよ 」
どうやらフロレンティアは、良い香りのするクリームや化粧水を作れないかと相談に来ているらしい。
「今は寒いでしょう?肌がカサカサになって、痛くなってから治すと傷が残りますし、時間もかかりますわ。なので、痛くなる前にこういったものを塗っておけば、少しはマシなのではないかと思って 」
それから、「見てください!」と綺麗なガラス瓶に入った蜜蝋を目の前に突きだしてみせた。
「私が作りましたの。レオ様は剣を持たれることが多いので、手が痛むこともあるでしょう?よろしかったら使ってみて!」
蓋を開けると、ふわりとカモミールの香りが広がった。
「では、お言葉に甘えて、少しつけてもいいですか?」
レオノーラは指先にクリームを少し取り、手のひらでなじませて全体に塗ってみた。スルッとした感触で、すぐに肌になじむ。
「ケガをしたときに使うクリームと違って、ベタベタしないんですね。すごいです。とても塗り心地が良い 」
フロレンティアが嬉しそうに「でしょう?」と微笑んだ。
「ヘバンテスさんは剣を握られるのですね。細くて長い指なのに節が大きくて、しかも細かい傷跡がたくさん。マメの痕も!すごいな、いかにも剣士の手って感じですね。そうだ、お嬢さんの作ったクリームを塗る前に、こちらのオイルを垂らしたお湯で少し手を温めてみてください。こんなに節が硬いと、あかぎれができやすそうで、見ていて気になります 」
サイモンがレオノーラの手を見て、黒い小瓶を手渡してくれた。
「お気遣い、ありがとうございます…」
その後もひとしきり、ハーブを混ぜた蜜蝋を柔らかく保持するにはどうすればいいかとか、化粧水の匂いをうまく瓶に閉じ込めるにはどうすればいいかなど、目の前の二人はとても楽しそうに話を続けている。結局、レポートの話を切り出せず、クリームとオイルをもらって部屋に戻ることになった。
寝る前に、サイモンの言ったように、お湯にオイルを垂らし、その中に手をしばらく浸けてからクリームを塗ってみると、硬かったマメが少し柔らかくなったようで、「これは剣が握りやすくなるかも」と気づいた。フロレンティアの生き生きとした楽しそうな顔が浮かんで、心が温かくなった。
◇◇◇
今年の神聖祭は「在学最後の年」ということもあり、交流会のダンス申し込みが殺到して大変だった。フロレンティアとファーストダンスを踊った後、次々と申し込まれ、全くフロアから離れることができず、ずっと踊り続けていた。普段から鍛えていなければ、到底もたないだろう。
かなり疲弊したが、一緒に踊った人たちがみんな楽しそうに笑ってくれるので、こちらも自然と嬉しくなる。
フロアの向こう側では、アビエルもずっと誰かと踊っている。帝国の美しい皇太子と踊る機会など滅多にないので、彼の周りにも途切れることなく人が集まっているようだ。
音楽がサークルダンスに変わり、1曲だけ皆と一緒に楽しんだ後、ようやく飲み物を取りに行くことができた。
「最初からサークルダンスにしておけばいいのに。それなら一度に20人以上で踊れる 」
テラスの端に座って休んでいると、アビエルが来て、そのまま隣の椅子にどさっと腰を下ろした。
「一応、交流会も社交の練習の一環だからでしょうね。でも、これではもう社交というより鍛錬ですね 」
額に汗がにじむほど踊るのはどうかと思い、ふとアビエルを見ると、彼は汗一つかいていない。さすが夜会で鍛えられているだけのことはある。
「高貴な方は汗をかかないんですね。うらやましいです。私は汗だくですよ 」
アビエルは横目でこちらを見て、グラスの果実水をぐいっと飲み干しながら答えた。
「誰だって汗くらいかくさ。おまえだってそうは見えないぞ 」
レオノーラは椅子のひじ掛けに頬杖をつき、ぼんやりとアビエルの喉元が上下するのを見つめる。いつのまにか、その喉元は男らしく張り出し、グラスを握る指も、かつて手綱を握っていた細くて白い可愛らしい指ではなくなっていた。
「先日、アナン先生のところへ行ったら、フロレンティア様がいらっしゃいました。美容に効く薬の相談をされていたようで、とても楽しそうでしたよ 」
「できることなら、もっと長くここに居させてやりたいものだが.......」
フロアの向こうで、友達と笑い合うフロレンティアの姿が見えた。
「フロレンティア様は聡明な方ですから、たとえ短い期間でも、ここで多くを学ばれることでしょう。きっと素晴らしい皇太子妃となられるに違いありません 」
そう言いながらアビエルの顔を斜めに見ると、彼は怒っているような、苦しんでいるような表情でフロアを見つめ続けていた。
◇◇◇
毎日があっという間に過ぎていき、気づけば雪解けの季節になっていた。神聖祭以来、アビエルは物思いにふけることが多くなった。「どうかしましたか?」と尋ねると、ゆるく笑いながら、「陽気が眠気を誘うのかもな」と軽くかわされる。レオノーラは、もっと彼に頼りにされる力をつけたい、と思った。
「なんだか、時間が過ぎるのが早すぎて、気づいたらまた闘技大会が近づいてるじゃない 」
浴槽の縁に腰掛けながら、カトリーヌがふくらはぎをマッサージしている。程よく筋肉がついた美しい足だ。
「そういえば、今年ゴドリックさんの弟が入学してきたのよね。十六歳とは思えない体格で、兄のように体術で連覇を狙うって言ってるらしいわよ 」
ルグレンが隣にやってきた。
「先日、アビエル様にご挨拶されていたので、少し話しましたよ。確かに立派な体をしてましたね」
今年入学したドミニク=ヴォルカ=クレインは、ゴドリックと同じ赤錆色の髪を持つ快活な青年だった。すでにレオノーラが見上げるほど背が高く、肩幅も厚みも兄を凌ぐ存在感があった。
「同じ辺境伯領とはいえ、うちは西側だから冬の寒さはそれほどでもないけど、北の辺境伯領は本当に過酷よね。ゴドリックさんが、あの雪中行軍を『散歩だ』と言ったって話だから 」
「あれが散歩?もう二度としたくない散歩だわ 」
カトリーヌは思い出して身震いしている。彼女の部隊は、あの演習の途中で方向を見失い、危うく遭難しかけたのだった。
「私のこのかわいい足の指、失くすところだったわよ 」
カトリーヌは愛おしそうに足の指をマッサージしている。ふと、その視線がレオノーラの足に向いた。
「レオが装飾品をつけているの、初めて見たけど。どうしたの?それ」
「アビエル様からいただいたものです。献上品だけど、自分はつけないからって。本当はブレスレットなんだけど、手首につけると装具の邪魔になるし壊しそうだから 」
レオノーラの細い足首には、空色の石が4つほどついた銀のチェーンが揺れている。
「へぇ……」
ルグレンとカトリーヌは何かを考えるような表情をした。
「なんていうか、レオは鈍いのか、それともわざとなのか、時々わからなくなるよね 」
ルグレンの言葉に、カトリーヌがうんうんと頷いている。
「あぁ、ちょっと調子に乗りすぎかな。この間、アビエル様にも『気をつけろ』って言われたのよね。でも、こういうものを持つのは初めてで。すごく綺麗だから、つい身につけたくなっちゃって……やっぱり分不相応だったか。はは、後でちゃんとしまっておこう 」
すると、ルグレンとカトリーヌが同時に「いや、そうじゃなくて!」と声を揃えた。
「はぁ……いいんじゃない?似合ってるし、つけてた方がなくさないわよ 」
ルグレンはため息をつきながら、少し呆れた顔をした。
◇◇◇
レポートの質問があって何度かサイモンの部屋を訪れると、そのたびにフロレンティアに出会う。彼女はここに頻繁に出入りしているようだ。
「フロレンティア様は、美容に関する薬にとても熱心なんですね。」
「そうかしら?でも、いろいろ考えるのはとても楽しいわ!」
「ヘバンテスさん、お嬢さんの発想力は素晴らしいのですよ。私も新しいアイデアをたくさんいただいています 」
「そんなの、サイモンがよく話を聞いてくれるからよ」
フロレンティアは顔を赤らめて笑った。机の上には金の飾りがついた容器が置かれている。
「これは、おしろいですか?」
「そう!レオ様は、おしろいをつけたりする?外で鍛錬をされているのに、すごく白くて肌がきめ細かいわね…。私は、夜会に出る時や、疲れて顔色が悪い時には、おしろいが必須なの。でも、疲れていると肌の調子が悪くなって、つけた後に痒くなったりするのよ。それで、おしろいに肌を癒すハーブを入れてみたらどうかと思ったの 」
フロレンティアは「じゃじゃ〜ん」と言いながら、おしろいの容器を目の前に出してきた。
「最近、自分で使ってみているけど、とても調子がいいの。もちろん、サイモンの助言をたくさんもらって、安全なものを作っているのよ。もう少し使ってみて問題なければ、お友達にも差し上げようと思って!」
その様子があまりにも嬉しそうで、レオノーラもつい嬉しくなってしまった。フロレンティアが「見て、見て!」と言うように自分の頬をこちらに向けたので、レオノーラは両手でその頬を挟んで顔を近づけてみた。すると、フロレンティアが急に我に返り、顔を赤らめる。
「あ…レオ様、顔が近いですわ…あの、は、恥ずかしいです…」
その可愛らしさに、レオノーラの口元がつい緩んでしまう。レオノーラの顔に浮かんだ微笑みに、フロレンティアは今にも頭から湯気が出そうになっている。
それを見たサイモンが、「ヘバンテスさんは、随分といかがわしい色気をお持ちなんですね。危険この上ない。」と口元を歪めながら、フロレンティアの肩を引いてレオノーラから距離を取らせた。「いかがわしい」とは......その言葉にちょっと傷ついた。
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