絶対違うやつ
この世界で生活していたら、そのうち足がムキムキになりそうだ。山道のやけに高い段を大股で一つ一つ乗り越えながら綾は思った。振り返ると、三伏がやや遅れている。
「大丈夫?三伏さん」
三伏は汗を拭いながら頷いた。しかし限界が近そうだ。綾は前を歩く伊吉に一度休憩をしないかと提案した。
「そうじゃな。わしも大分きついわい」
石の上に腰を下ろして水を飲む。三伏はうつむいて肩で息をしていた。息を整えながら途切れ途切れに言う。
「ごめ、なさい。急がなきゃ、いけないのに」
「急ぐ時ほど慎重にならねばいかん。お主が責任を感じることはないぞ」
「そうだよ。いざってときは三伏さんの力が必要だから、体力を温存しないと」
大喜もさわやかな笑顔で励ます。
「俺らと違って運動部じゃないのによくついて来てるよ。自信もっていい」
「......うん。ありがとう」
再び登り始める。噂の通り、今この山に寄り付く人はいないようだ。自分たち以外の人の姿を全く見ない。
誰も戻ってこなかったって、つまり死んでいるんだよな。
綾はいつ化け物が姿を現すかと気を張っていたが、意外にも山頂まですんなりとたどり着いた。
「あれって!」
木に光るものが一つなっている。しかしその傍に奇妙なものがあった。
「でかい、鳥の巣?」
大喜の言葉に全員が同意する。そうだ、あれは鳥の巣だ。しかし見たことが無いサイズだ。直径が子供用ビニールプールくらい。伊吉もあんなものは見たことが無いという。そうだよな、この世界の鳥が皆あのサイズ感だったら人類滅ぶわ。そろそろと近づいてみると、巣の中心に赤いフワフワしたものが見えた。
「ヒナ、か?でかくない?」
両腕で抱きしめられそうな大きさだ。体を震わせたヒナはぱっと顔を上げる。丸い目が侵入者を捉える。ぱかっとくちばしを開けたその瞬間。
「gyoeeeeaa!!」
耳をつんざく叫び声が発せられる。たまらず耳を塞ぐ綾たちの頭上に巨大な影が落ちた。
見上げると、巨大な翼と太陽を背にらんらんと光る猛禽の眼。嘴が大きく開き、こちらをついばもうとする。
「っ!!」
綾の光弾がぬらりとした舌先に叩きこまれ、三伏の起こした風が親鳥の体表を切りつける。親鳥は悲鳴をあげ、子を守るように降り立った。
「なんと!お主らは法士だったのか!」
「何それ俺も使える!?」
興奮する大喜に綾は大声で返す。
「自分の中にある力を感じるんだ!」
「いや分からん!」
離れてみると、それは巨大な赤鷲だった。至近距離で二人の攻撃をくらったというのに、致命傷にはなっていない。血を流しながら怒りのこもった目でこちらを見ている。
巣をのぞいたとき、一瞬だったが人骨らしきものが見えた。きっと帰らなかった人はこいつらに食われたのだ。
なんでこの世界、人間を食う奴が普通にいるんだよ!
怒りで恐怖をごまかして睨み返す。大鷲の後ろから体を出したヒナが、その小さな翼を広げて威嚇する。綾は親子を見比べて、一つ思うことがあった。三伏も何か言いたげな顔をしている。
うん、そうだよな。似てないよな。
親子の類似点は体毛の色くらいで、見た目は完全に別種だ。そしてヒナの姿はある鳥類に似ていた。
「ペンギンじゃん」
水族館でおなじみ、飛べない鳥だ。このヒナが成長してあの大鷲になる?むりむり絶対ない。
「それ本当にお前の子か?托卵されてない?」
綾の言葉を理解しているのかいないのか、大鷲は怒りをあらわに羽を広げた。
「来るぞ!」
全員身構え、羽ばたきが聞こえると同時に横に飛ぶ。びゅうっと風を切る音が耳元で聞こえてぞっとする。
「あっぶな。ロケット花火かよ......!」
大鷲がこちらに向き直る前にすかさず光弾と風の刃を打ち込む。だめだ、まだ浅い。
「うおっ!?」
大喜の声を聞いて思わず目を向ける。尻餅をついた大喜の足の間に、ヒナの嘴が突き刺さっていた。地面に深く刺さったそれを引き抜こうと翼をパタパタさせている。餌を待つだけの子供と思ったがとんでもない、しっかり俺たちを殺る能力がある。
「綾君!」
三伏に呼びかけられ、はっと前を見ると大鷲は既に突っ込む姿勢を取っている。
「やば......!」
間に合わない。衝突を覚悟した時。
「おい!お前の子供がピンチだぞ!」
嘴が抜けないヒナをホールドし、小刀を突き付けた大喜が叫んだ。
「お前最低!けどグッジョブ!」
大鷲が気を取られた隙に進路上から離れ、片目に向けて光弾を放った。
「gyaaaaa!!」
大鷲は絶叫して激しく身をよじる。
「悪いな。俺たちも死にたくないんだよ。三伏さん!」
同時に攻撃を叩きこむ。大鷲はその巨体を地面に沈ませた。
「gyoee......gyoee......」
「こいつどうする?」
ヒナを抑えながら、大喜は困った顔で皆を見る。
「人を食ってるわけだからな......見逃すわけにはいかないだろ」
しかしなんとも罪悪感がある。命の危機に瀕していないと、他の生き物を殺すのはためらいがあった。
「わしがやろう」
伊吉が小刀を受け取って、離れていなさいと言う。
「すみません......」
「子供たちに全て任せるなど、年長者として情けないからの」
光る桃を手に入れて、4人は下山した。
伊吉の家に戻ると、仙桃を汁一滴すら無駄にしないよう慎重に切り分けた。
「毒を中和するだけなら、そのまま食べても効果は十分じゃろう」
万病を治せるというのは誇張された表現で、難しい病を治すにはさらに手を加える必要がある。長年薬師をやってきた伊吉でも、仙桃を使った調合法は知らなかった。
苦しむ町人全てにいきわたり、綾と大喜は気が抜けて床に寝転がった。
「お主らのおかげで助かった。何か礼をせねば」
「いいですよそんな。そういえば、俺と三伏さんのことを法士って言いましたよね。なんですか法士って」
「お主らのような、法術を使う者のことじゃ。この辺りではなかなか見かけぬよ」
この魔法みたいな謎能力、法術って言うのか。
「なあ、それって俺も使えるはずだよな!教えてくれよ!」
「うぅーん。疲れてんだよ今ぁ。だいたい、教えるって言っても追い込まれて感覚で使えるようになったからな」
綾はぐいぐい来る大喜を押しやって、自分たちが最初に戦った化け物猿のことを話した。
「お前、そんな目に遭ってたのか。よく生きてたな」
「お前も死にそうになったら使えるんじゃね?いや、お前は鈍いからやっぱ無理かも」
「はー?綾が使えるなら俺だって使えます~」
「なんだと。俺が鈍いってことか?」
言い争う二人を横に、三伏は伊吉に話しかけた。
「あの、伊吉さん」
「ん?」
仙桃が少し残っている小鉢に目を向ける。
「それ、少しだけ分けていただくことって――」
ドンドンドンと扉を叩く音で会話は中断される。訪ねて来たのは子供を負ぶった母親だった。まだ患者がいたらしい。わずかに残った仙桃は、その子供の分で無くなった。
「ありがとうございます。何とお礼を言ったらいいか......都から来た医者ばかり頼って、あなたをないがしろにしてすみませんでした」
「構わんよ」
伊吉は気にした様子もなく、親子を見送って扉を閉める。薬を売って旅をしていた理由を、単に商売が成り立たないからと伊吉は言ったが、それ以外にも事情があったのかもしれない。
「三伏よ。さっき何か言いかけておったが」
「いえ、大したことじゃないんです。もう忘れてしまいました」
三伏は少し微笑んでそう返した。
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落ち着いてから町人に、最近変な格好をした者を見ていないか尋ねる。予想はしていたが情報は得られなかった。
「井戸に毒を入れた犯人も結局分からないし、また同じことが起こらないか心配だ」
「わしがここにいる間は、そんなことはさせぬよ」
汚染された井戸は埋めて、今後は町の外の川から水を汲むそうだ。生活に不便があるだろうが、誰も死人が出なかったのだから良いのだと伊吉は穏やかな表情で言った。
出立の前、大喜は伊吉から薬箱を譲り受けた。中には風邪や腹痛の薬、それから食料と旅に役立つ道具が入っている。
「いいのかよ。こんなに貰って」
「わしはもう旅に出ぬからな。これから向かう先じゃが、ここから北のほうに人の多い町がある。そこならお主らの仲間が見つかるかもしれん」
「ありがとうございます。そこに行ってみます」
「うむ。紹介状を書いたから、着いたら信楽庵という場所に行って見せなさい。手を貸してくれるはずじゃ」
「ほんと、何から何までありがとうございます!」
三伏も頭を下げて口を開く。
「お体に気をつけてくださいね」
「ほっほっほ。優しい子じゃな。この通りまだまだ現役じゃ」
伊吉は三伏の頭を撫で、綾と大喜の頭はわしゃわしゃと雑に撫でた。
「わっ!?なんだよ爺さん!」
「お主ら二人はちと頭が足りんからのう。心配じゃ」
「ははは!馬鹿は綾(大喜)だけだ(ですよ)!」
「それじゃ、お世話になりました」
「達者でな。また近くまで来たら顔を見せなさい」
町人たちと、唯一残ったという医者にも見送られて、3人は町を後にした。