線路上の少年と買い物袋の男
穏やかな平日の昼下がり。そこは、滅多に人が通らない細い路地の先にある小さな踏切だった。学ランに身を包んだ少年が、一人、その踏切に差し掛かり、上り電車の線路の中程で立ち止まる。
警笛が鳴り遮断機が下りるが、少年がそこから動く気配はない。
「……やっと、終われる……」
まだ声変わりも迎えてない少年の小さな声が、甲高く鳴り続ける音にかき消される。
少年は電車が来るであろう、カーブを描いている線路の先を見つめる。電車の姿は見えないが、身体を揺らすその振動が終わりが近いことを告げていた。「ふぅ」と少年は穏やかに息を吐き、目を閉じる。
その時だった。
「何してる!!」
男の怒声が辺りに響き、少年は驚いて声の方に振り向いた。買い物袋を投げ捨てて、男が何かを叫びながらこちらに走ってくる。それと同時に電車がカーブを曲がって来た。
少年には視界に映るその全てがスローモーションだった。
電車のクラクションと悲鳴にも似たブレーキ音が、閑静な住宅街に響き渡る。
男は、間に合わないだろう。
(ごめんなさい)
少年は、必死に走る男に心の中で詫びると再び目を閉じた。
ドンッ!!
衝撃と共に少年の時間が戻り、身体に痛みが走る。
(あぁ、思ったより痛くない。これでやっとーー)
「おい!!大丈夫か!?」
男の声が耳元で響き、少年はハッと目を開く。自分は地面に倒れていて、擦り剥いたのか、手が痛い。すぐ側で電車が止まった。どうやら隣の線路に倒れているらしい。
「立てるか?」
先ほど走って来ていた男が、少年のすぐ横に膝をつき、心配げにこちらを見下ろしていた。
「ま、立てなくても立ってもらうがな」
男はそう言うと、少年の腕を掴み、立たせた。そして、
「逃げるぞ!」
「え?」
少年の返答も聞かず、少年の手を引いて男は走り出した。遮断機を潜り、住宅街を駆け抜ける。角を曲がり、時折、振り返りながら。
何度か角を曲がり、いくつ目かの小径に入った時、男が一言。
「ーーーーーーーー」
何か言った。
男に引き摺られる勢いで走っている少年は、自分の息遣いとドクドクと煩い心音に聴覚を奪われ、なんの利益にもならないそんな情報しか得る事が出来なかった。
少年がそんな情報を得た辺りから、男は徐々にスピードを落とした。そうして小径を出ると「よし」と言って笑った。
「着いた」
道を挟んだ向こうには、ブロック塀に囲まれた古い木造二階建ての建物が建っていた。石門柱から玄関までは飛び石が敷かれ、その小径の左右には山茶花が植わっている。玄関は古風な引き戸。建物の二階部分に窓が三つ並んでいた。
小柄な少年から見れば、二メートル程の塀とその高さに合わせて剪定された山茶花が、建物の約半分を隠してしまっている。
男は少年を連れたまま門柱を抜け、足を止めた。瞬間、少年はカクンと膝から崩れた。
「おい、大丈夫か!?」
男は慌てて少年の横に膝をついた。
「だ……だい、じょうぶ、です……」
今になって震える少年に、男は息を吐くように「ふっ」と笑うとその背にそっと手を置いた。
「まぁ、なんだ。……生きてて良かった」
「っ!」
「立てるか?取り敢えず中入れ。って、え?」
男が少年の顔を覗き込むと、その目からポロポロと涙が溢れ、少年の頬を濡らしていた。
男は困った様に眉根を寄せて頭を掻くと、少年の背後に回りその両脇に手を差し入れグイッと持ち上げた。
「ひぇっ」
少年は情けない声と共に地に足をつけた。
「歩けるか?」
男の声が少し震えている。笑いをこらえている様だ。少年は耳まで真っ赤にして小さく頷く。
「よし」
男はそのまま少年の肩を抱き、開きっぱなしの引き戸の中へと入った。
建物の中は薄暗かった。
玄関で靴を脱ぎ、少年は綺麗に靴を揃えてゆっくりと立ち上がる。そのまま男を見上げると、男はニッと笑って言った。
「ようこそ。光荘へ」
ここまで読んでくださり、ありがとうございます!
かっぱ太郎です。
登場人物の名前が出てきてませんね(笑)
次回は出て来ます。多分……
どうぞ、引き続きお付き合い頂けましたら幸いです!