②
いたいのは、いや。
だって、とってもかなしくなる。
なんで、きずつけるの?
いたいのは、みんないやなのに。
おにいさまにきいたら、
「みんな、自分が持っていないものが欲しくなるから」
って、おしえてくれた。でも、そんな おにいさまもかなしそう‥‥‥
「だから、スイルの力もナイショだよ?スイルに何かあったら、私も悲しいから‥‥‥」
だいじな
だいじな
おやくそく
だから、スイルがみんなとおはなし できることは、ナイショの、ナイショ。
馬車の中は重たい沈黙に覆われていた。誰一人として、口を開かない。
やけに大きく響く雨音に混じって、時折轟音と共に稲光が走る。
スイルは泣き疲れてしまい、ヒキの膝を枕にして眠ってしまっていた。
「まあ、でも命に別状はないって言ってたから、大丈夫ですよ!」
陰鬱とした空気をどうにかしようと、ショウが無理やり明るく言う。
いつもと違って敬語なのは、ここが“外”だからということは言うまでもないだろう。
どんなに本人たちが否定しようと、埋まらない“身分”という溝が、どこまでも幼い友人たちの間を邪魔をする。
「判ってる‥‥‥父上にも、心配する必要はないって言われた‥‥‥」
だが、そう返事をするテイカの声音にも、隠しきれない不安がにじみ出ていた。
使用人が知らせに来てすぐ、テイカ、ヒキ、スイルの兄妹とショウは、父であるヒスイ皇王を尋ねた。返ってきたのは、疲労を隠しきれない柔らかな笑みで。
『大事ないから、安心しなさい』
そんな言葉だった。
だがしかし、スイルは落ち着くどころか更に泣きじゃくる。
まるで呼応するように、天気も荒れた。
閑話休題 —— ‥‥‥
コウジュ皇国の皇族には、“御力”と呼ばれる特殊能力を持って生れるものがいる。
だが、これは秘匿とされている国の最重要機密であり、限られた上層部にしか知られていない。
だからこそ、一般市民の多くには理解がなく、稀に力を使えるものが現れると、異端扱いを受けて迫害対象になってしまう。
そんな理由も相まって、ショウも普段はマリスとレノスのことは秘密にしているのだ。
テイカとヒキにも、“御力”が顕現した。
しかし、桁違いの力を持って生れたのが、2人の妹殿下であるスイルだった。
今から3年前、ちょうどスイルが3歳の誕生日を迎えた日に、それは突然起こった。
首筋に、“始祖の力”を持つ証である“聖痕”が現れたのだ。
それは、誰もが羨むような、一歩使い方を間違えば国を滅ぼしかねない、そんな末恐ろしい力だった。
当時、皇王と皇后は嘆いた。なぜ、自分の子ども達にばかり、神は試練を与えるのかと。
創造神として祀られている“太陽の王”と“月の女神”そして、コウジュ皇国の守り神だと崇められている“戦神アレス”“医療の神アプラサス”そして“智の神メリウス”の三柱神を祀る祭壇に1週間訴えかけた。
憔悴しきった両親の手にあったのは、この国の最南端にあるミズチ領に古くから伝わる“願い紐”だった。
スイルを蝕んでしまいかねないほど巨大な力を、ある程度‥‥‥ではあるが、制御してくれるというもので、即座にスイルの左手首に巻かれた。
『信頼できる方から頂いたものだよ。これは、スイルを守る為のもの。絶対に外してはいけないよ?』
テイカとヒキにも、そう強く言って聞かせた。後にも先にも、両親を“恐い”と感じたのはこの時だけだ。
それでも、森羅万象に干渉するスイルの大きな力は時に自然現象すら左右する。
セカイに生きる全てのものと意思疎通できることは勿論、激しく感情が揺さぶられると、天候ですら無意識のうちに操ってしまうのだ。
だから、この馬車の外で降りしきる雨は、今のスイルの不安そのものと言える。
(でも、だからってキユウが簡単にはやられないことは、俺が一番知ってるッ)
自分の中の不安を打ち消そうと、テイカは必死に言い聞かせる。
キユウ・グレイス・アヴァターラは今年18歳になる青年で、テイカたちの母である皇后の実弟だ。本来なら叔父にあたるのだが、いかんせん10歳しか年が離れていないため、兄の感覚に近い。
皇国騎士団に所属しており、身分に関係なく実力で上り詰めたエリート騎士の一人だ。
どうやら、騎士団内の限られた者しか、皇后の実弟ということ、またレンドル卿の養子であることは話していないらしい。
もしも、騎士としての自分に何かあった時、皇后である実姉と恩義あるレンドル卿に迷惑が掛かってはいけない‥‥‥という配慮のもと、自分から話すことは滅多にないのだと、キユウ本人が話していた。
既に、騎士団の中でも実力は揃いとうたわれる黒曜の騎士団に所属しているキユウのことを、自分の義弟であると自慢したい皇王と養い子であると自慢したいレンドル卿が愚痴を零していたことを知っているテイカとショウからしてみれば、何ともじれったいすれ違いが起きているのでどうにかしたい今日この頃なのだが‥‥‥
冷たい印象を他者に与えるキユウだが、存外、情に厚いところがあって、普段は訓練の合間を縫って甥たちの面倒も見ていた。
そんな彼が戦地へと旅立ったのは、年が明けて直ぐのことだった。
もう、何度目になるのか‥‥‥だけど、戦地へと送り出すことに慣れることはなくて‥‥‥
(約束、したんだ‥‥‥)
何の言葉も浮かばず、ただ俯いてしまったテイカ達の頭を優しく撫でて、小指と小指を結んで誓ってくれたのは、もうひと月以上前のことである。
『大丈夫。俺は、絶対に帰ってくる‥‥‥』
キユウとの約束を確認するように、約束を結んだ左手小指をギュッと握りしめた。
「‥‥‥なあ、テイカ。ちょっと‥‥‥」
物思いにふけっていたその時、隣に座っていたショウが、誰にも聞こえない様にコソッと耳打ちする。その声は、どこか緊張を孕んでいて、テイカは一気に現実に引き戻された。
「ショウ?どうしたんだ?」
公の場では、どんなにテイカとヒキが強請っても敬称と敬語を崩さないショウの、珍しい様子にテイカは思わず眉をしかめる。
不快だからではない。不穏な空気を感じたからだ。
「この馬車、おかしくないか?」
「‥‥‥え?」
ショウの言葉に、「何が?」と尋ねる前に、その違和感にいち早く気が付いたテイカがこっそりと窓から外を覗く。
「‥‥‥道が、違う?しかも、何か囲まれてる‥‥‥?」
確かに、身を包んでいるのは間違いなく皇国騎士団のひとつである黒曜の騎士団の制服だ。だがしかし、どの顔にも見覚えがないのだ。
ふと、皇王の元へ尋ねてきていた緑髪の騎士の一人が昨日話していたことが脳裏をよぎる。
『やはり、紫皇の騎士団の師団長が怪しいかと‥‥‥だからと言って、何の証拠もないのにこちらも手が出せなくて‥‥‥今、諜報部にも動いてもらっているところです』
『負担ばかりかけて、悪いね‥‥‥』
『いいえ。怪しいと判っているのに、何も出来なくて‥‥‥ただ、“影”は付けておきました。何かあれば直ぐに動けるよう、整えております。ですが、万全ではないので、出来れば皇子様方には外出を控えるよう、お願い出来ればと思っております』
『判った。守ることが最優先だ』
思い出して、血の気が引いた気がした。
実は、今日の医療部訪問は非公式‥‥‥いわゆる、お忍びなのだ。
どんなにお願いしても、父親は『大事ないから』の一点張り。母親も『今は、危険な状態なのです』と言って首を縦に振ってくれなかった。
気が動転していた‥‥‥どうしようもなく焦っていたのだ。
だからと言って、勝手な行動が赦されるわけがない。
だがしかし、テイカ、ヒキ、そしてショウの3人の頭の中は“心配”の一言で埋め尽くされていた。
『一目だけでも‥‥‥』
『ちょっと行って、さっと帰ってくれば‥‥‥』
『守られている、国で一番安心な首都で、何か起こるわけがない』
そんな慢心が、まさかこんなことに繋がるなんて‥‥‥
—— 誘拐‥‥‥
そんな文字がテイカの頭に浮かんだその時‥‥‥
(テイカ、この馬車‥‥‥向かっている方向が違う?)
思考回路にヒキの声が響く。
テイカとヒキ、そしてスイルの兄妹間のみに通用する能力で、第三者には通じない。いわゆる、テレパスだ。
(ああ、ごめん。俺が気付くべきだった。だから、父上は俺たちが出かけることを渋ってたんだ)
(それは、私とショウも同罪。今は、何が目的なのか‥‥‥どうするべきなのか、考えないと)
ヒキの“声”にテイカも段々と落ち着いてきた。フウと深呼吸をひとつすると、いつの間に目が覚めたのか、大きな瞳を零れ落ちんばかりに揺らしながら、それでも懸命に兄たちに迷惑を掛けまいと口を引き結んで涙を堪えているスイルに視線を移した。
(スイルも、聞こえるな?)
そんな心の声に、スイルは応えるようにひとつ大きく頷いた。同時に堪えていた涙がポロリと零れ落ちた。そんな幼い妹の姿に胸が痛む。
—— 俺がしっかりしていたら、スイルに恐い想いをさせずに済んだのに‥‥‥
しかし、反省はあとでいくらでも出来る。と思考を切り替えると、安心させるように勝気な笑みを浮かべた。
(スイル、大丈夫だ。心配ない‥‥‥“にいさま”がウソついたこと、あったか?)
そして、安心させるようにそう言えば、スイルはフルフルと首を横に振った。
(にいさまは、ウソは、つかない‥‥‥スイル、しんじる)
そんな幼い妹の言葉に、テイカとヒキは笑みを深める。
(じゃあ、絶対に大丈夫だから。もう少しだけ辛抱してくれ)
(大丈夫。絶対に何とかするからね?)
かわるがわるスイルに声をかければ、スイルはグッと涙を堪えてもう一度大きく頷いた。それを確認してから、テイカとヒキ、ショウは頭を突き合わせるように身を寄せる。
「あのな、いつも言ってる通り、俺にはテレパス通じないんだから、なるべく音にしてくれ」
これは、もう日常の会話だ。
テイカとヒキは、お互いのセカイに第三者を必要としていなかった。強いて言うのならば、そこに家族がいれば満足だったのだ。
だからこそ、“音”を伴う会話が必要なかった。する必要性を感じなかったのだ。それを全否定したのがショウだった。
『何にも言わないで、“判ってくれない”とか、そんなの勝手すぎる。俺は二人のことはもちろん、スイルのことだって大切だから、ちゃんと判りたいんだ!!だから、ちゃんと話せよッ!!』
と、大泣きしながらショウが叫んだことは、今となっては笑い話だ。
「悪い、スイルをなだめてた‥‥‥どうするかな」
テイカのそんな言葉に、ヒキとショウは「うーん」と唸る。
「早くしないと、この馬車の扉開けられたらおしまいだね」
ショウの言葉に、思わずテイカとヒキは溜息を吐く。
「怪しいのは、キユウのケガを知らせに来た、あの使用人だよね‥‥‥馬車の手配をしたのも、彼だったし」
ヒキの言葉に、テイカとショウはついさきほどのことを思い出していた。
『アヴァターラ様のお見舞いに‥‥‥ですか?畏まりました。直ぐに護衛隊と馬車の手配をいたします』
そう言って用意されたのが、いつもの乗り慣れた馬車だったのだ。だからこそ、何の疑いもなく乗り込んだのだが。
そして、怪しい人物が今わかったところで今はその怪しい馬車の中だ。
動く馬車はそれ自体が牢の役割を果たす。飛び降りない限り、そこから逃げられるはずがない。
—— そう、ふつうは逃げられないのだ
だが、しかし ——
「よし、決めた。ヒキ‥‥‥お前、スイル連れて“飛べ”」
「え、でもッ‥‥‥」
テイカの突然の提案にヒキは焦る。
空間転移‥‥‥秘匿とされている、テイカとヒキの御力だ。
特定の人物のところまで“飛ぶ”ことが出来るのだが、テイカはまだ一人でしか飛べない。
ヒキも、スイルを連れて“飛ぶ”ことがやっとの状態だ。
しかも長距離移動は幼い身体に大きな負担をかける。
それでなくても、秘匿とされている力だ。おいそれと使うことは禁じられているのだ。
「今使わなくて、いつ、使うんだよ」
「‥‥‥なるほど。テイカの考え、判ったよ」
察したらしいショウの声音にテイカが満足そうにニヤリと笑う。
「さすが、察しが良くて助かる」
とにかく、ここから一番近いところにいる“信頼できる誰か”の所に、ヒキがスイルを連れて“飛ぶ”。ここがどこなのか位置が確定できないため、誰のところに“飛ぶ”のかはランダムになってしまうが、“信頼できる”ということは、すなわち“御力という秘匿情報も知っている”ということだ。
「俺らは時間を稼ぐ」
テイカの言葉に応えるように、ショウが小さく詠唱する。
「マリス、封印解除」
呼応するように現れたのは、つややかな赤毛の猫だ。
「擬態、ヒキ」
短く命ずれば、その姿かたちはヒキそっくりに変身する。
それを横目にヒキが優しくスイルに言う。
「スイル、少し寒いかもしれないけど、ポンチョを脱ごうか」
暦の上ではもう春とはいえ、2月はまだ冬の名残で肌寒い。だが、スイルはヒキの言葉に素直に頷くと、白を基調としたピンクのファーがあしらわれているポンチョを脱いで「はい」と渡す。
それを擬態したマリスに渡すと、ヒキは真剣な面持ちで「兄を頼みます」と頭を下げた。
ふわりとマリスは微笑むとひとつ頷く。
「ヒキ、早く」
「わかった‥‥‥絶対に、助けを呼んでくるから」
そして、スイルを抱き締めた途端、ヒキとスイルはその場からかき消えた。
空いた席に、マリスが静かに腰を降ろすと、鞄をくるんだポンチョをスイルに見立てて膝枕をしている様に装う。
それを見ながら、テイカは不意に顔をしかめてぽつりと零した。
「‥‥‥これは、間違いなく皇族の俺たちを狙ってる。巻き込んでごめん‥‥‥」
珍しく弱気なテイカに、ショウは安心させるように笑みを浮かべる。
「何、言ってるんだよ。友だちだろ?それよりも、無事に帰ることだけを、今は考えよう」
そんなショウの言葉にテイカは改めて決意するように頷く。
外から響く車輪の音が、妙に不気味に感じる。
(いったい、何処に向かってるんだ‥‥‥)
テイカとショウを乗せた馬車の轍を、振りしきる雨が書き消していく。
薄暗い道を、何処へともなく進んでいった。
【覚書・それぞれの能力】
・テイカとヒキ、スイルの兄妹の間ではテレパスでの会話が可能。
・テイカは自分しか空間移動がまだできない。
・ヒキは、自分よりも小さな対象なら一緒に飛べる。
・空間移動の能力は“秘匿”
まさかの誘拐事件に発展。感想などお待ちしております☆