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ザムダの軌跡

自称お姫様を拾いました

※長編「魔女見習いと影の獣」のスピンオフ作品ですが、単体でもさらっと読めると思います。

「ヒルデガルト・バルテリング=ローデヴェイクです」

「ひる……ヒルデでいい?」

「……構いません」

「うん。──本題だけど」


 四方八方から鳥が囀り、朝から大合唱を演じている騒がしい森。美しい羽や珍しい草花を見付けることはあれど、木の上から降りれなくなっている少女を見付けたのは初めてだった。

 毅然とした顔に隠し切れない羞恥を滲ませて、十代半ばの少女──ヒルデは悶々と視線を泳がせている。

 その両手でしっかりと太い幹に掴まりながら、少々心許ない枝に尻を乗せて。揃えた両脚は限界まで折り畳まれ、小刻みに震えていた。


「……何で登ったの?」

「こ、ここしか隠れられる場所がなかったのです、きゃあ⁉」


 ばさばさと鳥が頭上を掠め、ヒルデが悲鳴を上げる。口振りからして自分で木に登ったようだが、降りる勇気が出ないと言ったところか。不思議な人もいたものだ。

 とくに急いでいるわけでもなし、仕方なく荷物を足元に置いた少年は、青褪めている少女へ声を掛けた。


「降りて良いよ」

「えっ、で、ですが高くて」

「手伝う」


 少年はゆるく結った自身の黒髪を手に取ると、ナイフで少しだけ切り落とす。


「大地を巡る導きの翠風よ、かの者の羽となれ」


 はらりと髪の毛を宙にばらまけば、生じた淡い緑色の光がそれをパクリと飲み込んだ。

 不思議な光景にヒルデが目を奪われていることなど露知らず、少年は「ほら」と両手を広げる。


「ほらって……飛び降りろと言うのですか……?」

「うん」

「む、無理です、お兄様もいないのに──あっ⁉」


 そのとき、少女の決断を待たずに枝が音を上げた。折れた枝葉と共に落下するかと思われた少女の体は、しかし地面へ触れることはなく。

 まるでやわらかいクッションに包まれたかのように、ふわりと彼女は宙に浮いた。

 目を見開いたまま硬直しているヒルデを眺めた少年は、胸元で握り締めている彼女の両手をそっと掬う。


「足」

「はい」

「出して」

「はい」


 ヒルデは何度も返事をしながら、折り曲げていた両足を恐る恐る伸ばし、ゆっくりと地面に立つ。

 彼女の周りをくるくると漂っていた翠風は、役目を終えるなり何処かへと消えてしまった。

 両手を繋いだまま暫し固まっていたヒルデは、やがてハッと我に返っては恥ずかしげに後ずさる。


「あ、ありがとうございます。もしや、精霊術師の方ですか……?」

「そうだよ。お兄様って?」

「何でもありません、忘れてください」


 そう言って咳払いをするヒルデの耳は赤かった。膝丈のスカートに纏わりついた砂や葉っぱを払い落とす姿を眺め、少年は「それで」と問いを口にする。


「ヒルデの名前、ローデヴェイクのお姫様と同じだね」

「……え、ええ」

「確か第……第四王女ぐらい? 末っ子の」


 脛をすっぽりと覆うブーツで地を叩くと、小さな枝が落ちた。ヒルデはそこで逡巡を見せ、腰のベルトに携えた細剣(レイピア)の向きを調整しつつ頷く。


「その王女で間違いありません。エルヴァスティの都に赴く途中で、その、怪しい者たちに襲われて……護衛ともはぐれてしまったのです」

「お姫様って木登りするんだ」

「し、仕方なく登っただけです!」


 ここエルヴァスティ王国から海を隔てて、大陸東端に浮かぶ島国ローデヴェイクの第四王女。歳は十四かそこらで、姫にしては珍しく剣術の才に恵まれた人物だと聞く。その情報だけなら少女にも十分当てはまるが──聞いてみたところ、身分を証明できるものは持っていなかった。

 本当に王族かどうかは置いておいて、少年は取り敢えずヒルデを森の外へ連れて行くことを決めたのだった。


「助けていただけるのですか?」

「僕の用事も手伝ってね」

「は、はい……!」


 ▼▼▼


「あの、用事というのは……」


 移動を始めてしばらく後、両手でそっと花を摘みながらヒルデが問う。皮膚がかぶれぬよう予備の手袋を嵌めさせたが、大きさは丁度良かったらしい。

 受け取った花を布に包んで鞄へ入れると、少年は木の根っこと土の境目に生えている赤いキノコの傘を捲る。そこに付着した粉末を擦り落とし、小瓶に入れた。


「調合に必要な材料集め」

「お薬のですか?」

「うん。その花は別に使わないんだけど」

「はい?」


 何のために摘ませたのかと困惑するヒルデを視界の隅に映しながら、ある程度の採集を終えた少年はのんびりと立ち上がる。


「これぐらいで良いや。外出よっか」

「ええ──」


 ヒルデが釣られて立ち上がったとき、彼女のお腹が小さく鳴った。音を抑え込むかのように勢いよく蹲った彼女を見下ろし、少年は目を瞬かせ。


「お腹空いた?」

「…………そ、そのようです……」


 滑り落ちる薄紅の髪の隙間、じわりと赤らむ首筋。羞恥をやり過ごすように視線を逸らすヒルデに、少年は小首をかしげた。


「可愛いね、ヒルデ」

「え」

「いちいち赤くなって」


 こちらを唖然と仰いだヒルデは、ぽかんと口を開けたまま次第に赤面していく。


「なっ……わ、私、あなたより歳上だと思うのだけど!?」

「うん、それが?」

「お兄様に言われるならまだしも、か、かかか可愛いなんて子供扱い──んむぅ」


 何が気に食わないのだろう。ぷんぷん怒るヒルデを不思議に思いながら、その口に携帯食の干し肉を突っ込む。

 不服そうだが大人しく咀嚼する姿を横目に、少年も干し肉をひとかじり。周囲をサッと一瞥しては、不意に聞こえた物音に眉をひそめる。


「──こんなところにいやがったか、王女様」

「⁉」


 枝を踏み折り、茂みを掻き分けて現れたのは、その手に武器を携えた屈強な男たちだった。

 ごくりと干し肉を飲み込んだヒルデが、恐怖を宿した手つきで細剣を握る。


「あ、あの者たちです、馬車を襲ったのは……!」

「そうなんだ」


 呑気な相槌を打った少年は、怯えるヒルデの手を掴んではひょいと背後に引っ張った。彼女が意外そうに目を丸くするのと同時に、武装した集団がにわかに嘲笑する。


「坊主、悪いこたぁ言わねぇ。そこのお嬢ちゃんを渡しな。ちょいと用事があるんだよ」

「何の?」


 物怖じせずに率直な疑問をぶつけると、彼らはちらりと目配せをして笑った。


「何、おうちに帰すだけさ。ここから真っ直ぐローデヴェイクまでな」

「なっ……どういうことです、私は王都に向かわねばなりません。どうして邪魔立てするのですか!」

「ヒルデは何で王都に行くの?」


 くるりとヒルデの方を向いて尋ねれば、「このタイミングで聞く?」とばかりに彼女が目を剥く。

 しかし少年の凪いだ瞳を向けられて冷静さを取り戻したのか、物騒な集団を一瞥してからこそっと教えてくれた。


「エルヴァスティの貴族と婚約が決まったのです。まだお会いしたこともない方ですから、今回初めて顔合わせを……だから約束の日付までには王都に行かなくては」

「ふぅん」


 詰まるところ──ローデヴェイクの王女たるヒルデの婚約を良く思っていない輩が、彼女の旅程を狂わせて縁談をぶち壊そうと企てている、といったところだろう。

 このままエルヴァスティの王都に到着できなければ、ヒルデが縁談を拒絶したと思われかねない。王女の行動はローデヴェイク王室の意思に結び付けられるため、今後の親交にも影響が出る可能性が高い。

 なるほど、彼らはヒルデを暫くどこかに軟禁し、顔合わせの日が過ぎてからローデヴェイクに帰すよう命令されたのだろう。どこぞのお高い身分の人間から。


「そっか、分かった。じゃあおじさんたち、もう帰っていいよ」

「あん?」


 ヒルデの細剣を鞘に納めさせ、少年はあくび混じりに告げる。


「僕がその話を聞いた時点で計画失敗だから。おじさんたちも報酬貰えないと思う」

「気でも触れたかクソガキ。おい、さっさと終わらせるぞ」


 鉄の武器が陽を反射して鈍く光る。にじり寄る歩調には子供への侮りが如実に表れ、少年をいたぶろうという魂胆が丸分かりだった。

 そのとき、後ろにいたはずのヒルデが間に割り込み、庇うように両手を広げる。


「お、お止めなさい! 彼は関係ありません、私を連れていけば済む話でしょうっ」

「ヒルデ」


 この少女は元来、正義感の強い性格なのかもしれない。王族としての矜持とでも呼ぶべきか、震える肩には既にその類いの重荷が乗っているように見えた。

 少年はそんな若き姫の後ろ姿を眺め、無言で近付き。


「私だって王族の端くれ、無辜の民が虐げられる様を黙って見過ごすことなど──ひゃう⁉」


 がら空きの脇から腹部に両腕を回して、ぎゅうっと抱き締めてしまった。


 真っ赤になって硬直するヒルデと同様、今にも彼女を拘束しようとしていた男たちもポカンと口を開ける。

 そんな中で少年はヒルデを抱き締めたまま、彼女の肩に顎を乗せつつ息を吐き出した。



「──僕も()()()が連れ去られるところは見過ごせないよ。ヒルデ」



「え?」


 スッと赤みの引いた顔でヒルデが振り返れば、その訝しむ眼差しから少年はしれっと逃れて呪文を口にする。


「大地を巡る導きの翠風よ、森を踏み荒らせし愚者を追放せよ」


 刹那、吹き荒れた強風と大量の木の葉によって、悪漢は悲鳴と共に呆気なく森の外へと追い出され──。


 ▼▼▼


 むすっと剥れたヒルデの向かい側、ふかふかのソファに腰掛ける黒髪の少年。彼の視線は侍女の手によって注がれる紅茶に集中しており、ヒルデの不機嫌に気付く兆しはない。

 ようやく彼がそちらを見たのは、応接室から人がいなくなった頃だった。


「なに、ヒルデ」

「何──ではありません! あ、あなたが婚約者のリュカ・フルメヴァーラだったなんて! 何故すぐに教えてくださらなかったのですか⁉」


 途端に声を張ったヒルデに驚き、少年──フルメヴァーラ公爵家のリュカは目をぱちくりと開く。

 そのまま静かに紅茶を飲んだ彼は、ゆっくりと頭を斜めに傾けて尋ねた。


「言ったらすぐ信じた?」

「えっ」

「僕はヒルデが本物のお姫様だと断定するのに、ちょっと時間がかかったよ」


 主に王女が木登りをしたという点で。リュカの言葉にヒルデがまた恥ずかしそうに顔を赤くした。こういうところも王族らしくなく、素朴な少女といった印象が拭えなかったのだが。

 リュカは森で見た彼女の後姿を再び思い浮かべると、ほんの少しだけ目許を和らげた。


「でも、この人が婚約者なら楽しそうだなと思った。そうだと良いなって」

「た、楽しそう……? リュカ殿は……このお話にあまり乗り気ではないと伺いましたが」

「うん。ユスティーナ様が持ってきた話だから、取り敢えず会うだけ会うつもりだった。予定と違ったけど」


 養母に言われるがまま、予定通りエルヴァスティ王宮でヒルデと会っていたとして、ここまで彼女自身に興味を惹かれたか分からない。大人に囲まれて畏まる姿ではなく、ありのままの彼女を見れたのは良い機会だった。干し肉をもさもさ食べる姿は特に。

 リュカは話もそこそこに立ち上がると、困惑気味な婚約者の手を掬って引き寄せる。


「相手が十三の子どもって聞いてなかった?」

「……勝手に壮齢の男性だと思っていた節はあります」

「がっかり?」

「え? い、いえ、寧ろ歳が近くて安心……」

「そう、なら良いや。結婚するのはまだ先だけど、よろしくね、ヒルデ」


 ぎゅっと握った互いの手。ヒルデは控えめに力を込めると、ちらりと少年を見詰めて頷いた。


「ええ、よろしくお願いします。リュカ殿」

「リュリュで良いよ」

「あ、ええと、リュリュ……?」

「うん。早速だけどちょっと出かけるから一緒に来る? 王都の案内もできるし」

「はい⁉ いま王宮に着いたばかりですよ、ちょっ──リュリュ!」


 婚約者というよりは、初めて同年代の友人が出来たような気分で、若き精霊術師は上機嫌に姫を連れ出したのだった。


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