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この日に思う事

作者: 海溝バケツ

短編なので気軽に評価、感想をしていただけると嬉しいです。




3月11日。


「ただの1年の中の日付の1つ」という意味を超えた意味を持ってしまった日付。



1998年生まれの僕は小学6年生のときに、あの出来事を迎えた。

僕達世代にとっては良くも悪くも自分たちの価値観をガラッと変化させられた出来事だったと思う。



ずっと続くと思っていた日常の脆さ。

そして、社会の持つ“良心”のようなものを肌で感じた。



支援金。寄付金。支援物資。ボランティア。

人間の持つ社会性、社会志向、助け合う、手を差し伸べる姿勢。「いま、為すべきこと」として選択する行為。



触発された僕も中学生ながらにボランティアに行こうと考えたくらいだった。

この頃の僕は、この時の大人たちの姿への感動を愛国心に結びつける程に未熟だったし、それに代わる観念も持ち合わせてはいなかった。



今は、あのとき見たものが社会の持つ“良心”だったのではないかと考えている。



とはいえ、今の僕は23歳。

まだまだ若造だし、相変わらず未熟なまま。

それが正しいとは思わないし、11年経ってから書くべきことではないかもしれない。


その上で、若造なりに現状を憂いてしまう。

今の日本社会に、“良心”は残っているのか、と。



現在は「個人の時代」。

自身だけの、もしくは、自分の身内のためだけの欲望の発露が、受け入れられている時代。


見栄や嫉妬。金銭欲に過剰な自己愛。

ここ2,3年、そういったものに空気が支配されているように感じるようになった。



一方で、社会や組織に拘束されることを嫌うのはデフォルトになりつつある。

僕自身もそういったものを苦手に思うし、愛国心や同調圧力、“キチンとした”社会生活などというものには冷めた視線を隠さない。



それでも、その潮流の中で人間としての“良心”すらも覆い隠され、忘れ去られてしまうのは、嫌だな、と。そう思う。




「困っている人への献身は、誰かのための貢献は、美しい。」という価値観が失われるのは、人としての損失だし、とても怖いことだ、と2022年の3月11日を過ごして思った。




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