俺たち何もやってないって!
高校二年に進級したばかりの春、桜の絨毯を歩きながら綾は決意する。
今年こそは彼女をつくるぞ!寂しい学校生活なんて送ってたまるか!
クラス分けの結果が貼り出されたボードを見上げていると、見知った顔が隣に立った。
「よっ、何組だった?」
「3組だ。お前と一緒」
「えー?またかよ~」
彼は親友の大喜だ。人付き合いが得意で、羨ましいことに女子からよく話しかけられている。二年でもこいつと一緒かと思う反面、少し安心する。友人ゼロはしんどすぎるからな。
教室に向かい、黒板に貼りだされている席に向かう。教室の窓側後方で、前の席が大喜だ。隣の椅子が引かれる音を聞き、横を向く。
腰を下ろしたのは、透き通るような白い肌の女子だった。桜の木を背景に、彼女は少し眠たげな目で前を見ている。それは一枚の絵画のようだった。窓の隙間から入ってきた花びらが頬を撫でる。
見惚れていると、彼女の大きな目がこちらを向いた。はっとして綾は前に向き直る。心臓が一呼吸遅れてバクバク鳴り出した。幸い大喜はそんな綾を見ておらず、からかわれることはなかった。
この子と一年間同じクラスなのか。最高かよ。
クラスメイトが全員揃い、教室は一気に賑やかになる。生徒たちは近場の席の友人と話しながら担任の教師を待っていた。突然、勢いよくドアが開け放たれる。
「おはよう童ども!」
現れたのは一見地味だが高価そうな着物をまとった幼女だった。植物の模様が薄い羽織に透けて美しい。髪紐に付いた鈴が身動きするたびに澄んだ音を立てた。下駄を鳴らし、よいせと段差を乗り越えて黒板の前に立つ。
「驚いたな。こんな若い先生がうちの学校にいたなんて」
「馬鹿、何かのドッキリだろ」
小声で大喜にツッコミをいれて、他の生徒と同じように隠しカメラを探す。何人かはスマホを構えている。
「わしは神じゃ」
ほう、そういう設定か。どこの劇団の子を連れて来たのか、幼女に恥じらいは一切見られない。自分が神であると信じている態度で断言した。一人の男子が手を挙げて尋ねる。
「神だって証明できますかー?」
「証明じゃと?愚かものめ」
幼女はすっと目を細め、その男子を指さした。
「細田 良之助」
「良之助って名前なんだ。ちょっと意外」
「時代劇に出てくる名前みたい」
女子のひそひそ話す声を聞いて細田は顔を赤くした。確かにチャラそうなルックスからは想像できない名前だ。
「ちょっ!フルネームで呼ばないで!」
「お前の罪を述べよう。お前は三日前の夕刻、わしの神社に無断で忍び込み、いたるところに落書きをしたな」
驚きと非難の目が細田に向けられる。
「いや、だって取り壊し予定だしいいだろ!それに落書きじゃなくてグラフィティアート!」
「何がぐらふぃてぃか!落書きをした上、反省もせぬとはけしからん!」
そうだそうだ!と生徒たちは乗っかってはやし立てる。
「天罰を受けよ!この場の全員、連帯責任じゃ!」
「えっ」
窓の外の景色が一変する。春の風景は真っ黒に塗りつぶされ、暗幕を下ろしたかのように教室が真っ暗になる。アトラクションを体験しているような興奮と、パニックがごちゃ混ぜになって騒然とする。綾は声を張り上げて前にいるであろう大喜に言う。
「大喜!これおかしくないか!?ドッキリでここまでするかよ!」
「いや大金使ったプロの仕事ならあるいは!」
「こんな普通の高校のクラスのためにか!?」
ばこんっと何の前触れもなく窓側の壁が吹っ飛んだ。そのおかげで教室に青白い外光が入って来たが、全員そんなことより目の前の光景に釘付けだった。海だ。海が見える。海の中にはきらきらと輝く無数の光があり、それが真っ暗な空の下であっても海を透明に見せていた。
「何だよこれ......!」
唖然としていた綾は、細田があげた声で我に返った。
「離せ!やめろぉ!」
彼は幼女に首根っこを掴まれてこちらに引きずられてくる。海のすぐ横まで引きずって来ると、幼女はクラス全体に言い放った。
「連帯責任といえどわしも鬼ではない。罪を償う機会を与えよう。この世界には悪行をなす5体の怪物と1柱の神がいる。彼らを倒せ」
「あ」
ぽいっと細田が海へ投げ捨てられる。
「良之助ぇ!!」
「冗談じゃねえ!俺たちは何もやってねえよ!」
一人が逃げ出そうと廊下に繋がるドアを開ける。その途端、廊下から大量の水が教室内に押し寄せる。水は悲鳴を飲み込み、無慈悲に人間たちを海へ押し流していった。
****
綾はふっと意識を取り戻した。固い地面で寝ていたために頭が痛い。
ここはどこだ。
仰向けのまま見る夜空は、まるで水面のように揺らめいている。あそこから落ちて来たのか。なんとなくそう理解した。まだぼんやりしている綾の視界に、隣の席の美少女が映った。がばっと起き上がる。
「大丈夫!?」
「綾君......?」
「起き上がれそう?」
彼女は頷いて立ち上がる。ここは山の中のようだ。月の光のおかげで近くの物は見えるが、少し先は暗闇に包まれている。何かが潜んでいても気づかないだろう。ねえ、と隣の女子が声を発する。
「ここ、なんだか嫌な感じがする」
「そうだね。夜の山は危険だって言うし、早く他の人を探そう」
歩きながら尋ねる。
「とりあえず名前聞いても良い?俺は笹木 綾」
「私は三伏 琳」
「よろしく三伏さん」
三伏は頷いた。なんだかそっけない。仕方ないか、こんなわけ分からない状況だし。
辺りは不気味なほど静かだ。野生動物や虫の声もしない。一人じゃなくて良かった。綾が密かに安堵していると、暗闇にぼうっと浮かぶ光が見えた。それは列になって続いている。
「人だ!近づいてみよう!」
山を下って光に近づいて行く。思った通りそれは人の集団だった。列になってどこかに向かっている。皆着物を着ていて、お神輿を担いでいる人もいるようだ。お祭りか?それにしては賑やかさがないが。二人は木の陰に隠れて様子を伺った。
「どうする、声かけてみる?」
「だめ。もう少し様子を見たほうがいい」
一定の距離を取りながら、こそこそ後をつけていく。しばらく歩き、集団は何もない殺風景な場所で止まった。こんなところで?さらにおかしいことに、お神輿を置いたまま来た道を帰ってしまった。
「一応、確認しておく?あのお神輿」
近づいてぺらっと出入口らしき布をめくりあげると、細い足が見えた。
「うわっ!?」
「落ち着いて。人だから」
呆れの混じった声で三伏に言われ、再びのぞくと中にいたのは着物を着た小柄な女性だった。手足を縛られて眠っている。肩を軽く揺すると目を開けた。
「あっ、あなた方は?村の者はどうしたのですか」
「さっきあなたを置いて帰りましたけど。どうしてこんな目に遭っているんですか?」
縄をほどきながら尋ねると、女性は顔を青くして切羽詰まった様子で言う。
「今すぐここを離れてください。じきにカワハギ様がいらっしゃいます。その前に早く」
何その物騒な名前。
獣臭いにおいが風に乗ってきた。がさがさがさがさと草の擦れる音がする。それは3人を取り囲むように四方から聞こえた。ああ、と女性が声を漏らす。
「何かいる」
それらは、暗闇からのっそりと姿を現した。一言で表すなら、猿だ。だが人間に似た部分など全く感じられない。耳まで避けたでかい口と、ぎょろッとした目、マウンテンゴリラほどの体格。もはや猿のような化け物と言った方が正しい。それが4体いるのだ。
「やばいやばいやばいって」
女性が前へ歩み出でて震える声を必死に張って言う。
「此度の贄は私一人です。この方々は関わりありません」
とっさに女性を引き寄せた。ぶうんと今さっきまで女性が立っていた場所に巨大な手がかすめる。あんなの当たったら骨折じゃ済まない。腰が抜けた女性をかばうように、綾と三伏は前に立つ。
「この人抱えて逃げれると思う?」
「無理。囲まれてるし、運よく抜けられても追い付かれる」
「だよなー......」
化け物猿たちはじりじりと包囲を狭めてくる。どうする、どうすればいい。彼女がいないまま死にたくない!
一体が焦れて突っ込んでくる。綾は両腕を広げて二人を庇う。
ああ終わりだ。悔いしかない人生だった。
しかし綾は死ぬことはなかった。目がくらむような光が迸り、手のひらに全身の血が集まるような感覚を覚えた。見ると先程まで自分たちを追い詰めていた猿たちが、光を恐れるように後退していくではないか。感覚的にその力を目の前の猿に向ける。
「これでも食ってろ!!」
闇を払う2つの光が、交差しながら目に留まらぬ速さでぶち当たる。猿は濁った鳴き声をあげて地面に倒れた。
「三伏さん!力だ、力を感じるんだ!」
三伏は戸惑いながらも祈るように手を組む。その瞬間、三伏を中心に風が巻き起こる。一体の猿に向けて手をかざすと、風の刃が猿を切り裂く。残る2体は倒れた仲間を置いて逃げ出そうとする。
「三伏さん!」
三伏と綾は頷き合い、同時にその力を行使した。
3人は恐る恐る倒れた猿へと近づく。
「死んでいるんだよな?うわぁグロ......」
自分がやったことだが、思わず顔を背けようとしたときだ。猿の死体がほのかに発光した。そしてひとかけらの光る塊が抜け出て、空に昇って行く。
「何だこれ......綺麗だ」
「凄い......」
見上げると空には無数の星がきらめいている。4つの微かな光がそこに帰って行く。
「生き物はみな、死ぬと星になるのです。命の輝きだから美しいのですよ」
女性は微笑んでそう教えてくれた。
「命を助けてくださってありがとうございます。あなた方のおかげで、私はこの先の人生を考えることができそうです」
綾は照れて頬をかく。
「いや、俺たちも必死でしたから」
「いいえ、本当に感謝してもしきれません。よければお名前を――」
「澄葉!」
息を切らして走ってきたのは槍を持った若い男性だ。彼の声を聞いて、女性はぱっと振り向いて駆け出す。二人は互いをきつく抱きしめ合った。澄葉、左介さんと互いの名前を何度も呼び合う。キスし始めたあたりで綾と三伏は目を逸らした。
「しばらく二人きりにしよう」
三伏はこくんと顔を赤くして頷いた。
離れた場所で星を見ていると、恥ずかしそうな様子で二人が来た。
「すみません。気持ちがあふれてしまって」
「気を遣わせてしまってすまない」
「いえ。大丈夫です」
綾は彼らに、自分たちのような変わった格好の人を見ていないか尋ねた。しかし残念ながら綾と三伏が初めてだという。仕方ない、地道に探して合流するしかないだろう。
澄葉と左介はこれから旅をして住み心地のいい場所を探すつもりだと語った。生贄を捧げる対象が居なくなったとはいえ、村に戻ることはできないからだ。
「あなた方はこれからどうなさるのですか?」
「俺たちは仲間を探してあちこち行ってみようと思います。土地勘が無いのであてずっぽうで探すしかないんですけど」
「では近くの町までご案内しましょう」
左介の申し出をありがたく受け入れ、ひとまずの目的地が決定した。