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  作者: 中村文音
7/7

あかね

馬飼いはすっかり疲れて月明かりを頼りに、とぼとぼと暗い帰り道を歩きました。

 後ろから茜が、手綱も引いておらぬのにぽくぽくとついてきました。


「…のどが渇いたな…。水を飲んでいくか…」

 

 川へさしかかったとき、馬飼いはふと思いました。

 火の中を逃げ回って、のどはからからに乾いていましたし、ぐっしょりかいた汗を吸って、着物はじっとりと重くなっていましたから。


「茜、ここで待っておれよ」

  

 茜を川べりに置いて、馬飼いは着物を脱いで川へ入っていきました。

 温みの残った春の川の水を両手で掬ってざぶざぶと顔を洗ってから、手に受けた水を馬飼いは何遍もごくごく飲みました。

 飲んでも飲んでもからからに乾いた身体は水を欲しがりました。

 

 ようやく人心地ついた馬飼いはそれから丁寧に身体を洗いました。

 火の中を逃げ惑ったせいか、顔も体もあちこち真っ黒なすすでなすられたように汚れていました。

 

 ふと何か大きな影が水の中にいるのを感じて、馬飼いは、はっと顔を振り仰ぎました。

 黒い影は近くまで来ると、長い首を伸ばしてぴちゃぴちゃと川の水を飲みました。

 雲が動いて、月明かりがその影を照らしました。

 …茜でした。

 茜が自分から川へ入って来て、水を飲んでいたのです。


「茜! お、おまえ、水を飲んだだな! …本物の馬になれただな!」

 

 馬飼いは驚いて茜の首にすがりつきました。

 茜は首を上げて静かに馬飼いの顔を見ると、黙ってまた水を飲み始めました。


「…よかったなあ! これでおまえはもう、火の馬じゃねえだわさ。本物の馬になっただよ。

 これから先、火の馬たちに追われて連れ戻される心配もなくなっただな」

 

 馬飼いはほうっと大きなため息をひとつつくと、茜のまだ火照っている熱い体を川の水で優しく洗ってやりました。


 こうして茜は漆闇とつがいになりました。

 何日かして馬飼いが厩に行くと、漆闇がゆっくりと飼い葉を食んでおりました。


「漆闇! おまえ、飼い葉を食べただか?

 …元気になっただか?」

 

 漆闇は鼻づらを小さく鳴らすと、馬飼いに顔をすり寄せてきました。

 

「…よかった。よかっただ」

 

 馬飼いが喜んで漆闇の頭をたくさんなでてやると、漆闇はひーんと一声、勢いよくいななきました。

 そばで茜がそんな馬飼いと漆闇を静かに見守っておりました。

 漆闇はその日から、また元のようによく働くようになりました。


 それからすぐ茜は仔をはらんで、明くる年の春先に仔馬を一頭産みました。

 月も星もない夜空のように真っ黒い仔馬でしたが、額にひと房、茜と同じ色の巻き毛がありました。

 それで馬飼いは仔馬を「(あかつき)」と名付けました。

 暁を産んだ茜はよく飼い葉を食べ、よく水を飲み、白い乳を溢れるほど出しました。

 仔馬は細い足を踏ん張って、むさぼるようにごくごく乳を飲むのでした。


 馬飼いは今、その日の仕事を終えると、坊を連れて迎えに来たおかみさんといっしょに三頭を川へ連れて行って、丁寧に身体を洗ってやります。

 それから坊を暁に乗せて、坊の背を片手で支えながら、ぽくりぽくりと歩いて帰ります。


                          


                                 (終わり)



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