④
にいさまが、ないてる
ととさまと、かかさまも かなしそう
どうして?
「ごめんなさい」ってあやまってる
なんで?
だって、なにもわるいこと、してないのに‥‥‥
にいさまは、いっぱいヒミツがあるけど
ウソはぜったい いわないの
おやくそくしたから、
にいさまのヒミツも、ナイショの、ナイショ。
独特の浮遊感に包まれたのち、どこかの床に膝をつく形で到着したのを感じて、ヒキはスイルを抱き締めたまま恐る恐る固く瞑っていた目を開く。
ツンと鼻をつく薬品独特の匂いに、不安が募る。
バクバクと心臓の音がうるさい。
(どう、しよう‥‥‥私ひとりならまだしも、スイルも一緒なのにッ‥‥‥)
今回の“転移”は賭けに等しかった。
具体的な対象があった訳ではない。とにかく、“飛べる範囲”で“事情を知っている人物”なんていうあやふやな目的しかない状態で、“転移”が成功する確率なんてたかが知れている。
もしも、ヒキの力が及ぶ範囲に条件を満たす人物がいなければ、どうなってしまうのかなんて、ヒキにも予想が出来ない。
それでも、あの場で4人で固まっているより事態が好転することに賭けた。
(誰でもいいから、スイルだけでいいから、助けてッ‥‥‥)
そんな思いを込めて、腕の中の小さな存在を抱き締める腕に力を込めて、ギュッと目を閉じた、まさにその時‥‥‥
「‥‥‥ヒキ、なのか‥‥‥?」
一番聞きたかった声に、バッとヒキは顔をあげる。
もう心の中はぐちゃぐちゃだ。
「なん、だよ‥‥‥無事なんじゃないかッ!!心配させてッ‥‥‥どうせ、キユウのことだから、無理したんでしょッ!!馬鹿、キユウが全部悪いんだッ!!!」
熱いものがこみあげてきて、堪えきれない感情がとうとう爆発してしまった。
一度堰を切って流れ出た感情を止めるこは出来なくて‥‥‥
心配した
無事でよかった
恐かった
安心した
色んな思いが錯綜する。鼻の奥がツンと痛んで、零れ落ちるものを止めることすら出来ない。
八つ当たりだと判っていても、どうにもコントロールが出来ず、胸の内を吐き続けるヒキに、そっと歩み寄ると、キユウはスイルごとヒキを抱き締めた。
そして、安心させるように背中をポンポンと撫でると、ヒキは一瞬言葉を詰まらせてから、顔を歪めて泣き出した。
そんなヒキの姿に驚いたやら、キユウが無事だったことが嬉しいやら、スイルも我慢の限界だったのか声をあげて泣き出した。
キユウはキユウで、一抹の不安が頭をかすめるが、今はとにかくヒキとスイルを落ち着かせることが最優先だと判断し、あやすように背中を撫でる。
傷は痛むし、点滴を受けたとはいえ少し前まで貧血だったこともあり眩暈もするが、持ち前の胆力で堪えると、ゆっくりと落ち着かせるように口を開いた。
「ヒキ、スイル‥‥‥心配をかけて悪かった。俺はこの通り、大丈夫だ。きっと、報せに向かった使いの者が、大げさに伝えてしまったんだな。本当に悪かった。そして、ここまで来てくれてありがとう」
そのキユウの言葉に、ヒキが顔をあげる。泣き腫らした目を隠そうともせずに、必死に言い募る様は鬼気迫るものを感じてキユウはわずかに眉を顰めた。
(やはり、ただ事ではない)
ヒキとスイル、そしてこの場にいないテイカは、誰からどう見ても仲の良い兄妹だ。よほどのことがない限り、別々に行動することなどありえない。
特に、ヒキとテイカの仲は睦まじく、いつも一緒に行動しているというのに、今日の様に嫌な予感に苛まれているときに限ってテイカの姿が見当たらない。
「テイカとショウが大変なんだッ‥‥‥」
「どういう、ことだ?」
そして、ヒキの言葉を聞いた瞬間、キユウはまるで鈍器に殴られたような衝撃を心に受けたのだった。
実は、キユウとショウも全くの無関係というわけではない。
キユウは7歳の頃、実の両親と死別した。他に親戚もなく、当時まだ実姉のルカも17歳と共に寄るべをなくして途方に暮れていた姉弟に手を差し伸べたのが、遠縁にあたるレンドル卿だった。
そのレンドル卿こそ、ショウの祖父にあたる人物なのだ。
キユウが10歳の頃、レンドル家でショウが誕生して以来、実の弟のように可愛がって来た、そんな大切な存在が、同じく大切な甥たちの友人となり、楽しそうに過ごす姿を見ることが、キユウは何より好きだった。
この笑顔を守る為なら、何度だって戦地に赴くことが出来た。
—— だというのに‥‥‥
「キユウのお見舞いに行こうと思って、使用人に馬車と護衛の手配をお願いしたんだけど、まさか、こんなことになるなんて‥‥‥誰かは判らない、でも、確実にここには、医療部には向かってなかった」
不意に、カグの声が脳裏をよぎる。
『‥‥‥いいでしゅか。全ては巡るのでしゅ。今から起こることは、お前の無謀な行動が招いた“結果”でしゅ 』
だけど、まさかこんな形で思い知らされるだなんて、誰に予想することが出来ようか。
(俺の、行動の結果がこれだというのか‥‥‥)
自身の怪我を蔑ろにした、そのせいで悪化してしまったことへのこれが、報いというのだろうか。
ひとつ、深く深呼吸をして自身を落ち着かせる。
—— もしも、これが自身の行動が招いた結果なのだとしても‥‥‥
(きっと、俺は同じ選択をしてしまう)
—— そして‥‥‥
『‥‥‥お前の役割は、ここでおとなしく、待つことでしゅ。誰が何を言っても、何を聞いても、絶対に動かないことでしゅ』
(すみません、カグさん。俺には、“動かない”選択肢を選ぶことは出来ない)
心の中で謝罪をすると、決心を固めたように閉じていた目を開いた。
「ごめん、キユウ‥‥‥オレのせいだ。オレが、ちゃんとしていなかったから‥‥‥オレが、残らないといけなかったのに、テイカとショウに何かあったら、どうしようッ‥‥‥」
混乱してしまい、自分が何を言っているのかすら判っていないのだろうヒキを、再度落ち着かせるように両肩を持つと、少しだけ距離を取った。
間に挟まれた状態のスイルも、随分と落ち着いてきたものの、まだしゃくりをあげている。
ヒキとスイル、交互に視線を合わせれば、やっと緊張の糸が解けたと言わんばかりに、同時にホッと息を吐いた。
「ヒキ皇女殿下、気を付けてください。ここは、城ではありません‥‥‥あなたは、皇女殿下‥‥‥なのです」
まずは、しっかりと先ほどの失言に釘を刺す。
すると、今気が付いたと言わんばかりに、ヒキはゆっくりと目を見開く。そして、自分の口を慌てて塞ぐように両手で覆った。そんなヒキの様子にふっと微笑を零しながら、キユウはすっと立ち上がった。
そして、繋がれている点滴を無造作に引き抜くと、まっすぐ向かったのは簡易椅子の上に置かれている団服だ。
手早く着替えていくキユウを、ヒキとスイルは呆然と見上げるしかない。
きっちりと団服を着込んだキユウがヒキとスイルの元に戻ってくると、視線を合わせるように膝を付いた。
「ヒキ、スイル‥‥‥安心するといい。ここからは、俺の領分だ。俺のもとに来てくれてありがとう」
そうして、安心させるように柔らかい笑みを浮かべて口を開く。
「悪いが、もうひと仕事してもらいたい。‥‥‥スイル、テイカとショウがどこにいるのか、何処に向かっているのか、探ることは出来るか?」
そんなキユウの言葉に、スイルはコクンとひとつ頷くと目を閉じる。
そこには、スイルにしか感知できないセカイが広がっていて‥‥‥慎重に、大好きな兄たちの気配を探る。
ものの数分だろうか?
「みつけた‥‥‥」
ゆっくりと目を見開いて零した言葉に、キユウとヒキは顔を見合わせた。
「よし、スイル‥‥‥その結果をヒキと共有するんだ。ヒキは、スイルからの情報をしっかりと受け取ってくれ」
言われるがままに、ヒキとスイルは額をコツンと合わせて意識をひとつにまとめあげる。
「いた!!あそこッ‥‥‥」
思わず叫ぶように訴えるヒキの頭をキユウが落ち着かせるように撫でる。
「ヒキ、そこに俺を飛ばせるな?」
それは、聞いているようで確認に近い。
自分を含めると、スイルを一緒に“転移”するだけで精一杯だが、対象が自分ではなければ大人一人くらいならば“飛ばせる”力はある。
何より、いつも頼ってばかりのキユウが自分を頼ってくれている‥‥‥その事実が何よりうれしくて、その寄せされた信頼を裏切りたくなくて、力強く頷いた。
「安心して待っていろ。必ず、テイカもショウも連れて帰る」
そんなキユウの言葉に、今度はヒキと一緒にスイルも頷く。
次の瞬間‥‥‥
確かにそこにいたはずのキユウが、かき消えたのだった。
「‥‥‥にいさま」
不安そうに見あげてくるスイルの口を、幾分か冷静さを取り戻したヒキが、慌てたように両手で塞ぐ。
「スイル、それは、ナイショのナイショ‥‥‥でしょ?ここは、お城じゃないんだから、私のことは“おねえさま”って呼ばないと。お外では誰が聞いてるか判らないんだから」
そんなヒキの言葉に、スイルも今気づいたと言わんばかりにコクコクと何度も頷く。
—— そう‥‥‥
最大のヒミツは、公言されている双子の殿下の片割れが、実は皇女ではなく皇子であること、なのだ。
【覚書・新情報】
・キユウは7歳の時にレンドル家に身を寄せた。
・双子の殿下は皇子殿下と皇女殿下だと公言されているが、実は二人とも男の子
・キユウは怪我の療養のためおとなしくしておくように言われたのに、飛び出した