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騎士と王冠<The Knight and the Crown>Ⅰ  作者: けもこ


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16/30

16:帝都で過ごす夏休み 2

アルフレッドから、デイジーが帝都の別邸に滞在していることは聞いていた。


「明後日の夜、白の広場の夜市に行くんだ。よかったらレオも一緒に来ないか?」


貴重なデートのはずなのにいいの?と尋ねると、彼は少し照れくさそうに笑いながら頭を掻いた。


「そのあと、別邸で夕食に招かれているんだ。デイジーの家族も一緒でさ。一人だと緊張しそうだから……」


その言葉に、レオノーラは微笑み、快く誘いを受けた。


街の中心に位置する白の広場は、神聖グルタと三神の巨大な像が中央にそびえ立ち、白い石灰岩が敷き詰められた美しい場所だ。広場から放射状に延びる商店街は、いつも人で賑わい、まさに帝都の心臓部と言える。


「夏に別邸に来ると、家族でいつもこの夜市を楽しんでいるの」


タウンハウスが並ぶ新市街地の一角に、クイン家の別邸があった。前庭に小さな噴水のある、控えめながら品のある邸宅だった。デイジーを迎えに行くと、彼女の妹たちも一緒についてきた。例に漏れず、妹たちはレオノーラの姿を見るなり頬を赤らめた。アルフレッドがデイジーを、レオノーラが妹二人をエスコートし、夜市を巡ることになった。


帝都で生まれ育ったレオノーラだが、実はこの夜市を訪れるのは初めてだった。存在は知っていたものの、城郭の外に出るのは、必要な物を買いに行く時くらいで、遊びに出かけることなどほとんどなかったからだ。


「今年のランタン、花模様が可愛らしいわ」


屋台の軒先では、小さなランタンが風に揺れていた。毎年デザインが変わるそうで、今年は可憐な花模様があしらわれていた。


アルフレッドが射的でいいところを見せようと奮闘しているあいだ、レオノーラは妹たちを連れて、花籠や飴細工の屋台を見て回った。


お土産にランタンを買って別邸へ戻ると、デイジーの母親、叔母、祖母が、夕食の整ったテーブルで待っていた。


アルフレッドは年配の女性たちからの質問攻めに、今までに見たこともないほど緊張していた。時折、レオノーラも助け舟を出したが、どうやら途中からデイジーがテーブルの下で手を握ってくれたらしく、その後は少し落ち着いたようだった。


「レオ、一緒に来てくれて助かったよ」


帰り道、アルフレッドが殊勝にも感謝の言葉を漏らした。


「ふふふ、みなさん素敵な方たちだったね。アルのことも気に入ってくれたんじゃない?」


「そうだといいけどな。ああ、緊張した。でも、楽しかった。これで学院を卒業しても、デイジーに会えるって思えて、少し安心した!」


彼は両手を夜空に突き上げ、嬉しそうに雄叫びを上げた。その姿にレオノーラは微笑み、「はいはい、よかったね」と肩を軽く叩いた。幸せそうな彼を見て、心がふわりと温かくなるのを感じた。


門番に夜市の土産の肉串を渡し、城戸をくぐる。ランタンを手に、城壁に沿って歩く。この高い塀の向こうには、アビエルがいる。遠くから、音楽と人々の楽しげな声がかすかに聞こえてきた。まだ夜会は続いているのだろうか。


塀の向こうからこちらに出ることはできても、こちらから向こうに入るのは容易ではない。二人の世界を隔てる壁――それでも、私はもう迷わない。この壁は、心まで隔てるものではない。彼が私を必要とする時、私はきっと、この壁を乗り越えられる。そう確信した瞬間、ランタンの灯りに照らされた足元が、いつもよりもしっかりと感じられた。


そして、ローブを翻し、城壁に背を向けて、夜の木立の小道を家へと向かった。


◇◇◇


 小雨が静かに降る日、厩舎で馬の手入れをしながら番犬たちと遊んでいると、厩舎の入り口に濡れたフードをかぶったアビエルが現れた。


「アビエル様、こんな雨の中、馬を使うご予定ですか?」


「いや、庭園での茶会が雨で中止になったので、ちょっと出てきた。今日は鍛錬もないし、ここならお前がいると思ってな 」


そう言って、アビエルはフードを取ると、濡れた前髪を軽く振り払った。


「毎日お忙しそうですね。お客様も多く、夏の皇宮はずいぶんと慌ただしい」


「まったくだ。毎日、まるでオルゴールの人形のように踊り続けているよ 」


 そう言いながら、アビエルは馬の鼻を優しく撫で、ため息をついた。


「そうですね。いっそ等身大の皇太子様と皇太子妃様の人形を作って、音楽に合わせてフロアで踊らせたらどうでしょうか?」


 そう軽口を叩くと、アビエルは「なんだ、それは素晴らしいアイデアだな!」と笑い、二人でくだらないアイデアを次々に出し合った。人形の足を小さな車輪にしたらどうかとか、いやいや、上から人形劇のように操るほうがいいのではないかとか、冗談を言い合いながら笑いが止まらなかった。


「出てきてよかった。随分と気が晴れたよ 」


 入ってきた時には疲れた強張った表情をしていたアビエルだが、今はその顔に少し柔らかさが戻っていた。


「来週末には、学院へ向かって出発できると思う。フロレンティアは長旅に慣れていないから、ゆっくり進むことになるだろう 」


 アビエルと向き合うと、その空色の瞳がゆらめくように揺れていた。


「承知しました。フロレンティア様にとって、少しでも楽しい旅になるよう尽力いたします 」


 レオノーラが微笑んで返事をした瞬間、アビエルがレオノーラを引き寄せ、ギュッと抱きしめた。一瞬、息が詰まり、心臓が激しく鼓動を打った。しばらくそのままの状態が続いたが、レオノーラはそっと腕をアビエルの背中に回し、軽くポンポンと叩いた。


「お疲れなのですね 」


 その言葉に、アビエルはさらに腕に力を込め、くぐもった声で(つぶや)いた。


「このまま……いっそ、いっそどこかへ」


 その言葉の後、沈黙が続いた。レオノーラは背中をさすりながら静かに応えた。


「えぇ、えぇ。アビエル様が望むなら、どこへでもお供いたします。だから大丈夫です 」


 しばらく抱き合った後、アビエルはレオノーラの肩に額を乗せてから顔を上げた。そして、子供が泣くのを我慢するような顔をして、しばらくレオノーラの顔を見つめた。


「客の見送りに戻らないと 」


 そして、何かを振り切るようにそう言って、厩舎から出て行った。


 ◇◇◇


 帝都から学院までの道中、フロレンティアは終始はしゃぎ続けていた。窓を開けて、馬車に並走するレオノーラに楽しげに声をかける。


「ねぇ、レオ様!さっき草むらにウサギがいたのよ!馬車に驚いて逃げるかと思ったけれど、じっとこちらを見つめていたわ。もしかしたら、捕まえられたかもしれないわね!」


 レオノーラは微笑みながら答える。


「ふふふ、降りて追いかけたら、一瞬で巣穴に入ってしまうでしょうね 」


「まぁ、巣穴ですって?ウサギは穴に住んでいるの?森の木の家に住んでいるかと思っていたわ。あっ、ご覧になって!大きな湖、素敵ね!」


 レオノーラが湖を見ながら、説明をする。


「あれはルート湖です。世界樹が無くなった後、その根の跡にできた湖だと言われています 」


「まぁ、世界樹ってこんなに大きかったのね。あ、船に乗っている人が見えるわ。船遊びかしら?」


「この湖では、スィートフィッシュと呼ばれる、とても美味しい魚が()れるんです。きっと漁のためにたくさんの船が出ているのでしょう 」


「スィートフィッシュ!甘いお魚なの?ぜひ食べてみたいわ。どこかで食べられるのかしら?」


「たぶん、今夜お泊まりになる宿の食事に出ると思いますよ。この地域の名物ですから 」


 はしゃぐフロレンティアの奥で、馬車に酔った従者のマギーが体を横にして、顔をハンカチで覆っているのが見えた。


「マギー様は大丈夫でしょうか?まだ宿まではかなり距離がありますが、少し休憩を取りますか?」


 レオノーラは、前を走る三人に声をかけ、湖畔(こはん)の開けた場所で馬車を止めることにした。馬に水を飲ませるため、馬車から桶を下ろしながら、マギーの様子をうかがう。彼女が木陰に横たわると、体を冷やさないようにショールを持って行った。


「私も、マギーのためにハンカチを濡らしたいのですが、ご一緒してもよろしいかしら 」


 桶を持って湖へ向かおうとすると、フロレンティアが、刺繍の施された上等なハンカチを握りしめている。


「では、ドレスの(すそ)が汚れないように、なるべく泥の少ない場所を探しましょう 」


 風がそよぐ草むらを歩きながら、湖畔(こはん)へ向かう。フロレンティアの薄金色(うすがねいろ)の髪がそよいで、まるでタンポポの綿毛のように見えた。


「ねぇ、レオ様。私、帝都をこんなに離れるのは初めてなの。本当に世間知らずで、山がこんなに大きいとか、田舎の家がこんなに小さいなんて、全然知らなかったわ。教師から色々学んだけれど、世界がこんな風だなんて教えてくれなかった。楽しくて胸がいっぱいよ 」


 薔薇色の頬をして、興奮気味に早口で話すフロレンティアに、レオノーラの顔には自然と笑みが零れた。


「聞いて知っているのと、実際に目で見るのとでは全く違いますよね。私も先日、アルに誘ってもらって、初めて帝都の夜市(よいち)に行きました。帝都で生まれ育ちましたが、一度も行ったことがなかったので、とても楽しかったですよ。初めての経験というのは、いつでもワクワクしますね 」


 レオノーラは桶に水を汲み、フロレンティアがハンカチを濡らしやすいように、ぬかるみのない岸に置く。


「レオ様にも、初めてのことがまだあるんですのね 」


 フロレンティアが微笑みながら、じゃぶじゃぶとハンカチを桶に浸す。しかし、持ち上げたハンカチを見て、はて?とどうすればいいのか戸惑った様子を見せた。レオノーラは、クスクス笑いながらハンカチを預かって絞って返した。


「フロレンティア様には、たくさんの初めてが待っていますから、その分たくさんワクワクできますよ。楽しみですね 」


 ハンカチを受け取ったフロレンティアは、少し顔を赤くして「子ども扱いなさらないで」と頬をプクッと膨らませた。


 楽しげに会話を交わしながら草むらを抜けて戻ってくる二人を、遠くからアビエルが静かに見つめていた。


◇◇◇


 三日目の夕刻、ようやく学院の門をくぐることができた。マギーは少し馬車に慣れたようで、フロレンティアのお喋りに相槌(あいづち)を打つほどには回復していた。


「私はフロレンティアの入学手続きに付き添うから、馬と馬車のことを頼む 」


 アビエルはそう言って、フロレンティアとマギーと共に建物の中へと入っていった。


「お嬢様は思いのほかタフだな。レオもよくあのお喋りに付き合えるよな。途中から鳥の声とお嬢様の声の区別がつかなくなってたよ 」


 アルフレッドが荷物を下ろしながら言うと、レオノーラは微笑みながら答える。


「そう?私は楽しかったけど 」


 その答えに、ガウェインもアルフレッドも「え〜〜」という顔をして眉間に皺を寄せた。


 フロレンティアとマギーの部屋に荷物を運び込んで部屋から出ると、ばったりコルネリアと出くわした。


「レオ様、おかえりなさい!どうなさったの?女子寮に来られるなんて珍しいですわね 」


「はい、帝都からアビエル様の婚約者であるフロレンティア様をお連れしましたので、荷物を運んでいました 」


 コルネリアは、驚いた表情を一瞬見せた後、何かを考え込みながら言った。


「アビエルの婚約者…...まぁ、大変、大変なことですわね、レオ様。そう......」


 そして、彼女はレオノーラの手を両手でギュッと握りしめて言った。


「レオ様、私は何があってもレオ様の味方ですわ。だから、お心を強く持ってくださいね!こうしてはいられませんわ。ルイーズ!大変よ、皆さんをお呼びして!」


 そう言いながらコルネリアが駆け出していく。その後ろ姿に、なんとなく不穏(ふおん)な予感を抱きつつも、レオノーラはどうしていいかわからず、とりあえず自室に戻ることにした。

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