⑤
『まるで、人の悪い気持ちがスイルを苦しめてるみたい』
悔しそうに言いながら、横たわるスイルの、その自分よりも一回り小さな手を握りしめるヒキ。
『なんで、スイルなんだよ‥‥‥いらないんだよ、こんな力』
言いながら、苦しそうに浅い息を繰り返すスイルの額に優しく触れるのはテイカだ。
スイルが“始祖の力”に目覚めた時‥‥‥その細い首筋に“聖痕”が顕れたと同時に、スイルは倒れた。
自分の意志とは関係なく流れ込んでくるセカイの情報に、その小さな身体が耐えきれなかった結果だった。
高熱が続いており、医者からもこれ以上続くと命の危険もあると言われた。
食べるものもままならない。
起き上がることなど、到底無理で‥‥‥
家族以外の“人”を恐がるようになった。
医者ですら、特定の者しか近づけない‥‥‥そんな錯乱状態が続いた。
だからこそ、思わずにはいられない。
—— 何が、始祖の力だ‥‥‥
そんなものの為に、大切な子ども達を犠牲にしてなるものか、と。
そう、俺は誓ったのだ。
だからこそ、こんな怪我で弱音を吐くわけにはいかないのだ。
—— ガタン‥‥‥
一度、大きく揺れて、馬車が停まった。
テイカとショウは、お互い顔を見合わせてから、覚悟を決めるように頷き合う。
ゆっくりと開く馬車の扉が、不気味な音を立てる。そこに立っていたのは、確かに護衛と馬車の手配をした使用人の筈なのに、その笑顔のなんと不気味なことか‥‥‥
「さあ、みなさん‥‥‥到着しましたよ。降りていただきましょうか」
だが、その言葉に素直に応じるわけがない。応じられるわけがないのだ。
ヒキに扮したマリスが、スイルのポンチョをまるでそこにスイルがいるかのように抱き締めて後ろを向く。事情を知らない者から見れば、必死に妹を守ろうとする健気な皇女殿下にしか見えない。
更に、そんなマリスをショウが背後に庇う。その横にはテイカがいて、二人揃ってしっかりと使用人であるはずの不気味な男を睨みつける。
そして、テイカは挑発するような笑みを湛えると、敵意を隠さずに言い放つ。
「お前らの企みは、お見通しだ!!お前らの好きになると思うなよッ!!」
そのテイカの言葉に応えるように、使用人だと思っていた“もの”は、不気味な黒い笑顔を浮かべた。
「威勢が良いだけでは、何も状況は変わりませんよ?お坊ちゃん‥‥‥ですが、気付いたことは褒めてあげましょう」
馬鹿にするように拍手まで送ってくる相手を睨みつけたまま、テイカは笑う。
『いいかい?どうしようもない窮地に立たされることがあったら、相手に隙を与えてはいけないよ?悠然と、笑ってみせなさい。心を悟られてはいけないよ?』
(はい、父上‥‥‥)
いつだったか‥‥‥皇王である父が、その大きな手で頭を撫でながら教えてくれたことを思い出しながら、ギュッと拳を握って気合を入れる。
「どうせ、お前らの狙いはスイルだろ?なんで、そんなにスイルを狙うんだよ。まさか、“始祖の力”とかおとぎ話を信じてるわけじゃないよなあ?いい年した大人がダッセえんだよ」
馬鹿にしたように嗤いながら、そう吐き捨てるものの、相手は全く乗ってこない。それどころか、不気味な笑みを湛えたまま、微動だにしない。
「何が、そんなにおかしいんだよ‥‥‥」
苛立ちを隠さずにそう言葉を投げるのはショウだ。
「スイルは、まだ3歳なんだぞ!?小さい女の子恐がらせて、悪いって思わないのかよ!」
兄弟のいないショウにとって、テイカとヒキは大切な友人であり、兄弟であり、そしてスイルは可愛い大切な妹のように思っている存在で。
だからこそ、赦せなかった。苛立ちを我慢できなかった。
「アンタらが何したいのかとか、何しようとしてるのかとか、そんなの興味ない!!けど、巻き込むなよッ!!」
ショウのその悔しさを滲ませた心からの怒りが、逆にテイカに冷静さを取り戻させる。
大きく深呼吸すると、改めて真っすぐ男を睨みつけた。
(とにかく、時間を稼ぐんだッ)
「俺にも知る権利はあるはずだ。狙われてるのは、俺の妹なんだからな。どうせ逃げ場もないんだ。捕まえる前に教えろよ。なんでスイルを狙う」
(‥‥‥ヒキと、スイルを信じるんだッ)
「生贄、ですよ‥‥‥“神の愛し子”は。セカイの為に、尊い犠牲になって頂くのです」
言いながら、ゆっくりと男が手を挙げれば、それが合図だったかのように騎士たちがぐるりと馬車を取り囲んだ。そして、本来の護衛対象であるテイカたちに何の迷いもなく槍を突きつけた。
「大丈夫ですよ。あなた方は仲の良い兄妹ですから‥‥‥全員仲良く、“神の庭”に送って差し上げます」
冷汗が、背中を伝う。それでも、絶対に負けてなるものかとテイカは歯をくしばる。だが、次の言葉にとうとうキレてしまった。
「“神の愛し子”は、この世にいてはならない存在なのです。だから、“神の庭”に‥‥‥“あるべき場所”にお還り頂かなくてはならないのです」
『‥‥‥なんで、こんなにセカイはスイルに意地悪なんだろう‥‥‥なんて、こんなにスイルのことを責めるの?』
“始祖の力”が覚醒した時、スイルは何日もの間、高熱にうなされ、目を覚ましても近づく人を恐れて錯乱状態にあった。
衰弱していくスイルを見て、悔しそうに、誰にぶつけるでもなく、静かな怒りをそっと零すようなヒキの呟きが脳裏をよぎる。
「ふざけんな‥‥‥ふざけんなよ!勝手に決めてんじゃねえ!!大人の事情を、押し付けるなッ!!!俺の妹は、ここにいるんだ。神の庭なんか知ったこっちゃねえんだよ!!」
もう、限界だった。
怒りでどうにかなりそうだった。
ただ喚くことしかできない自分がもどかしい。
『いいんだ、テイカ‥‥‥それでいい。そのために、俺がいる』
ふと、いつだったかキユウがくれた言葉を思い出した。
『守るために、俺がいる』
誰よりも強くて、頼りになる“兄”のような存在であり。
『助けがいる時は、必ず呼べ。何処にいても、駆けつける』
誰よりも信頼できる、騎士 ——‥‥‥
『未来の王に、忠誠を』
そう言って、膝を折ってくれたのはいつだったか。
「おしゃべりが過ぎましたね。あなたはもっと賢く、聡明だと思っていましたが‥‥‥やはり、子どもは子ども、ですね‥‥‥残念です。やはり愚王の子は、愚王‥‥‥」
「父上を馬鹿にするな」
男の言葉に、思わず喚き散らしたい衝動に駆られるが、下腹にグッと力を込めて耐える。そして、静かに言い放つ。
「この国に、愚王は必要ない。‥‥‥次代の王は、戦よりも和平を‥‥‥なんていうひ弱なことは言わない、かの方こそがなるべきなのです」
そこまで言うと、男は恍惚とした笑みを浮かべた。
「やはり、神の采配ですね。“神の庭”の主をお送りできるだけではなく、この国の障りである存在までここで絶つことが出来るだなんて」
そして、男はスッと笑みを消す。
その時だった。
テイカはわずかに目を見開く。
独特の、馴染みのある気配が風のようにスッと吹き去って行ったのだ。
「それでは、さようなら。皇子サマ」
「キユウ!!!俺はここだッ!!!」
男が手を振り下ろしながら騎士たちに合図を送るのと、テイカが叫ぶように言い放つのとどちらが早かっただろうか。
向けられた刃は、だがしかしどれも届くことなく吹き飛ばされた。
馬車を守るように現れたのは、待ち望んでいた存在だ。テイカとショウは、どちらからともなく馬車の中にへたり込む。
へたり込んでしまったことが恥ずかしくて、思わずテイカは悪態をつく。
「キユウ、遅い!!」
キユウはチラリと背後に視線を向けて、素早くテイカとショウの無事を確認すると、安堵の溜息を零す。そして、フッと小さな笑みを漏らした。
「お待たせしました。今しばらく、そちらにてお待ちください。‥‥‥未来の“賢王”」
そこまで言うと、前に視線を戻す。
その、予想していなかった人物の登場に、初めて男の顔に焦りの色が滲む。
「なぜ、どうしてッ‥‥‥あなたは、怪我で動けないはず‥‥‥どうしてここにいるのですか!!キユウ・グレイス・アヴァターラ!」
名を呼ばれて、キユウはスッと目を細めると剣をゆっくりと構える。
「王の意志が、俺の意志。王のおわす場所が、俺のいる場所だ。‥‥‥それは、未来の王であっても変わらない。‥‥‥今一度、問おう」
男も、テイカ達を殺そうと剣を向けていた騎士たちも、キユウに威圧されてしまって一歩も動けない。
「討たれる覚悟は、出来ているな?」
声を荒げたわけではない。ただ、静かにそう言い放っただけの声は、だがしかし、充分過ぎる威力を持って、その場を支配する。
いつの間にか雨は止み、曇天の隙間から陽の光りが差し込んでいた。
【覚書:新しい言葉】
神の庭・・・亡くなった人が行くといわれている場所
※ 土日はお仕事の関係で、アップお休みです。ご了承ください!