また会いましょう
綾は生まれて初めて、本当の野宿をした。テントも寝袋もなく、布を敷いた地面に寝転がるだけだ。夜の間は左介と交代で見張りをした。ほとんど休めないまま、明け方に目を覚ます。
「もう少し寝ていても大丈夫ですよ」
「いえ......左介さんは眠くないんですか」
「私は慣れていますから」
2人の声で目が覚めてしまったのか、三伏が頭をふらふら揺らしながら起き上がる。
「ごめん、うるさかった?」
「ううん......」
左介は槍を持ったまま立ち上がる。
「私は狩りに行ってきますから、なにかあったら大声で呼んでください。といっても、心配は無用かもしれませんが」
「俺もついて行って良いですか。二度寝できそうになくて」
綾と左介は2人のいる場所からあまり離れないように注意しつつ、山の中で獲物を探す。
「昨日みたいな化け物猿はもういませんよね」
「カワハギ様のことですか。ご安心ください、今はもう安全な山に戻っているはずです」
あの化け物猿達は、元からここに住み着いていたわけではなく数十年前どこからかやってきたらしい。山に入ると死人が出るため仕事ができず、村はあっという間に貧しくなった。せめて村を襲わないようにと生贄を捧げるようになったのだ。
「誰かを犠牲にしなきゃいけないなんて嫌な話ですね」
「しかしもう無残に殺される者はいません。村も自然と前の形に戻って行くでしょう」
いた、と左介が声をひそめる。その視線の先を追えば、兎が一羽いた。
「弓を持ってくればよかったのですが」
「俺がやってみます」
綾は昨日と同じように手に力を集めて兎に向けた。光は兎の素早さを上回り、正確にヒットする。
「当たった!」
駆け寄ったが、兎を見て二人は苦い顔をした。威力が強すぎるのだ。これでは食べられる部位がない。兎に謝りながら土に埋める。次に見つけたのは鹿に似た生き物だ。ロバと混ざったような見た目をしているので、心の中で鹿ロバと名付けた。今度は佐助が槍を投げて仕留める。
「すっご!」
この世界の人間が全てこんな芸当ができるのか、それとも左介が特別なのかは分からなかった。鹿ロバを持って帰ると起きていた澄葉が手際よく解体する。綾は顔を引きつらせながらも目はそらさなかった。今からこの命をいただくからだ。ちらりと三伏を見ると、彼女は無表情なのは変わらないが悲しそうに見えた。
ぱちぱちと火がはじける。目の前には丸裸にされた逆さの鹿ロバがある。
俺、本当に異世界に来ちゃったんだな。
綾はごく普通の高校生だ。毎日生き物の命を奪って生きていると知識として知っていても、自分事と考えたことなどない。現実に手を下すことはゲームよりずっと生々しく、恐ろしい感覚だった。ここでやっていけるのだろうか。皆を見つけて、無事に帰れるのか。
「綾さん、どうぞ」
考え込んでいた綾ははっと顔を上げる。澄葉が葉っぱに包まれた肉を差し出していた。礼を言って受け取る。空腹の腹がぐうーっと鳴った。恐る恐る端にかじりつく。じゅわっと熱い肉汁が出た。
「美味い!」
さらに二口、三口。綾の反応を見て、三伏も口をつけた。目を丸くして、ばっと綾と目を合わせる。
「気持ち分かる!めっちゃ美味いよな!」
コクコク頷く三伏と綾のやり取りを見て、澄葉と左介は笑い合う。和やかな朝食だった。
山を下り、町まで向かう間綾はいくつか二人に質問をした。不思議そうな顔をしながらも、彼らは全てに答えてくれた。まず、綾たちが落とされたあの不思議な空だが、夜の内は海になり、朝になると元の世界と同じ普通の空に変わるようだ。そして化け物猿のような生き物は魔物と呼ばれ、強さに差はあれどあちこちに生息しているらしい。
「あんな奴らがたくさんいたら、襲われる人がたくさんいるんじゃないですか?」
「すべてが狂暴というわけではないのです。危険なものは人里離れた場所でひっそり生きていることがほとんどですし。彼らを退治することを生業にしている者もいると聞いたことがあります」
「私はてっきり、あなた方がそうなのではないかと思ったのですが、違うのですか」
「違います違います。俺たちは普通の学生ですよ」
学生はこの世界でも通用する言葉のようで、左介と澄葉は驚いた顔をした。
「もしや都からいらしたのですか」
「いや、違います。ここからずっと遠い所からというか......都には学生が多いんですか?」
「もちろんです。国一番の学問所がありますから」
都を目指しつつ、クラスメイトを探すのがいいかもな。
「都はここから遠いですか?」
「ええ。かなり遠いですよ。ここからずっと南東にいった先にあります。徒歩ではひと月以上かかるでしょう」
「うわぁ。なにか馬車とか利用しながら向かった方が良いな。といっても俺たちお金無いけど」
すると彼ははっとした顔をして懐を探る。
「お渡しするのを忘れていました。これを。気持ちばかりのものですが、お受け取り下さい」
左介は巾着を渡した。じゃらりと中の物が擦れ合って音が鳴る。
「えっいいんですか」
「これだけのお礼しかできず、申し訳ありません。いつか必ずご恩を返します」
2人は額の少なさを気にしているが、なんてったってこちらは無一文だ。ありがたくお金を受け取る。
「あ、一つお願いがあるんですが......お金の使い方を教えていただけませんか」
「はい?」
真剣な表情だった二人は、ぽかんと口を開けた。
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無事町に着いたが、綾と三伏は本日何十回目かになる言葉を二人からかけられていた。
「危ない人について行ったらいけませんからね。人を見たら泥棒と思うんですよ」
「ああ心配だ。誰か町に知り合いがいればよかったんだが」
貨幣価値を教わってから、ずっとこんな調子だ。確かに買い物をしたことがない子供が二人旅をしているとなれば、心配になるのは当然だが。
「大丈夫ですよ!しっかり覚えましたし、小さな子供じゃないんですから」
「危ない人の見分けはつきます。安心してください」
「心配だ......」
「攫われてしまったらどうしましょう。このまま別れて大丈夫かしら」
まるで年の近い親戚夫婦だ。彼らに甘えて一緒に旅をしてもらう選択肢もあった。サバイバル知識など持っていないし、大人が居た方が安全だ。しかし綾は2人の背を押して前を向かせた。
「俺たちは俺たちで何とかやります。まずは自分たちの幸せを考えてください」
「綾さん......」
「心配してもらっているのに生意気言ってすみません。俺が半人前の子供だってことも分かってます。でも!」
三伏の手を取ってまっすぐな目で言う。
「二人いますから。力を合わせれば何とかなります」
澄葉と左介はふっと微笑んだ。
「そうですね。あなた方は凄い力を持っているんですもの。きっと大丈夫だわ」
左介の大きな手がぽんと綾と三伏の肩に置かれる。彼は自分の家族を見るような目をしていた。
「また会いましょう。どうかお元気で」
遠ざかっていく二人の背が完全に見えなくなると、少し寂しいような気持ちになった。それをごまかすために明るい口調で言う。
「よし、皆を探そう。一人くらいは見つかればいいんだけ、ど......」
言いながら自分が勢いで三伏の手を取ったままであることに気づく。慌てて手を離して謝ると、彼女は顔を赤くしてそっぽ向いた。
「べつに、気にしてない」
あー!何してんだ俺!絶対引かれた!
今になって顔が熱くなってきた。頬をぐいと右手でぬぐい、ぎこちなく言う。
「あー、探す前に一つ相談なんだけど、銭湯行かない?」
この世界にも銭湯があって良かった。見知らぬ文字があふれる時代劇のセットのような町の中で、この場所を見つけ出した自分を褒めてやりたい。湯に肩まで浸かり、満足のため息をつく。現代っ子にとって、風呂に一日でも入らないことは耐えがたいのだ。ましてや冷や汗をかきまくった死闘の後だ。洗い流してさっぱりしたかった。
脱衣所で着替えながら、すんと自分の服の袖をかぐ。服も替えたいところだが、困ったことに着物の着方を知らない。この問題をどうするか考えなければ。
脱衣所を出ると、少しして三伏も出て来た。白い肌にほんのりと血の色がさしている。先程のことを気にしたそぶりはない。綾も自然な態度で言う。
「それじゃ行こうか。と言っても俺全員の顔覚えてないんだよなー」
「私も自信ない」
「初日だったしな。大喜がいれば楽になるんだけど。あいつ交友関係やたら広いから」
銭湯を出ると、聞き覚えのある声がした。
「薬~薬~出来立てほやほやの薬だよー」
「何じゃその売り方は」
「いてっ。だって薬の売り方とか分かんねえし」
頭を小突かれている男に、綾は呼びかける。
「大喜!」
「え?おお!綾!」
それは親友の大喜だった。喜びを全身で表して、大喜と綾はひしと抱き合う。
「何やっとるんじゃ男同士で」
三伏の目も心なしか冷たい気がした。