計画性
とあるアパートの一室。ソファに座っていた女は、インターフォンが鳴ると立ち上がり、ゆっくりと玄関に向かう。
「はい、いらっしゃい。わっ、お花? ふふっ、どうしたの?」
「はははっ、理由がないと彼女に花を贈っちゃダメかな? あ、ケーキもあるよ」
「ふふふ、ありがと。さ、入って」
「お邪魔します。あ、線香を上げてもいいかな。仏壇とかある?」
「あ、うん、ありがとう。でも大丈夫」
男は彼女の返事に対し、「そうか」と言い、優しく微笑んで、カーペットに座った。
「さてと、それでどう、元気?」
「うん。まあまあかな……あの子を失ったのは、やっぱり、つらいから……」
「そうか……」
「……でも」
「うん?」
「最近は、こう思うようになったの。あの事故は、あなたと出会うきっかけになったって……」
「そうか……」
「ふふっ、あなたったらあの時、救急隊員の人に『関係ない人は乗れません』って言われて『恋人です! 恋人なんです!』って、必死に言ってたよね。まだ付き合うどころか、お互い、名前も知らなかったのに」
「あ、あれはそう言わないと一緒に乗せてもらえないと思って……やっぱり、聴こえてたんだね。意識がないように見えていたけど」
「うん、まあ、朧気だけどね。でも、本当によかった。あの夜、あの道であなたが通りがかって、救急車を呼んでくれてなかったら、あたしもあの子みたいに、今頃……」
「いや、そんなことないよ。目立った外傷はなかったしさ。それに入院しなくて済んだじゃないか」
「うん、そうだけど……でも、すごく怖かったの。暗闇の中、沈んでいくような感覚がしてて……」
「そうか……」
「うん、だからありがとね」
「いや……それで、轢き逃げした車の特徴やナンバーは覚えているんだっけ?」
「うん。どうにかね……」
「そうか……ごめん」
「ん? あ、ううん、いいの。つらい話だけど、でも今はあなたがそばに――」
「あの車を運転していたのは……おれだったんだ。本当にごめん」
「え?」
「本当に悪いと思ってる」
「え? え? あの車って、あの事故の?」
「うん。君たちを轢いた後、車を急いでガレージに戻して、それで現場に戻って救急車を呼んだんだ。本当にすまないことをしたと思ってる。ごめん、おれを許してほしい」
「…………いや」
「そうだよな……でも、本当にごめん。許してくれ」
「いや、謝るタイミングが早すぎない?」
「え?」
「いや、それはもっとこう、あの事故で凍りついたあたしの心を溶かしてからじゃない? 罪悪感から付き合ったけど自分が犯人とは言えず、さらに罪悪感を募らせ、愛しているというたびに胸が痛んで、全部話してしまいたいけど、でもいつの間にか罪悪感からだけでなく本当に好きになっちゃってて、だからあたしに嫌われるのが怖くて言えずにいる期間を経ての罪の告白じゃないの!?」
「いや、おれも最初はそうしようかと思ったんだ。その方が君が許してくれる確率が上がるかなって」
「うん、そうよね」
「でも、ちょっと面倒くさいなと思って」
「は?」
「早めに許してもらいたい」
「はぁ!?」
「こっちだってしんどいんだよ」
「はぁぁ!?」
「いや、新車だったんだけど、ちょっと不具合があったみたいでさぁ、むしろ被害を犬だけに留めてよくやったなぁと」
「ふざけんじゃないわよ! あの子は家族よ! ペットじゃないの! 大事な家族!」
「あー、そういうタイプかぁ。ペットを家族だとか言っちゃう人。やっぱり合わないなぁ」
「やっぱり!?」
「犬の好みも合わないし。あれ、わざとブサイクに品種改良してるんだよね。流行ってんのかなぁ。前に、うちの近所でも見かけたし、写真でだけど」
「可愛いわよ!」
「あー、ちょっと君に似てるね」
「似てないわよ!」
「結果、大したケガじゃなかったくせに、いつまでもさぁ、そっちが擦ってんのかよって、ははは」
「いや、犬が死んでるのよ!」
「だいたい、あんな夜中にライトを持たずに散歩してる方も問題だよね。そもそもそっちがこっちに寄ってきてなかった? あの犬、君のこと嫌がってたでしょ。逃げようとしていた気がするなぁ。だから車道側に来て、ドーンとなっちゃったんだね」
「いや、もうボロボロと本性が……ほんと信じられない。あたしに対する愛とか罪悪感もないわけね」
「いや、罪悪感はあったよ……。それに葛藤もあった。胸が痛み、毎晩寝つきが悪かったんだ」
「眠れはするんだ。まあ、いいよ。続けて」
「このままでいいのだろうか」
「うんうん」
「彼女に正直に話すべきじゃないか」
「そうそう」
「今に警察が来て、捕まるんじゃないか」
「うん、まあ、うん?」
「君のことを愛してるんだ……。だから頼む! 被害届を出さないでくれ!」
「捕まりたくない方が熱量が大きいじゃないの! 絶対、あたしのこと愛してないでしょ!」
「そんなことないって! 本当にあれらりるって!」
「ろれつが回ってないのよ。はぁ……じゃあ、あたしと結婚してくれる? 結婚届を出してもいい?」
「いやぁ、それはちょっね、ほんともう、あああぁぁ……」
「じゃあ、被害届」
「それは、うぅ……」
「ちょっと結婚のほうが嫌そうじゃない」
「あー……やっぱあの時なぁ……」
「何よ。お父さんに車を買ってもらわなければよかったって? はいはい大変ね。御曹司さんは甘やかされてさ。自分にも甘いんじゃない? 車の不具合って言ってたけど、どうせただ運転に慣れてなかっただけでしょ」
「いや、そうじゃなくて……」
「え……? あ、嘘でしょ。まさか見捨てておけばよかったって……? そういえばさっき、ちょっとそんな雰囲気出してたよね」
「いや、口封じを……」
「なおのことじゃない! まさかそのために一緒に救急車に乗ったの!? いや、もう怖いわ!」
「でも愛してるのは本当なんだよ! ほら、あれしよう! ケッ、ケ、ケ、ケ、ケ、ケケ、ケッコ、ケ、ケ、ケ」
「嘘でも『結婚しよう』って言えないじゃないの! ちゃんと今ここで言いなさいよ! ほら、言え! あっ」
立ち上がり、男に詰め寄っていた彼女。その時、インターフォンが鳴り、二人は動きを止めた。
「誰か来た、え、まさか警察!?」
「何隠れてるのよ、もう……。あ、大家さん。どうしたんですか? あ、騒がしくしちゃいました?」
「ううん、そうじゃなくて、うーんとね、最近、ワンちゃんの鳴き声が聞こえるって苦情というかね、情報が入ってきてて。ほら、うちペット禁止じゃない? だからねぇ、ダメなんだけど、おたくじゃないかって、ああ一応確認をね。疑っているわけじゃないんだけど……」
「ええ、はい、もちろんです。うちは違いますよ。あはは」
「じゃあ、やっぱり、あれかなぁ、ほら、迷子のワンちゃん。この辺にいるのかしらねぇ。なんか盗まれたとかいう噂なんだけど、犯人が捨てたのかしらねぇ。無事だといいんだけどねぇ」
「ええ、ええ、きっと無事だと思います! はい、それじゃあ、はーい……ふぅ」
「あの」
「なに?」
「あの犬ってまさか君が……? でもなんで……ははは、あ、やっぱり君、あの晩、車の前に飛び出し――」