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懐かしい公園

作者: 時雨笠ミコト

  子供のころの記憶とは、あまりにも朧げなものである。

そして代えがたいと同時に、どこか掴みどころがない。

大抵の人には、名前を憶えていない記憶の中の子供がいると思う。

「友達の友達は自分の友達」理論で一緒に遊ぶという、大人から見ればアグレッシブ極まりない行動によって生まれるその存在。

「そこの子」「君」「〇〇君のお友達」。色々な呼び方があるものの、本名を覚えずとも楽しく遊べてしまった存在。或いは、時の経過とともに名前を忘れてしまった存在。

何故かその存在は、忘れてしまった感情を伴い、時折懐かしい場所にその影を落とすのだ。


 自己肯定感が最底辺をひた走っていた。

周りの人は優しい。職場の人も優しい。友達も優しい。家族も優しい。とても恵まれている、自覚はある。

でも、だからこそというべきだろうか。自己肯定感が上がらない。

私は決して器用ではない。物覚えが悪いから人一倍に迷惑をかけてしまう。

自分がやらかしてもフォローしてくれる。次があるさと慰めてくれる。無理は禁物だと諫めてくれる。周りが優しいからこそ、何故か異様に焦ってしまってどうしようもない。

取り敢えず体を動かしたいという欲求にかられ、足元を凝視して散歩をしながらため息を吐いた。

ふと視線を上げれば、公園が目に入った。

外で遊ぼうと言えばとりあえずここだった、幼少期の思い出の公園。

あまりに長い時間を過ごして、多分今でも目隠しで動けるほど体が覚えている。

時刻は夕暮れ。いつもなら公園前の道路を占拠してボールを蹴り、まだ遊べると時間ギリギリのチキンレースをしている子供の姿が、何の偶然か今日はない。

塗装が剥げ、オレンジから茶色のまだらに染まった錆びたブランコに腰を下ろす。

ぎゅぎ、と嫌な音が鳴った。しかし問題はないと知っている。

このブランコは私が子供のころから、誰かが座るたびに異論を呈するようにこの音を立てた。

しかし漕ぎ始めてしまえば静かになる、ちょっと気難しい職人なのだ。

彼は未だに現役で、二人乗りなんかも受け止める事が出来る。

きい、きい、と軽く地面を蹴った。子供の頃はブランコは取り合いで、自分の番が来た時の特別感たるや筆舌に尽くしがたいものだった。

子供の頃は良かったなあ、とぼんやり考えた瞬間に、声がした。

「ねえ」

 呼ばれたので、顔を上げる。

目の前には、小さな女の子がいた。

紙をふたつ結びにして、ワンピースを着た快活な雰囲気を持つ可愛らしい女の子。

何か返事をした方がいいのだろうか、と思って口を開いた瞬間に、女の子は口に人差し指を押し当てた。

喋るな、という事だろうか。最近の子は喋らずに遊ぶのが好きなのか。不思議な流行もあったものである。

示された通り黙っていると、女の子はてててっと此方に走り寄り、隣にあったもう一つのブランコをこぎ始めた。

ぎゅぎい、ぎゅぎいと中々にえげつない音を出していたブランコが徐々に静かになる。

女の子の方を見ると、楽しそうな目が視界に映った。

本当に、幸せそうに漕ぐものだと思う。まるで体全体で表現するように、本当に楽しそうに女の子はブランコを漕いでいた。

つられて私も地面を蹴る。

頬が風を受ける。自分の意志を無視して動く景色。浮遊する感覚。子供の頃だと絶対に自分では到達しえなかった、高い高い視点。

嗚呼憶えている。この特別感が好きだった。この万能感が好きだった。

なぜだろう、ブランコに乗るだけで宇宙に行ける気がしていたのだ。

星に手が届くと、夢も叶えられると。何でも出来る気がしていたのだ。

ブランコが生み出す風に乗って、不安も何もかも置き去りにして、振り落として、自分ひとつになる感覚。

それが、どうしようもないほど好きだった。

女の子が、ブランコを止めた。

次いで女の子が向かったのは、鉄棒だった。

楽しそうに遊ぶ彼女が好きで、なんとなく近くで見たくて、彼女の後ろについて行く。

すると彼女は、何度も何度も地面を蹴り上げる。蹴り上げて、そのまま落下を繰り返す。

何をしようとしているのかは私にもわかった。逆上がりだ。

私も出来なかった。出来なさ過ぎて泣いた記憶もある。

公園の中で一番嫌いだったのが鉄棒かもしれない。

いや、嫌いではなかった。ただできない事が悔しくて、出来る他の子が妬ましくて。それを認めるのが嫌だったのだと思う。

途中から鉄棒で遊ぼうと言われるたびに、開き直って両手両足で鉄棒にしがみつき「豚の丸焼き!」とネタにしていたものだ。

両手で鉄棒を握り、地面を蹴る。逆上がりをしようとしたが出来なかった。

自分と全く同じ挙動をした私を見て、女の子が楽しそうにけたけたと笑う。

昔一度だけ出来たのだ。同い年の逆上がりが得意な子にしつこいほど食い下がって教えてもらった。

最初嫌がっていたその子も、途中からは師匠という呼び名に味を占めてノリノリで教えてくれていたっけ。

少年漫画に影響されたのか、訳の分からない、彼曰く「修行」をさせられるのには辟易したけれど。

まあ、なんだかんだそのごっこ遊びのような修行も楽しかったんだと思う。

その一回きりだけれど、出来たときは二人揃ってぴょんぴょん兎みたいに跳ねて喜んだ。

今思えば、多分努力はそこで学んだんだと思う。

ふざけて「豚の丸焼き」を女の子に披露すると、泣きそうな顔から一転。楽しそうに笑ってくれた。

彼のように人に教えてあげることはできないけれど。どれだけ小さくても、私にもできることはある。

女の子が、鉄棒を手放した。

次に向かうのが何かは知っている。滑り台だ。

この公園には、ブランコ、鉄棒、滑り台の三つしかないから。

ついて歩けば、予想通り滑り台を登っていく。

同じく上って、まず女の子が滑っていくのを見送った。

暫く待ってから、私も滑り降りていく。

旧くて錆びた滑り台。手すりもチクチクと中途半端に剥がれた塗装が刺さるこれは、滑る面だけが研磨されてつるつるであった。

毎日毎日いろいろな子供が滑った結果がこれだ。

そのせいで必要な摩擦すらも失ってしまったのか、異様に爆速で滑る事が出来る滑り台だった。

早すぎて最初は怖かった。死んでしまうかもしれない、自分が自分じゃなくなるかもしれない。

そんなどこか行き過ぎた不安。それを拭ってくれたのは他ならぬ子供たち。

先駆者たちは目の前で滑って見せて、笑顔で終点で待っていてくれた。

両手を広げて、「大丈夫だよ、おいで」と呼んでくれた。

だから滑った。そしてその速さの虜になった。

楽しかった。本当に楽しかったのだ。

あっという間に終点にたどり着くと、女の子が待っていた。

両手を広げて、笑顔で私を終点で待っていた。

「楽しかった?」

 私はその問いに笑顔で答えた。女の子は満面の笑みを浮かべた。

時計を見る。びっくりするほどに時間は進んでいなかった。楽しい時間はあっという間とはよく言うが、今回は例外だったらしい。

どのみち、もう帰らなければいけない。腰を上げれば、今度は女の子が私の後ろをついてくる。

公園の入り口まで歩いた私に、女の子は聞いてきた。

「大丈夫?」

 何を聞かれたのか、分からなかった。怪我を心配されたのか、それとも最初の死んだような顔を心配されたのか。

どのみち大丈夫だ。怪我はしてないし、気持ち的にももう大丈夫。

「頑張る?」

 問われたので、頷いた。

すると女の子はぱあっと花が咲いたように笑って、手を振って言った。

「じゃあね」

 私はそれを背に、家路へと向かった。足取りは軽かった。

大丈夫、頑張れる。


次の日同じ場所を通りかかると、その公演は雑草にまみれていた。

ブランコの鎖は片方が切れ、椅子部分が地面についている。

鉄棒は錆でぼろぼろで、滑り台の滑る部分も、遠目で見て分かるほど錆びついていた。

何故忘れていたんだろうか。この公園は使われなさ過ぎてもう息をしていない。

整備する人間もおらず、今や公園前の交通量のほぼない道路が子供たちの遊び場だ。

なのにどうしてだろうか。公園の遊具たちは、今日は何故か誇らしげに見えた。

まるで、子供を独り立ちさせ送り出した親のように。

「また今度、整備に来るね」

 名も知らぬ子供に礼を述べ、公園に頭を下げて職場に向かう。

公園が思い出させてくれた、懐かしい感情。それがあれば頑張れる。

私は、一歩を踏み出した。


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